第50話 さいきょうのじゅもん
金髪碧眼のイケオジ外人モデルみたいなおじさんが、両手で宵司の胸倉をつかんでまくしたてる。
「きみの記憶力には問題がありすぎる! 十九年前、私はきみとダンジョンに潜るたびに毎回、死にかけて入院していた。最低でも両足骨折で動けなくなっていたし、一番ひどかったのは頭蓋骨骨折で三カ月寝込んでいたときか。あれは魔医療師による最高の治療を受けても、目覚めた時に数か月分の記憶をなくしていたが……とにかく、だから、きみのダンジョン明けの乱痴気パーティに私が参加していたはずはないだろう!!」
あ、これ、日本語。見た目完全に白色人種な欧米人なのに、このおじさんてば宵司より日本語が丁寧で聞き取りやすい。
身長も年齢も宵司と同じくらいだけど、マッチョ度がまだ人間だし、びしっとしたスーツ着てるから、系統としては闇王パパ? でも、闇王パパはラスボスだけど、こちらはもうちょっと爽やか。憲法からブラック要素を取り除いた、少しは常識ありそうなナイスルッキングガイ!
なにを隠そう、この金髪イケオジが例のホワイト家のハワード氏らしい。
現在時刻、夕方六時過ぎ。
いやぁ、朝の家族会議からここに至るまで今日はほんっとーに大変だったよ。
もっぱら黒玄家三兄弟と竜胆叔父様が。
だって、わたし一歳児だから! ちやほや甘やかされて、すやすやねんねして、お昼はカラフルお子様ランチうまうま!
離乳食もだいぶ進んで、最近はちゃんと味のするごはんになったよ。
エビピラフもお魚ハンバーグも薄味だけどすごくおいしかったし、デザートのアンズとリンゴのタルトも甘くて、おいち! 月白お兄様にいっぱい食べさせてもらったよ!
月白お兄様はひたすらわたしのお世話。絵本読んでくれたり、子守唄歌ってくれたり、おやつ食べさせてくれたり、遊具で遊んでくれたり、べったりつきっきりな子守りでヒーリングタイム。
お昼ごはんの後もたっぷり遊んでもらって、たっぷりお昼寝して、もう早めの晩ごはんまで終了。
なので、外はまだ明るい夏の夕方だけど、真珠ちゃん、あとはクアアとアヒルのおもちゃとお風呂でキャッキャしておねむなの。お仕事お疲れ様の闇王パパにお休み前のごあいさつに来ただけなの。
なのに、じいっとおじいちゃんに見られてる……。
「まったくもう、不法侵入で訴えようかしら。無理やりここまで押し入ってくるなんて、失礼にもほどがあるでしょう。憲法、おまえの防御システムはどうなっているの? さっさとこの招かれざる客を追い出しなさい」
ここ、黒玄家本館一階の闇王パパのテレワーク部屋なんだけど、完全に会社のオフィス。
天井の高い広々とした空間に机と椅子と応接セットが幾つも置かれてて、その一角で白絹お祖母様は憲法と、闇王パパは秘書っぽい男性三人とそれぞれお話し合いしてて、宵司は端っこで青い髪の少年と変なおもちゃで遊んでた。
……いや、宵司、実際は武器の性能を確認してたらしいんだけどさ、真珠ちゃん、トゲトゲ硬そうな武器、興味ないから! ぷにぷにクアアとふかふかやわらかいぬいぐるみが好きなの! 殺戮兵器バイバイ!
