第47話 インビジブル
「あのさ、もうちょっとわかりやすく話してくれないかな。姉さんはあなたに何を望んだの? ただ僕たちを混乱させるのが目的だったなんてことはないよね?」
いつになくイラっとしたようすの竜胆叔父様に、憲法はただ微笑む。
「竜胆、他ならぬきみが知りたいというなら僕の知っているすべてを話そう。だが、忘れないでほしい。知ることを望んだのはきみだ。今この状況を招いたのはきみの選択によるものだということを」
そう前置きして、憲法は常人には理解しがたい愛を語りはじめた。
「最初に出会った時に露茄は『ありがとう』って言ってくれた。記憶にある最初の頃から僕は『ありがとう』だとか、挨拶を強要されるのが不満でね。たかがそこにある物を取ってもらったくらいでいちいち大人に感謝しろだの、お土産なんて相手が勝手に渡してくる上、僕が欲しいわけでもないものに対して『ありがとう』を言うなんて意味がわからなかった」
うん、憲法が異常に育てにくい子供だったことはよくわかった……。
白絹お祖母様もばあやも疲れた表情。
憲法と露茄さんの出会いは三歳。そんな幼い頃から記憶力抜群で屁理屈こねまくる子供って、ゴリラ宵司とは違う意味でお手上げ! 今でも宵司以上に取り扱い要注意どころか、制御不可能って感じ……。
「だけど、隣の席に座った露茄の胸から飾りの造花が落ちて、それを拾ってあげたら『ありがとう』と笑顔で感謝されてね。その言葉を自分が言われるのは初めてで、彼女の笑顔がとても可愛らしく思えて、だから、その場ですぐにプロポーズしたんだ。だってその頃、闇王兄さんにお見合い話が来てて、母さんやばあやから恋愛だの政略結婚だのについてさんざん聞かされていたからね」
憲法と闇王パパの年齢差は十四歳だから、憲法が三歳の頃、闇王パパは高校生。お見合いするには早い気もするけど、巨大企業グループの後継者って立場を考えれば、妥当な年齢だったのかもしれない。
でも、その頃から白絹お祖母様とばあやのドリーミングタイムは相変わらずだったんだね。いや、息子三人に絶望して可愛いお嫁さんを夢見ていただけかもしれないけど……。
「自分が可愛いと思えて、ずっと一緒にいたい女の子をお嫁さんにすべきだって、恋愛結婚の刷り込み? まあ、僕にとっての露茄は出会った最初の時から最後の瞬間までずっと可愛くて、ずっと一緒にいたい女の子だったよ」
憲法のストーカー脳はともかく、露茄さんさえよければ、二人は年齢も家柄も才能も魔力の相性まで、ものすごく釣り合いのとれた組み合わせだった。
しかるに問題は憲法以上に露茄さんにあったらしい。
「露茄はね、たぶん誰にも言えない秘密を抱えていた。今にして思えば、真珠のように物心つく前にスキル覚醒してしまっていたんだろう。実際のダンジョンには入っていなくとも、縹家の宿命として露茄は母親の胎内に宿った瞬間から魔素だまりで高濃度の魔素にさらされていた。幼い頃から親の仕事先で魔素だまりに近づく機会も多かったからね」
「それって、姉さんが浄化以外のスキルを持っていたってこと? でも、そんな素振り、ぜんぜん……?」
竜胆叔父様だけでなく、月白お兄様もその場の露茄さんを知るだれもが首をかしげる。
しかし、憲法は言う。
「ある意味、真珠は幸運だった。真珠がテイムしたモンスターははっきりと誰の目にも見える。きみのような治癒能力でもいいし、幼い頃、浄化のスキルに覚醒したのだとしても、それなら両親にすぐに気づいてもらえただろう」
けれど、露茄さんが物心つく前に覚醒したであろうスキルは、形にならないうえに、これと確定したわけではないもの。
「露茄はね、夢見が悪かったんだ。だが、怖い夢を見たと彼女が無邪気に話してくれたのは六歳の誕生日まで。その後は結果が怖くて、僕にも誰にも相談できなくなったんだろう。まあ、すべては後で考えればという憶測でしかないし、悪夢でうなされる露茄を見ても安眠グッズの開発しか考えなかった自分の愚かさが笑えるけどね」
「夢? ていうか、なんで六歳?」
「その日、こども園でお昼寝から目覚めた彼女は泣き始めた。泣いて怯えて怖がって、僕に怖い夢を見たと言った」
『あかちゃんがしんじゃう! けんぽうくん、あかちゃんをたすけて!』
「その日、露茄の誕生日を祝ったあとで彼女の両親は空港に向かう予定だった。
千草お義母さんは翌月にきみの出産を控えていたから、仕事で海外に行く鴨跖お義父さんの見送りのために。娘の誕生日だからと鴨跖さんは出発便をギリギリまで遅らせて、だけど六歳の露茄はもう寝る時間だから、子守りとともに家に置いて行かれるはずだった」
六歳。露茄さんや憲法と、竜胆叔父様の年齢差は六歳。
その時、彼女が口にした『あかちゃん』はもちろん六歳差の弟のことで、取り乱した様子でさらに口走ったらしい。
記憶力抜群の憲法は露茄さんの言葉を正確に再現してくれる。
