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番外編④ 胸のモヤモヤ


 思い返せば、たぶんあたしの最低最悪なムリゲー人生はミルクに出会った時から変わったんだと思う。


「なるほど。被害者保護プログラムが働いて、きみの足取りが掴めなくなっていたのか。看護実習生までは口止めされていなかったようだが、あの病院の医師や助産師はきみについての情報をうまくごまかしてくれたらしい」


 手錠をかけてパトカーで連行されると思ったのに、黒玄憲法って人があたしを連れて行ったのは見たこともないような立派な車の中だった。

 ていうか、これ、車?

 小型バスくらいの大きさで、駐車場からふわっと宙に浮かび上がってそのまま空飛んでる。運転席と仕切られた後部座席はほとんど高級ホテルの一室。めちゃくちゃ広くて、ゆったり身体を預けられるソファが向かい合わせに設置されている。あたしは拘束されることもなく、その座り心地のいいソファでふつうにミルクを抱っこしていた。

 運転席には別の人がいるみたいだけど、後部座席にいるのはあたしとミルクと黒玄憲法だけ。あたしの向かい側の席でその人は眼鏡を外してタブレット端末を操作している。


「うちから探りを入れたことできみに犯罪組織の追手がかかったのかと、マドレーヌ・マリー及びマリアに関する警戒レベルが上がっている。ああ、だが、お役所仕事にしてはよくできている。相済沙華は完全に別人として登録されているから、マドレーヌ・マリーから相済沙華にたどり着くのは不可能だ。となると、この先の被害者保護のためにピッドカードの個体情報書き換えをどの管理者権限まで落とすかが問題になるが、それよりモラルの問題か。倫理観、道徳心、上位管理者の人間性だけではなく、家族や友人知人についても定期的にチェックするシステムを構築するとなると、手っ取り早いのは金融機関と病院の全データを紐づけて……」


 長い指でタブレット端末を操作するその人がひとりで喋ってる話の内容はさっぱりわからない。

 だけど、知らない男の人と一緒にいるのにミルクが泣いていない。ただもうそれだけで完全な敗北感。


 あたしが抱っこしていても、母子寮の庭先で警備の男の人が通りかかっただけで泣くミルクなのに、これだけ近い距離にいても普段通り。むしろ、じいっと興味ありげにそっちを見てる。これって、やっぱり血のつながった人だからだよね。でも、あたしにしかなつかない子が初めて会った男の人を特別扱いするのって、すっごいモヤモヤする。


 ていうか、今からどこに行くんだろう。警察だよね。牢屋だよね。ミルクを抱っこできるの、これが最後になるんだよね。泣きたい泣きそう。


「ああ、そういえば、こういう時は相手の信用を得るためにまず自分の話をした方がいいんだったな」


 あたしが暗い顔してるのに気づいたのか、黒玄憲法は端末画面から目を上げて綺麗な作り笑いを浮かべた。


「黒玄グループって企業グループは知っているよね。僕はそこの偉い人の一族の人間で、魔道具関連の仕事をしていて、本業と趣味と特技が露茄のストーカーだ」

「……は?」


 ストーカーって言葉の意味はたぶんわかってる、つもり。

 時々客がストーカー化したとかお姉さんたちが話してたし、お店の人もストーカー対策がどうたらこうたら言ってた。

 だけど、この人、黒玄グループの偉い人で、なのに本業と趣味と特技がストーカーってなに? てか、アキナって誰?


「ああ、露茄っていうのは僕がこの世でただひとり愛する女性で、今は肉体的に離れ離れになってしまったけど、精神的には永遠に夫婦なんだ。露茄と僕は二十七年前の四月、お互いに三歳の時に運命的に出会ってね。僕の人生はそれからずっと彼女のためにあったし、この先も彼女の弟や彼女の子供たちの幸せのためにあるようなものだ。だから、露茄の娘であるその子が母と慕うきみに危害を加えるようなことはしないし、可能な限りきみの希望に沿うようにするよ」


 なんでかな。この人がさっきひとりで話してたことより、言葉の意味はわかる気がするけど、やっぱり人種の違う人っていうか、話が通じてない気がする。だいたいさ、あたしの希望って、なに?