なので、宵司には目もくれずに月白お兄様に抱っこされたまま、「パパ!」って闇王パパまっしぐら。すっかり気力回復したらしい闇王パパにべたべた甘えてたんだけど、ホワイト家ご一行がねぇ……。
白絹お祖母様が文句言うくらい、この人たち、勝手に玄関強行突破して押し入ってきたみたい。
イケオジハワード氏と銀髪のおじいちゃん、それに年齢性別バラバラのお供の五人組。ハワード氏はすぐさま宵司につかみかかったんだけど、五人組の中の地味な中年女性には憲法のほうから笑顔で接近していった。
「さすがに常設の魔道具で無効化とステルス魔法のスペシャリスト、サラ・ベルクマン博士に対応するのは無理だよ。むしろこの先の共同研究をお願いしたいくらいだ。よく来てくれましたね、ベルクマン博士。確か日本語もご堪能だと伺っておりますが、ドイツ語で話した方がいいですか?」
「私は日本語でもいいけど、こちらの方々には英語にしてあげてちょうだい、ミスター憲法。あなたに歓迎してもらえて嬉しいわ」
ベルクマン博士と呼びかけられた中年女性もにっこり日本語で返してくれたんだけど、その後の会話、英語。
イングリッシュ! だーっと目の前に広大な宇宙が広がっていく外国語ワールド!
まあ、ハワード氏は宵司と日本語で会話してるから、なに言ってるのかわかるんだけど、内容がちっとも子供向けじゃないし……。
「あー、だったか? ま、髪も目もおまえと似たような色で、顔も体つきも似たようなものだったから、記憶がごっちゃになってたみてーだな。やー、元気なジジイだ」
「だから、当時七十過ぎの父と二十一歳の私を同列で扱うなんて、きみの目はどれだけ節穴なんだ!? それにそっちが送ってきた写真を見る限り、私の妹はまだ明らかに幼い少女だろう! なのに二年も前になんて、きみはいつからロリータ趣味の変態になったんだ!?」
ハワード氏、沙華さんのこと「私の妹」って言ってるし、少なくとも宵司よりは良識ありそうなんだけど、較べる対象が宵司だとねぇ……。どっかのストーカー三男は最初から比較対象外だけどさぁ……。
なによりネックは異文化っていうか、言語の壁!
今って室内の他の人、憲法もベルクマン博士も白絹お祖母様も銀髪のおじいちゃんも、わたしを抱っこしてる闇王パパとか月白お兄様まで英語で喋ってる。
そういえば、憲法印の便利な翻訳の魔道具があったはずだけど、だれも使ってない。はっ! もしかしなくてもここんちの人たちにとって、英語って常識? 日本語と英語、両方使いこなせて当然だったりするの?
ムリ! イヤ!! 気分的に今さら異世界転生!
わたし、前世の記憶を持ったまま、日本以外の国に転生しなくて本当によかった。だって耳が日本語の決まった音しか拾えないっていうか、わたしの脳内に母音はアイウエオしか存在しない。アの発音が何種類もあるとか前世から意味不明。うん、これ、聞き取りもできないけど、発音するのも不可能。
真珠ちゃん、異文化交流に挫折! もうねむねむする!
「パパ、んにゃにゃ……」
夏だからか、さらっと柔らかい生地のシャツにお顔すりすり甘えたら、子育てスキルの上がった闇王パパはすぐに意図をくんでくれた。
「真珠? ああ、聞きなれない英語が子守唄に聞こえたか? そうだな。真珠はパパの娘で、この先一生、日本人だ。日本語以外わからなくていい。それにもう寝る準備をしないと。月白、おまえは真珠と部屋に戻りなさい」
「はい、そうします。さあ、真珠、僕と一緒に……って、すすきさんに抱っこしてもらおうか。強行突破かなぁ?」
「いや、私が送っていこう。宵司、憲法、目の前の敵を抑えておけ」
闇王パパも月白お兄様も臨戦態勢になったんだけど、なぜだか憲法が常識人っぽく言った。