『わたしもいっしょにいけばいいの? でも、ちがう。わたしがいっしょでも、じこはおこる。しなない……パパも、ママも、しなない。わたしも、しなない。でも、あかちゃんが……だめ! いっちゃだめなの! ママがおみおくりしなくてもパパはじこにあうの。パパがじこにあったら、ママはかなしんで、おなかからあかちゃんがいなくなるの!』
その時の憲法は露茄さんが悪い夢を見たとしか思わなかったし、このやりとり自体、すっかり忘れてしまっていた。ただそれでも、その時にはもう彼女に頼まれたらどんな願いも叶えるくらいに露茄さんのことが好きだった。
そして、憲法には幼い少女の願いを叶えるだけの力があった。
顔面蒼白、血の気を引かせた竜胆叔父様に代わって、白絹お祖母様が思い出したように言う。
「……そういえば、露茄さんの六歳のお誕生日は急遽、我が家でお祝いすることになったわね。あの頃は新月お義父様がまだお元気で、憲法に頼まれたら露茄さんのご両親をお招きしての盛大なお祝いパーティを開くなんて常識外れも普通にやってのけていたし、たしか新月お義父様が『娘の誕生日くらい一緒に寝てやれ。父親なんてすぐに臭い嫌いと近づいてくれなくなるんだから』って脅して、鴨跖さんの仕事を変更させたような……」
ばあやも記憶をたぐりよせるように眉間にしわを寄せて頷く。
「ええ、新月様は将来、憲法お坊ちゃまのお嫁さんになる女の子の誕生日をお祝いできると大喜びでしたが……その後も、竜胆様がお小さいのでさすがに黒玄家でというわけにはいきませんでしたが、代わりに縹家での露茄様の誕生日パーティに憲法様をつれた祖父の新月様が参加するということになって、毎年、申し訳なく思っておりました……」
黒玄家の初代、黒玄新月は自分に似た才能を持つ孫の憲法を溺愛していたらしい。それこそ憲法が頼めば、憲法の好きな女の子の誕生日パーティを急遽、その当日に黒玄家で開催するなんて非常識なことをやってのけるくらいには……。
そしてその結果、なにも起こらなかった。
あかちゃん……竜胆叔父様は死なず、露茄さんのご両親も事故に遭うことはなかった。
露茄さんの夢見た未来は変化した。
だけど、そうすると露茄さんが見た夢はただの夢、子供の妄想にすぎなかったということになる。事前にその夢の話を聞いた憲法も、そのやりとりをすぐに忘れてしまったくらいには……。
幼い露茄さんにとってはとても混乱する話だっただろうし、夢見た未来を変えた世界で見る夢もまた大きく変化していったのだろう。
「露茄が本当に予知能力を持っていたのか、本当に予知夢という悪夢にうなされて泣いていたのか、もう確認する方法はない。だが、もしそうだったと仮定して振り返れば、彼女が時々、それらしい言葉を発していたことに気づく」
『このあみだくじ、縦線も横線も多くてどこまで進んだのかわからなくなっちゃう! 横線が多すぎるのよ。ああ、でも、人生もこんなものかしら。こんなに横線がなかったら一直線でわかりやすいのに』
『あら、この宗教って、みんなで神様にお祈りしたから、神託で預言された大災害が起こらなかったっていうことになるのね。お祈りの力でダンジョン崩壊が防げるって幸せね。でも、それだとダンジョン崩壊を防げなかった世界もどこかにあるんじゃないのかしら? 神様の預言はその先どうなっちゃうのかしらね?』
「露茄の見る怖い夢にはおそらく彼女が分岐点で変えてしまった未来……竜胆が存在しない世界の夢も混ざっていたんだろう。すべての夢が今の自分の存在する世界の未来とは限らず、もしまた何らかの運命を変えてしまえば、そこからさらに未来の選択肢が増えて、ますます様々な世界の予知夢を見ることになる。だから、彼女はいつも悪い夢にうなされていたのではないかと僕は考えているし、なんだかんだとそれでも運命に働きかけていたんだろうね」
そういえば、わたしも夢を見た気がする。ううん、夢っていうか、声を聞いた。
『ダンジョンによってあなたの世界とこの世界の未来はすっかり変わってしまった。けれど、わたしの夢見る最良の未来は、あなたとともにある。だから、あなたをこの世界に生まれ変わらせることが、わたしに与えられた使命……あなたの未来に祝福を』
とてもやさしい女性の声に時々雑音が混ざってたけど、そっちの耳障りな声は忘れたことにしよう。記憶の底に沈めてグッバイさよなら。
『……予知夢を共有しても、ダンジョンのある世界とない世界とでは、こんなに受け取り方が違うのね。ダンジョンのない世界の人々にとって、こちらの世界はただの夢物語。いえ、だからこそ、夢が、想いが強くなる。人の想いが強まるほどに、わたしの魔力は強まるけれど、やっぱりダメね。わたしの夢見の力ではなにも変えられない。この世界を破滅から救えるのは……』
でも、やさしい声も言ってることはわりとシビアな社畜推進だったような……。
『夢を見るだけではダメ。夢に惑わされない冷静な判断力と相応の実行力。こちらの世界の魔力はあちらの世界の仕事の遂行能力に比例するのね。ええ、だから、真珠ちゃん、生まれ変わったあなたは初めから多くの魔力を備えているでしょう』
いやいや、そんな余分な魔力いらないよ。ノー過労死!