「や、あの、あたしのとか、そういうのじゃなくて、この子、あなたの娘、なんだ……じゃなくて、ですよね?」

「話しやすい言葉でいいよ。言葉なんてどうせどんなに懇切丁寧に説明しても伝わらない時は伝わらないから、それくらいなら単語だけで意思疎通したほうが合理的だ。ああ、だが、その点、きみの産んだ娘はコミュニケーション能力がずば抜けて優れているね。あの子の笑顔の『あーと』は露茄の『ありがとう』に匹敵する訴求力がある。もちろん、僕にとって露茄に勝る存在はないけどね」


 腕の中のミルクが急にずっしり重くなった気がした。罪の重さっていうのかな。

 でも、あたしの産んだ娘って、あの子、ミルクと同じように大きくなってるんだね。喋ったり笑ったりするんだ。そうか。よかった。


「あ、あの子、ちゃんと育ててもらってるんだ。あ、や、も、もちろん、あたしよりずっと立派に育ててもらえてるだろうけど、そのっ……」

「まあ、今のところあの子にとって最大の脅威は僕じゃないかな。一歩間違えれば死んでいたし、むしろきみが赤ん坊を取り替えてくれていなかったら、僕は我が子を殺していたかもしれない」

「はあっ!? や、あの、冗談、だよね?」


 この人、なに言ってるんだろう。面と向かって会話しているはずなのに、なんかずれてるっていうか、ものすごく整った顔で笑っているのにそういうお面をかぶってるみたいな違和感。


「僕にとって大切なのは露茄だけだから、我が子を犠牲にして彼女が蘇るならすべてを捧げるだろう。だけど冷静に考えれば、誰かの犠牲の上に僕と再会したとしても、彼女は喜ばない。捨てられるだけならいいけど、今度は彼女の命と引き換えに子供を蘇らせるように迫られそうで、さすがに諦めたよ」


 目の前のあたしを見ていないっていうか、本人の言う通り、この人の人生はアキナさんのためだけにあるんだろう。

 でも、ミルクの母親でもあるアキナさんは死んじゃって、だから、絶望? なんか、もうぜんぶ諦めてて、人生どうでもいいような投げやりさ。

 ぜんぜん状況が違うけど、この人、あたしとちょっと似てるものを抱えてる気がする。


「それって、じゃあ、なにかを犠牲にしたら、アキナさんを生き返らせることができるの?」

「僕の望むのは外見だけの露茄ではなく、過去のデータを元に露茄の思考を予測して動くロボットでもなく、露茄の生きていた時間軸そのものに戻ることだ。だから、何を犠牲にしても成し遂げたいのは死者の復活ではなく、時間逆行になるが、そのために犠牲にしたものは戻らない」


 難しすぎてわからないけど、それって犠牲にするものが我が子じゃなければアキナさんは許してくれるよね。っていうか、バレないよね。


「それ、あの、あたしのこと、使っていいよ。あたしをいけにえにして時間を戻せたり、しない?」

「きみを生贄に? どうしてきみが命を捧げるんだい?」

「だって、あたし、犯罪者だから。赤ちゃん取り替えて、すごく悪いことしたから、せめて、その、いけにえとかで役に立つなら許してもらえるかなって。ミルクも本当のお母さんに会いたいだろうし……」


 あたしの人生、もう終わってるし、最初からなかったことになってもいい気がしたけど、黒玄憲法はすこしだけ面白そうに言った。


「きみが罪を犯したことを否定する気はないけど、その罪を責める人も、究極のところ被害者も我が家にはいないよ」

「え? でも、ミルクの本当のお母さんが……」

「露茄が生きていたらきみの産んだ赤ん坊をさぞや溺愛したことだろう。ストロベリーブロンドにロイヤルパープルの瞳なんて、たとえお金を払ったとしても手に入らない珍しい色合いだ。しかも幼くしてあの美貌だから、あの子を着せ替え人形にするのが忙しくて、東洋人の外見をした自分の実の娘がこの世に他に存在すると考える暇さえなかっただろう」


 なんか、この突き抜けてよくわからない人が惚れこんだ女性なんだから、アキナさんも突き抜けてすごい人だったんだろうなって気がした。

 でも、それってあたしが産んだ赤ちゃんって、やっぱりミルクとは見た目がぜんぜん違うってことだよね。


「もしかして、あのCMの赤ちゃんって……?」

「ああ、きみが産んだ赤ちゃんだよ。髪も瞳も肌も顔もそのまま、一切の加工なしであの美貌と愛嬌だから、逆にCG合成だと信じられていて面白い。おかげで闇王兄さんにお人形遊びが趣味の変態説まで出てきたから、さすがにフォローが必要かな」


