第4話 ラスボス魔王降臨!
ばあやに起こされたときには、もう夕方近くになっていた。
「今日はいつになくお兄様と一緒のお昼ごはんだったので、興奮してお疲れになっていたのでしょうね。とてもよくお眠りでした」
「あぅばぁ……」
いいえ、教育ママならぬ教育ブラザーな月白お兄様が、ベビーベッドのそばで意味不明な言語の本をぶつぶつ読んでいたせいで、永遠に眠っていられる気がしただけです。うなされていたとも言います。
「まことに残念ながら大奥様はお戻りになれませんでしたが、代わりに闇王様がいらしてくださいました。甥っ子の誕生日を祝うために休みを取るだなんて、あの方も随分人間が丸くなられたこと」
「あぅあ?」
甥っ子? つまり月白お兄様から見ておじさん? それって、赤の他人な父親に兄弟がいるってことですか?
「ああ、そういえば、お目にかかる機会がないかと思って、真珠お嬢様に伯父様たちの写真を見せるのを忘れていましたが……まあ、いずれにしても結果は同じでしょうから、少し顔を見せて、すぐにこちらでごはんにしましょうね。月白お兄様とのお散歩はそのあとでいいでしょう。ええ、ひと泣きした後でミルクでご機嫌になって、それでも足りなかったらお風呂でアヒルと遊んで、とにかくお庭のイルミネーションだけは……」
「ばぁば、だあぁ?」
ばあや、大丈夫?
なにやら不穏な表情です。そのおじさんとやらは、そんなに問題があるのでしょうか。
答えは会った瞬間、わかりました。
「それが例の子供か。なるほど、憲法の子供には見えないな」
魔王です! ラスボス魔王降臨です!
でかい! ごつい! 顔怖い!
重低音の響く声に、悪役プロレスラー顔負けのド迫力ゴリマッチョが、一目でわかるほど高そうな特注スーツ姿で兄と並んで立ってる!
月白お兄様も七五三っぽく着飾ってるし、真珠ちゃんもいつもより念入りにおめかし。赤いベビードレスのサンタさんコスプレで、我ながらラブリーさ満点。
たぶん場所も、わたしは初めてつれてこられた応接間だけど、豪華絢爛きらびやかなシャンデリアが輝いているので、クリスマスパーティ―会場といえなくはない。
なのに、魔王の圧倒的な存在感がすべてを台無しに!
その人がその場にいるだけで、もはや親族の楽しいつどいではなく極悪な組織の集会に! 壁際に護衛っぽい黒服スーツのお兄さんも五人ほど控えてるし、おじさんの手首の腕時計、分厚い! 重そう高そう! それ武器に変身するの? 腰に銃とか仕込んでない?
ええもう、ふつうの赤ちゃんならギャン泣き間違いなし。一目散に泣き逃げる世紀末な物物しさです。
でも、ご安心を。この精神年齢やや高めな幼女のつぶらな瞳を通せば、あーら不思議、『渋い声の強面イケオジ俳優』ではありませんか!
「あぅあ、まぁまま! まままま、だーだぁ!」
おじさん、よろしく! そのおっきな手、握手!
野球のグローブの大きさあるから、片手で真珠ちゃん乗せられるね。遊んでください。楽しそう! キャー、遊びたい!
あれ、おかしいな? わたし精神年齢とっても高い冷静幼女なのに、この巨人大魔王に遊んでもらいたくてたまらない。前世で好みのタイプだったのか、単純に大型犬にじゃれつく興奮状態な気もするんだけど……。
「だぁだだ、だだだぅ!」
「やけに物怖じしない赤ん坊だな」
首をかしげながらも、おじさんはわたしがキャッキャと伸ばす手に片手を触れさせてくれた。
「きゃぅばぁ!」
釣れた! 指釣れた! がっちりホールド!
あまりの太さに両手で指一本抱えるのがやっとですが、離しませんよ!
むぎゅぎゅうっと遊んでいると、もう片方の手でひょいと抱き上げられた。ばあやよりはるかに背が高いから、視界が広がる! 高くて楽しい! キャー!
「面白い赤ん坊だな。月白でもつい最近まで会えば泣いていたのに、私が怖くないのか?」
「きゃあ、だぁあ!」
めっちゃ楽しい!
月白お兄様ははるか下のほうで必死に言い訳しております。
「闇王伯父様、それは昔の話です! 別に僕は伯父様が怖いなんて思ったことはなくて、その、あれは、お母様のようすが変だったから、何事かと心配していただけです!」
「ああ、露茄さんでも私の魔力に威圧されていたのに、こんな幼い赤ん坊がこれほど影響を受けないのは珍しい。よほど先天的な魔力量が多いのか、少なくとも月白と同じくらいはありそうだ」
え? 魔力? なんですか、それ?
この世界って、ダンジョンがあるだけじゃなくて魔法もあるんですか? え……あれ? いつものオタクナビが機能しない?
『……これ以上語ったら厨二病って言われそうっすね。あー、厨二病わかってないっすね。まさかツンデレとか世界系とかもわかってなかったり……』
あ、わかった! 途中でオタクにバレたんだ、相槌のさしすせそ!
ということは、わたしの転生チートは大人な精神力限定。
日本語の読み書き以外の知識はほとんど役に立たなさそうだし、むしろいい大人が赤ちゃんばぶぅ!って、この十カ月ガリガリメンタル削られてたので、転生チートは差し引きマイナスな気が……ダントラ! ダンジョンの数だけ罠がある!!