だけど、クアア! そうだ、あの声って憲法のせいだ。憲法の黒ミサもどきでわたしがテイマーのスキルに覚醒しちゃった例の事件のときだから……あれ?
クアアは必要。わたしの可愛いペット。テイムしたモンスターでもなんでも、もうすっかりわたしの家族。ゴリラ父より日々の生活に欠かせない必要不可欠な存在。
その愛すべきクアアのためには魔力がたくさん必要で、たぶんあの時、ばあやを助けるのにもその『多くの魔力』が役に立ったんだよね?
……って、これって滅私奉公肯定!?
いやいや、ないから! 自分の心身の健康を犠牲にした働きづめの人生はもう二度とごめんだし、企業トップの闇王パパだって働き方改革したんだよ。真珠ちゃん、ナマケモノなニートでおうちにひきこもる超我が儘お嬢様になるの!
オーバーワーク、ノーセンキュー!! ワークライフバランス重視の心にゆとりのある生活を!!
……って、だから、ダメダメ。そこで『ワーク』入れちゃダメ!
もういっそ専業主婦希望?
だけど、旦那さんが月白お兄様だと奥様業が大変だから、お嫁に行かずに白絹お祖母様の着せ替え人形してドリーミングライフ……って、そうするとウエディングコスプレ一直線! 曾孫ドリームもふくらむよね。
だけど、わたしのこの身体にも流れてる黒玄家の血。たとえ結婚相手が月白お兄様以外だったとしても、子供はけっこうな確率で宵司か憲法に似そう。
下半身節操なしのオレTUEEか、異常に執着心の強いマッドサイエンティスト。
うん、どっちも子育てに苦労すること間違いなし。九時五時週休二日で働く方がはるかに自分の睡眠時間を確保できる!
となると将来は自立してほどほどに働くワーキングウーマンを目指した方がいいんじゃないかって気が……。
わたしがちいさい頭をぐるぐる悩ませている間にも憲法の語りは続いていた。
「不確かで別の世界の未来も入り混じった幾千幾万もの複雑怪奇な夢の中から、露茄がただひとつを選んでつかみとった未来が今、ここにある。まあ、こういうすべては僕の妄想かもしれないが、露茄の六歳の誕生日が予定通りだったとすれば、竜胆は今、ここにいない。そして、もし仮に露茄がミルクちゃんを妊娠しなかったとすれば、ミルクちゃんも、真珠もここにはいない。きっと沙華さんはあの時、あの場所でスタンピードに巻き込まれて命を落としていただろう。そんな世界で今、ここに誰が残っていただろうね? 少なくとも僕はいない。母さんも、どうだろう?」
竜胆叔父様のことはともかく、露茄さんがミルクちゃんを妊娠しなかったとしたら、わたしとミルクちゃんが取り替えられることはなかった。
というか、そもそも露茄さんはあの病院に行かない。
そして、露茄さんが妊娠してなかったら、憲法と宵司が付き添っていなかったから、あの日、あの時、あの場所で起こったスタンピードは日本全土に未曽有の大惨事をもたらした。
露茄さんも巻き込まれて何らかの被害を受けただろうし、出産直後だった沙華さんや生まれたばかりの赤ん坊のわたしは逃げそこなっていただろう。
となると、今、ここに座っている人の中で生き残っているのは……って、考えてぞっとする。
露茄さんは本物の聖女だったのかもしれない。
だけど、わたしを抱っこする闇王パパの手は限りなく冷たいままだった。