 生まれたてほやほやのときはミルクと同じように見えたのに、あたしの産んだ赤ちゃんはあのCMのお人形さんに育ったらしい。

 なのに、この人の家族はガイジンの見た目の赤ん坊を受け入れて、あの子は可愛らしく笑っている。


 よかったなって思うけど、なんでだろう。胸がモヤモヤする。きゅっと締め付けられて苦しい。


 実際にその子に出会ったら、胸の苦しさはもっとひどくなった。

 でも、その前にホテルっていうか、お城みたいにいくつも建物が並び立ってる黒玄家のお屋敷のどこかのエントランスホールで冒険王に会った。

 なんで冒険王がここにいるのか不思議だったけど、そういえば冒険王は黒玄三兄弟の真ん中。長男が皇帝陛下、三男が発明王で、ミルクのお母さんは発明王の三男のお嫁さんってジョサンシさん、言ってたっけ。

 だけど、あいさつどころじゃなく、


「うぎゃああああぁーっ! うぎゃぎゃーっ! ぎゃぎゃーっ!!」


 って、ミルクが死にそうな声で泣きはじめた。

 ついさっき、車が建物の前に降りて、黒玄憲法の手を借りて車から降りるときだって、ミルク、ニコニコしてた。たぶん一時間くらいは車の中にいたけど、そのあいだ一度もぐずらずにおとなしく抱っこされてた。


 市役所で待ってたあいだにオチチあげたし、おむつも交換してもらったあとだったとはいえ、ミルクがお昼寝もせずにこんなにご機嫌なのってめちゃくちゃ珍しい。

 だから、実の父親は特別なんだな、血の繋がりってすごいなって思ったんだけど、同じく血がつながってるはずの冒険王を見て、ぎゃぎゃって泣いて顔を真っ赤にしてふんぎゃー叫んで、手足バタバタさせながら体中でぐずって嫌がる。


 そしたら冒険王の横にいた六十歳前後の女性が、


「い、いやっ! 宵司そっくり!!」


 って、両手で耳を抑えて小走りに背後の階段を駆け上がっていった。

 なんなのか謎すぎるけど、ミルクを泣き止ませようと必死であやす。だけど、ぜんぜん泣き止まない。


「宵司兄さんが近くにいるとまともに会話できそうにないから、赤ん坊が寝るまで席を外していてもらえるかな。いや、離れに兄さんの魔力を遮断する結界を張るから、その間にこれでもチェックしておいて。彼女のデータと該当組織とおおよその顧客情報。末端の構成員は兄さんの方から手をまわしてもらったほうが早いだろうけど、放っておいてもリスクは低いね」


 黒玄憲法はスーツのポケットから小さな端末を取り出して、冒険王にぽいっと投げた。そして、あたしとミルクをこの家の離れの応接間に連れていく。

 ミルクはその道中もずっと泣き叫んでたけど、黒玄憲法が部屋の隅の置物みたいなのに触れたら、突然、静かになった。きょとんとして可愛いけど、涙と鼻水とよだれで顔中ベタベタ。


 オムツとかの赤ちゃん道具一式が入ってるバッグは車から降りるときに黒玄憲法が当然のように受け取って運んでくれた。今もミルクを抱っこしたあたしを先にソファに座らせてから、横にバッグを置いてくれる。こういうのレディーファーストっていうんだっけ。気遣いできる人だね。でも、それより、ミルクの顔拭いてあげないと。


 バッグからウエットティッシュを出そうとしたら、いつのまにか傍にいたメイドさんらしき人がおしぼりを差し出してくれた。ほんのりあったかい。


「え、あ、ありがとう」

「こちらに飲み物と軽食も用意してありますが、洗面所にご案内しましょうか? あちらにオムツや着替えも準備してあります」


「え? あ、だいじょうぶ、かな。泣きやんだばっかだし、このまま抱っこしてたら寝そうだから」

「では、他になにかご希望のものがございましたら遠慮なく申し出てください。ベビーベッドはすぐにこちらに持ってまいります」


 この家って部屋だけじゃなくて、働いてる人もホテルの従業員以上に親切丁寧。立派なベビーベッドも準備してくれた。だけど、ミルク、あたしから離れると起きちゃうからね。


 軽食として準備されたサンドイッチを食べながら、ミルクをゆらゆら寝かせる。

 黒玄憲法はそのあいだ同じ部屋にいたけど、タブレットとか小型パソコンとかいろんな端末を操作して忙しそうだった。でも、あたしとミルクが落ち着いたのを見計らって、あたしを我が子に再会させてくれた。