「闇王伯父様、それだと、真珠はやっぱりお父様の子供だってことですよね? だって、お父様くらい魔力の多い人なんて、お母様の周りには伯父様たちしかいないのに……」
「おまえを年齢相応の子供扱いせずに話すが、月白、先天的な魔力量は必ずしも親の魔力量に比例するわけではない。だが、魔力差の大きい男女のあいだには極端に子が授かりにくい。何度結婚しても子ができなかった私がいい例だ。だから、その意味で間違いなくこの子はおまえの妹だ」
なんだかお兄様とおじさんの会話は深刻なものとなっております。
というか、このおじさん四十代だと思うけど、小学一年生相当の甥っ子に配慮なさすぎ! さすがはいまだ見ぬダメ父親の兄弟! 兄弟そろってダメダメだから、かじっちゃえ! がじがじ!
あれ、おいしい!
「……そうですね。真珠は確かに僕の妹ですね」
「ああ、私の姪っ子であることも確かだ。こんな見た目でも、憲法の子であることも確かだろう。よほど血縁の魔力が気に入ったらしい」
もぐもぐおいしい! 目の前の指を夢中になってかじってたら、ちょんちょんと他の指で頬をなでられた。
「んー、んまんま!」
「腹が減ったのか? 少し魔力が足りないようだな」
「まあ、申し訳ありません、闇王様。真珠お嬢様にはすぐに魔素強化ミルクを差し上げますから」
「いや、いい。ほら、これで足りるだろう」
ぽわっと目の前が明るくなる。なにこれ? おじさんの指が光ってる?
じんわりあたたかくて甘いものが口の中に流れ込んできた。
「んまっ! うきゃあ!」
おいしい! ミルクより甘くて濃厚でふわふわする! なんか空でも飛べそう! ありがとう!
「この幼さで私の魔力を進んで受け入れるか……。いいだろう、真珠、三回忌を過ぎても憲法がおまえを我が子と認めぬのなら、私がおまえを我が子として迎えよう」
強面だけどダンディーなおじさんはわたしを抱えたまま、月白お兄様の前に膝をついた。
「月白、私の後継者はいずれにしてもおまえだが、おまえも正式に私の子になるか?」
同じ目の高さで問われたお兄様は、おじさんとおじさんの手の中のわたしを見比べて、少しためらうように言った。
「あの……その、お父様は僕のことも嫌いになったのですよね? たぶん浮気したお母様の子供だから……」
「憲法も本気で露茄さんが浮気したと疑っているわけではないだろう。彼女がもうこの世にいない事実を受け入れるのに時間がかかっているだけだ。あの二人は幼い頃から同じ学校で、憲法にとっては年の離れた兄たちよりよほど近しい存在だったからな」
なるほど。本物の真珠ちゃんのご両親は幼馴染のラブラブカップルだったんですね。
多少、同情の余地もありますが、わたしはともかく、幼い息子を不安にさせるのは父親失格!
大人だったら、妻を亡くした自分より母を亡くした幼子を優先させないと。自分の感情を優先させるのは我儘なお坊ちゃまの、使えない新人下っ端のクズオタクの……はっ! また別の記憶が混入してきた!
いけないいけない。わたしは可愛い無邪気な赤ちゃん。
ばあやと予定していたのはお祖母様こびこび大作戦だったけど、これはこれで結果オーライ。うん、このおじさんもお金持ちそうだから、こびて甘えて将来、就職先のひとつでも紹介していただきましょう。裏稼業の仕事はごめんですが。
「だったら、僕はお父様の子供でいます。真珠のことも、落ち着いたらお父様が可愛がってくれると思うから、もう少し待ってあげてください」
天才児なお兄様がけなげにおっしゃるのに合わせて、わたしは背後のおじさんをにぱーっと見上げる。
「あぅまぁ! まぁだぁうまうま、うままぁ!」
おじさま! またおいしい魔力ちょうだいね!
魔力がなにかとか、ダンジョンとかちんぷんかんぷんだけど、ただ一つ、確かなことがある。
それは、おじさんのぽわっと魔力が、前世現世合わせてこれまで味わった物の中で、一番おいしいものだったってこと! 魔力チューチュードレイン最高!
「赤ん坊というものは、面白い生き物だったんだな」
手の中でもぞもぞ動くわたしをおじさんは興味深げにあしらってくれる。片手でも安定感あるね。この指、ベビーベッドの柵みたいだよ!
横からわたしの頭にサンタの帽子をかぶせてくれながら、ばあやが突っ込む。
「闇王お坊ちゃまは大変気難しい赤ちゃんでしたよ。お母さんっ子で、お父様に会うたび泣いて、そのくせお風呂はお父様と一緒がいいって、本当に好き嫌いの激しい癇癪もちで。それに比べて、真珠お嬢様のお可愛らしいこと。こんなに素直で聞き分けのいい赤ちゃんはほかにおりませんわ」
ばあや最強! ぐうの音も出なくなった大きなお坊ちゃま!
ダンジョンの数だけ罠があるダントラ転生人生だけど、ばあやのおかげでなんだかんだと毎日楽しく快適に過ごせてる。
だから、早く本物の真珠ちゃんを探して、入れ替わった人生を元に戻してあげなきゃいけない。
たぶん、それが前世の記憶を持ったまま転生したわたしの役回りなんだよね、オタクナビ?
……うん、急に応えなくなったっていうか、前世の記憶の限界が来た模様。さて、これからナビなしで切り抜けなきゃいけない赤ちゃん人生、早く大きくなりたいよ!