第42話 ザフレーバーオブ
白絹お祖母様のお部屋だから、もちろんわたしの遊び場も空飛ぶパンダぬいぐるみもすぐそばにある。
家族会議が終わったみたいだったから、ランタッタとパンダに駆け寄って遊ぶ気満々だったんだけど、さすがダントラ! 邪魔が入った!
「間近で顔見てもまったく思い出せねぇな。金沢のホテルに派遣されてきた女のひとりって話だが……」
ゴリラどころか獣にしか見えないむさくるしいおじさんがいつのまにか沙華さんの前に立って、くいっと顎あげさせてた!
ストップ! おじさん、そういうの、王子様しかやっちゃいけないから!
月白お兄様は可愛いから許すけど、ギリギリ憲法までは行けるかもしれないけど、ゴリマッチョはセクハラ犯罪! ゴリラはそもそも人間に近づいちゃダメ!! 沙華さん、ソファに座ったまま硬直!
ちなみにさっきまで沙華さんの隣に座っていたすすきさんは、わたしがパンダぬいぐるみに近づこうとしたのを察して先回り。すすきさん、わたしの保護者だもんね……。
「その汚い手を放しなさい、宵司!」
「宵司、最初から頭に残っていない記憶をどうこうする暇があったら、覚えているうちに今回のダンジョン探索の報告書を仕上げろ。この館の警備は私が手配する。おまえはチームメンバーと合流してリソース管理の反省点をすべて洗い出せ」
白絹お祖母様と闇王パパから退場しろって、レッドカード!
だけど、宵司はいきなり沙華さんの首筋に顔を寄せた。ゴリラ、ダメダメ、野獣危険!!
「そういうのはどうかと思うよ、宵司兄さん。まったく、この家の中で沙華さんに防御用の魔道具が必要とは思わなかったな。真珠と月白のも宵司兄さんを警戒対象に書き換えて、触れたら迎撃……いや、中途半端な攻撃より防御優先で、その場に固定式バリアを張るように……」
このストーカーにもっともらしいことを言う権利があるのかどうかはさておいて、憲法がなにかしたらしい。ぴくっと宵司の動きがとまる。
だけど、沙華さんの首筋にゴリラ面うずめたまま! その体勢で停止って、むしろ性犯罪悪化! しかも宵司、すぐに憲法の妨害振り切って活動再開しちゃった!
「……わかった! おまえ、金髪ロン毛のイケイケねーちゃんだったろ! 真っ赤な爪して、日本語片言のガイジンさん!」
がばっと顔をあげる宵司。
その暴言に、沙華さんがついに立ち上がって自分で言い返す!
「っ、ガイジン、ガイジンって、あたしは日本人だ! 髪は、金髪のほうが受けがいいからって……そういうの、そっちが注文するんだろ! 金髪碧眼のガイジンって!」
六月に最初に会ったときはガリガリに痩せて、うっすら日焼けした肌にそばかすだらけだった沙華さん。
だけど、ここに来てから少しずつふっくらしてきて、白絹お祖母様の手配した最新美容で透明感のある美肌に。そばかすもすっかり消えた。それでもまだかなり細いけど、ジーンズ姿でも燃えるような赤い髪と大きな青い瞳が印象的な超美人!
でも、もし今の赤毛のショートヘアが金色のロングヘアだったら、印象はまったく違うと思う。
爪も最初はなんの手入れもしていない荒れた手だった。今は自然な感じに整えられてるけど、これが真っ赤なネイルだと、人間の脳ってその部分を強調して覚えちゃうよね。
とはいえ、悪いのは全部そこのおじさん。モンスターの数ほど多くの女性と刹那的に関係するなんて、生活態度に問題ありすぎ。おまけに一応思い出したみたいな記憶も、けっこう問題があった……。
「あぁ? 俺は魔力耐性強い女寄越せとしか注文したことないぞ。それにおまえ、日本語どころか、英語さえ通じてなかったよな? あんまハイハイばっかだったから、てっきり第三国が無茶ぶりで送り込んできたハニトラ工作員だと思ったぞ」
だからさぁ、ハニートラップとかさぁ、そういう罠仕掛けられる立場だってわかってるなら、信用できる女性と付き合えばいいのにさ……。
前世の堅実なおばさん的には罠は避けるものっていうか、そもそも地雷原に近づかない、君子危うきに近寄らず! なのに、あえてハニトラに飛び込むって、このゴリラ、ほんと単細胞ダンジョンバカ!