「闇王兄さんらしくもない。ここは普通に真珠をおじいちゃんに抱っこさせてあげた方がいいと思うよ。大丈夫。沙華さんには竜胆も宵司兄さんの仲間も付いているし、今、この空間に脱出ルートは存在しない。空も陸も地下も完全に封じた。それに何より、真珠は可愛いからね」
「何だと?」
「いや、さすがに九十年近く昔の、フランシス氏が幼い頃に亡くなった実の母親がストロベリーブロンドとロイヤルパープルの瞳の持ち主で、真珠がその面影を色濃く受け継ぐとまでは調査が及ばなかったからね。でも、それならフランシス氏がこんなにすぐ駆けつけて来たのも納得だ。真珠の幸せのために、あと二十年くらいはがんばってくれるよ」
男の人ってマザコンだよね。っていうか、幼い頃に亡くなった母親って、どうしても記憶の中で美化されるもんね……。
わたしにはまったく聞き取れなかった英語のやりとりで判明したのは、フランシスおじいちゃんが究極のこじらせマザコンだったことらしい。
いや、実際の会話はもっと複雑で、お涙頂戴、感動的に訴えてたみたいだけど、要点は一言。
マザコン。
フランシスおじいちゃんは黒玄グループのわたし出演CMを見た時から、亡き母と同じピンク髪と菫色の瞳の赤ん坊に興味津々だったんだって。
長身痩躯、白髪っていうより銀髪って言葉が似合うふさふさのシルバーヘア、仕立てのいいスーツにピンと伸びた背筋、杖もついてないし、顔のしわも少ない。六十歳くらいにしか見えないすっごいダンディーなおじいちゃんなんだけど、実年齢九十一歳なのに青い瞳を潤ませて、遥か昔に亡くなった母親の面影を赤ん坊に求めるっていうのはねぇ……。
しかも、おじいちゃん、わたしを見ながら、だーっとなんか言ってるけど、英語。
イングリッシュ、オンリー!
前世からの苦手教科。生まれ変わっても、ぜんぜんわかんない!
おじいちゃんがひたすら英語で話しかけてくるから、闇王パパがまた英語で話し始めちゃった。この音の切れ間のわからない言語、ほんっとに聞き分けられる気がしない……。
ひとしきり英語で話した後で、闇王パパは日本語に戻してわたしに尋ねる。
「……まったく、一度で引き下がる気はしないが、別の機会を設けるより宵司と憲法がいるときの方がましだろう。仕方ないな。真珠、あれがおまえの母方の祖父で、沙華さんの血縁上の父親だ。一度だけ、あのおじいさんに抱っこさせてあげるか?」
え? それって、どこかのゴリラみたいに遊んであげろってこと?
だけどさぁ、宵司は一応、日本語しゃべってるんだよね。言葉遣いは悪いけど、単語くらいは聞き取れる日本語。
なのに、そのおじいちゃんがしゃべってるのは宇宙語!!
ええもう、もちろんお断りですとも。英語ワールドなんてぜったいヤです。わたし、将来的にも日本語のお勉強しかしませんから!
だから、ここで繰り出すべきは、天使の必殺スマイルとわたしの考える「さいきょうのじゅもん」。
「のー! ごあぇい! ぐばい!」
幼女の高らかな愛らしい声に、しーんと水を打ったように静まるその場。
そして一瞬の後、
「チビ! おまえ、最高! ここであっち行けたぁ、おまえ、っとに頭いいじゃねーか!」
宵司がゲラゲラ大爆笑する声と、ガシャガシャ、バシャ―ン、ドサドササッて、なにかが壊れて倒れるような音、それも複数。
「ああ、本当に助かったよ。この隙にあちらの魔道具をすべて打ち破れた。まあ、どうせ見た目にしか興味のない年寄りに気まぐれで可愛がられるより、さっさと風呂に入って寝た方が生産的だ。月白、真珠と部屋に戻りなさい。僕の領域でこれ以上好き勝手なことはさせない」
無慈悲に言い渡す憲法。
見れば、ホワイト家のご一行様、全員、床に這いつくばってた……。
ねえ、憲法くん、これって時間稼ぎっていうか、にっこり笑顔で油断させて相手を罠にかけてたよね? なんだかダントラの元凶、きみにある気がしてきたよ……。