「僕から紹介した方がいいかな。こちらの女性がDNA上、真珠の母親に当たる沙華さん。沙華さん、あちらの赤ん坊を抱いているのが僕の母親で、隣が僕の息子。あの赤ん坊がきみの産んだ子供だよ。あとの人は真珠の育ての親みたいな人たちだけど、きみが関わることはないから気にしなくていい」


 さっき冒険王の横にいた老婦人がお人形みたいな赤ん坊を抱っこしてて、隣にすっごく綺麗で賢そうな男の子とやさしそうなおばあさんが座ってる。

 いや、その老婦人もおばあさんもたぶん年齢は相済のおかあさんと同じ六十歳前後。なんだけど、老人とか言ったら失礼になりそうなくらい上品な和風美人で、その老婦人が黒玄憲法の母親なんだって。


 向かい側のソファーのうしろには背の高い女の人も立ってるけど、黒玄憲法はその若い女性とやさしそうなおばあさんを『真珠の育ての親みたいな人たち』ってひとくくり。

 で、その『マジュ』が赤ちゃんの名前っぽいけど、黒玄憲法ってこういうの向いてないっていうか、この人にとってこういうぜんぶが本当にものすごくどうでもいいことなんだろうね。

 その同じような熱のこもってなさで「沙華さん、きみ、僕と結婚するかい?」なんて言うし。


 一応さ、客から『専属の愛人にしてやろうか』とか言われたことはあるけど、冗談でも『結婚』って言葉を言われたのは初めてだったから一瞬、ドキッとした。男の人に『沙華さん』って呼ばれ方するのも初めてだから。

 だけど、それより謝らなきゃ。

 父親である黒玄憲法にとってどうでもいいことでも、ミルクの祖母に当たる人には孫の取り替えなんて重大事件。あたしのこと、許せないよねって思ったんだけど、


「あなたが宵司を訴えたいなら弁護士から何から全面的に協力するけど、その前に真珠をわたくしに! ああ、そうだわ。あなたをわたくしの養女にすればいいのよ。そうすればこの先何があっても、真珠はわたくしの孫になるわ!」


 黒玄憲法の母親はやっぱり黒玄憲法の母親だったみたい。

 ここんちの人たちってなんか庶民とは感覚が違うのかな。てか、あたし、庶民ですらない底辺の生まれ育ちだから見当もつかないけど、お金持ちって犯罪者に関わりたくないよね。養女とか冗談なんだろうけど、黒玄憲法といいそのお母さんといい、わけわからなすぎ。


 それにしても、あたしが産んだはずの赤ちゃん、あたしの子供とは思えないくらいに可愛い。

 この家でやさしい人たちから大切に大切に守り育てられてるからか、初めて会うのも同然なあたしがここにいても人見知りせずにニコニコ。ピンクの髪に紫の瞳って、ほんとにお人形みたい。ものすごく綺麗で天使みたい。


 だけど、ぜんぜん、日本人じゃない。

 その赤ちゃんは完全にガイジンの見た目なのに周りのみんなに愛されている。

 なんだろう、この胸のモヤモヤ。痛くて苦しい。


 あたしはガイジンだから親に捨てられて引き取り手もいなくて、だれからも受け入れられなくてショウフになるしかなかった。

 なのに、あたしと同じようにガイジンの見た目で、しかもこのあたしみたいな底辺の人間から生まれてきたのにだれからも愛されている子がいる。


 この差ってなに?

 自分が悪いことをしたから罰を受けるのは当然だと思ってた。だけど、なんでかなにもかも嫌になる。


 だけど、そしたら、ミルクがふえって。

 あたしのちょっとした感情の変化に敏感に反応して、腕の中のこの子はきっとあたしの代わりに泣いてくれてるんだろう。全身全霊であたしを見て、あたしを必要としてくれる赤ちゃん。

 そうだ、あたしはミルクのお母さん。

 この子は、この子だけはあたしだけを愛してくれる。それに、相済のおかあさんだってあたしのこと娘にしてくれるって。

 だから、あたしもがんばらなきゃって思ったんだけど、


「ああ、そうか、きみは真珠の父親が誰かわかっていなかったんだね。ついでに、兄さんの名前も。さっき玄関にいた僕の兄が宵司って名前で、きみの娘の実の父親だよ」


 黒玄憲法の言葉で頭の中が真っ白になった。

 あたしが産んだ赤ん坊の実の父親。それイコール冒険王のおっさん。

 そんなのぜったいありえない!って組み合わせだった。


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