「っ、ハイしか言うなって言われてたんだろ! すっごい偉い人相手だからって……!」
沙華さんは果敢に立ち向かおうとしてるんだけど、傲慢この上ないゴリラは野生の獣そのものだった。
「あー、なる。わかった。単なる接待要員だったのか。なら、惜しいことしたな。面倒なバックがいないなら、あのまま一晩楽しんだのに」
「っ、冗談じゃない! あんたの相手なんて二度とごめんだ!!」
「そうか? 俺はよかったぞ。やっとわかった。おまえの体臭、これが女の匂いってものだったんだな」
にやりと不敵に笑って、宵司は沙華さんの首筋にもう一度顔をうずめた。
「なっ……!?」
沙華さんの白い肌が瞬時に耳まで赤く染まる。
なんかさぁ、あとで白絹お祖母様が子守唄代わりに愚痴ってたんだけど、このときって最初は白絹お祖母様も闇王パパも、憲法でさえ宵司をとめるつもりだったらしい。実際、憲法が魔法陣だか魔道具だかで行動制限しようとしてたけど、限界突破したゴリラに術を破られた。
だけど、黒玄家の人々のそれまでの認識では、沙華さんはあくまで守られるべきか弱い存在。
なのに、レベルカンスト、これまで以上に人間離れした宵司と真正面から向き合って、沙華さんは自力で立ち上がった。
恐怖ではなく、怒りに身を震わせて。
それって、相当ありえないことなんだって。
たぶん同じことができる女性はわたしだけ。白絹お祖母様だって今の宵司と一対一で向き合うには魔道具の助けが必要。
男性だったら闇王パパとか憲法とか世界ランクトップテン以内の冒険者とか、魔医療師の竜胆叔父様とかなら可能かもしれないけど、女性で最高位の冒険者でも今の宵司に素で向き合えば体内魔素バランスを崩すかもしれない。
なのに、沙華さんは宵司に言い返すことさえした。宵司を世界の冒険王と畏怖せず、ただ一夜の客だった男として。
地位も名誉も財産も能力も、容姿にさえ恵まれた黒玄家の三兄弟はありとあらゆる女性を選び放題。
女性に媚びて機嫌を取られることはあっても、怒鳴られることはほぼない。あるとすれば、母親オンリー。白絹お祖母様とばあやだけ。
って、まあ、要はわたしが見てるのとはぜんぜん違う外面がこの三兄弟にはあるみたい。世間一般の人は彼らをふぬけゲスストーカー扱いしないみたいなんだよね……。
でも、それって、将来わたしが『娘から見た父と叔父たち』みたいな暴露本書いたらベストセラー間違いなしってことぉ? もう媚びるのやめて、自力で生きていく未来設計?
……って、媚びるって、わたし、結局、媚びたことあったっけ? 闇王パパには構って構ってって甘えることはあるけど、あとの二人って……うん、まあ、深く考えなくていいや。
話を戻すと、だからこの時、周囲は宵司に立ち向かった沙華さんを見守ることにして、空気の読める月白お兄様はわたしを抱っこ。自分とわたしの唇にそうっと指を当てた。
こういうちょっと王子様っぽい仕草も月白お兄様なら似合うよ! ゴリラはぜんぜん無理だけど!
まあでも、そのゴリラ、子供の目から見ても、めっちゃ目をギラギラさせて楽しそう。
「よほど強い魔物ならまだしも、人間が臭うなんて初めてだったからな。訓練された工作員が魔力隠して近づいてきたんだろう、ハニトラお疲れって、ああ、手元にあった金もばらまいたかもしれねーな。けど、さすがに気に入った女じゃなきゃ、その場でチップ渡したりしねーぞ。現金なんざろくに持ち歩いてねーし、後で支払いに上乗せしとけって伝えるのがせいぜいだ」
まさしく獲物を狙うハンター! 誰がどう見ても、美女に興味を持っているのは歴然な野獣。
「この部屋中に漂うそこのチビの乳臭さには負けるし、おまえも今は乳の匂いの方が強いが、ちゃんと女の匂いもする。ああ、そうだな。これがいい匂いってもんなんだろうよ。おまえ、俺の女になるか?」
「は? な、に……」
「次に帰ってくる約束はしない。だが、今から地上にいる間はおまえだけが俺の女だ。今夜は思い出深い金沢に行こう」
「……っ、ざけんな! あんたなんか、一生お断りだ!!」
でも、口説くっていうか、言い方が小学生……っていったら、月白お兄様に失礼か。
宵司の俺様発言にさらに怒った沙華さん、ぶんって頭振って、「あんたのことより、ミルクが心配!」って部屋から出てっちゃった……。
「警備の手配もある。私が送ろう」
闇王パパはすぐに沙華さんに続いて退室。うん、やっぱりパパは紳士的!
で、二人が出て行ったあとで、シーンと静まり返る室内。
そこにふうっと落ちたのは白絹お祖母様の深いため息の音だった。
「宵司の威圧に耐えられる女性なんて、もう二度と現れないのに、においだのくさいだの、最低すぎるほど最低ね。おまえはもうどこかのダンジョンでモンスターに看取ってもらって死になさい」
「もともとそのつもりだ。それに俺に喜んで抱かれる女はこの世に星の数ほどいる」
でも、宵司の発言を憲法が完全否定。
「いや、今回のレベルアップで宵司兄さんのカテゴリーは人類最強から天災級モンスターに変更だ。普通の人間なら死んでいるレベルで魔力を抜いたはずなのに、それでもさっき僕の魔道具の最大出力振り切ったからね。今の宵司兄さんが興奮状態になれば、相手の女性は心臓麻痺で即死する。だけど、僕は当面、真珠や竜胆用の魔道具で忙しいから、宵司兄さんに対応した制御装置は作れないよ」
さすが憲法! 言葉まったく選ばない! カテゴリーが人類最強から天災級モンスターって、もう本気で人間扱いしてない!!
「あぁ? なら、今回の休みはカジノツアーだな。あそこなら相当特殊な魔道具が……」
「実の父親でもない憲法が真珠のために身を粉にして働くって言ってるのに、宵司、おまえは? まさか自分と血の繋がった、この世でただ一人の奇蹟のように愛らしい娘を放っておいて、どこぞのカジノでギャンブル三昧なんてしないわよね?」
白絹お祖母様に問いただされて、はたとわたしのほうを見る宵司。
でも、このダンジョンバカに連れられてピクニックがてらのダンジョンなんてお断りだから、お手てフリフリ魔法の呪文!
「ちょーじ、ごあぇい! ぐばい!」
「……っ、そうだな。ガキには躾が必要だな。おい、チビ、実の父親が口の利き方を教えてやるから感謝しろ。まずはありがとうダッドからだ」
えー、真珠ちゃん、ゴリラにお礼言う必要性これっぽっちも感じないしぃ、もぉじっとしてるの飽きちゃった。パンダで遊ぶ時間なの!