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番外編② ヒガンバナの名前


 母子寮の裏庭に真っ赤な花が咲いていた。

 シセツにいた頃からあたしの髪は脱色されてて、金髪っていうより白っぽくなってたけど、根元のもともとの色は赤い。

 だから、その赤い花の名前がいいって頼んだ。


「綺麗だけどあの花、彼岸花なんだよねぇ。そのままじゃ縁起が悪いって思われるかもしれないから、別名の曼珠沙華から取って、沙華さえかって名前はどうだい? 相済あいすみ沙華、苗字は私からだけど、読み方が難しいから、もっとふつうの名前の方がよかったら、別のにすることもできるよ」

「あいすみ、さえか。なんか、すごく日本人っぽい名前だね。あたし、その名前がいいな」



     ◇◇◇◇◇



 あの日、生まれたばかりの赤ん坊を抱いて手術衣姿で病院内をよたよた歩いてたあたしは、すぐに制服姿の看護師さんに声をかけられた。


「大丈夫ですか? 赤ちゃんとお母さんは優先的にシェルターに入ったはずだったのに、ああ、赤ちゃん、産まれたばかりなんですね。こんな状況ですけど、おめでとうございます。もうちょっと歩けますか? 車椅子が全部出払ってて、ごめんなさい。よかったら、赤ちゃんは私が抱っこしますけど?」


 歩ける大丈夫って言ったら、そのまま分厚い扉を幾つもくぐって避難シェルターに連れていかれた。

 わりと広い場所だったけど中には人がいっぱいで、あたしは他の赤ちゃん連れのお母さんが集まってるところに案内された。

 看護師さんが水と食べ物をくれたけどなんかすっごい眠くなって、気がついたらテントの中の簡易ベッドに寝かされてた。


「ああ、よかった。お母さんが起きて。オムツは替えたんですけど、この子、泣き止まなくて。哺乳瓶も合わないみたい。お母さんのおっぱい試してもらっていいですか?」


 あたしが寝てる間に看護師さんが赤ん坊の世話してくれてたみたいだけど、今は顔を真っ赤にして泣きわめいてる。なのに、あたしが抱っこして乳首含ませたらすぐ泣きやんだ。

 ちっちゃな口で一生懸命吸い付いて、ゴクゴク喉ならして可愛い。すくなくともこれまで相手してきたどの男より可愛いし、おっぱい吸うのも一番うまい。知らないあいだにパンパンに張ってた胸の痛みがすうっと引いて、ぐんぐん気持ちよくなっていく。


「すごいですね。さすがはお母さん。ところで家族と連絡を取る方法はありますか? スタンピードは収まったんですけど辺り一帯ひどい状況で、この病院もこのシェルター以外の部分はほとんど壊れてしまって……病室の荷物も全滅だと思うので、もし家族の携帯番号がわかるようでしたら衛星電話をお貸ししますよ」


 たぶんここで『職場の人』って聞かれたらその後の人生は違っていたんだろうけど、『家族』って聞かれたからあたしは正直に答えた。


「家族って、そういうのいないよ。あたし、孤児だから」


 その途端、看護師さんの顔つきが変わった。


「わかりました。では、すこしあなたについてのお話を聞かせてください。大丈夫です。この病院では母子保護活動にも力を入れています。あなたとあなたの赤ちゃんの人生を守るために私たちは全力を尽くします。話したくないことは話さなくていいですから、答えられる範囲で質問に答えてくださいね」


 いくつか質問されて、年齢はたぶん十七歳くらい、シセツ育ち、仕事はショウフ、赤ん坊の父親はわからない、シセツでもショウフと同じホウシしてたって話したら、あたしは『母子生活支援施設』ってところで保護されることになった。


「残念ながら今の日本ではダンジョン崩壊の混乱を狙い、犯罪組織が女子供を誘拐する事件が多発しています。それでも世界の他の国々に較べればましだと言われていますが、日本には活断層が多いですからね。比例してダンジョンも多く、ダンジョン資源も多く得られる分、世界中から冒険者とその富に群がる闇社会の人間が集まってきます」


 難しい話はわからなかったけど、あたしをこの病院につれてきてくれたジョサンシさんとか、この病院の人たちはあたしみたいな妊婦に慣れてたんだって。


「言い方は悪いですが、ダンジョンでひと稼ぎした冒険者は手っ取り早く欲望を発散するためにギャンブルや性サービスに大金を使います。そのため、ダンジョン街には違法な風俗店も多く、犯罪に巻き込まれる女性も多く存在しています。定期検診を受けずに出産に至った女性に関して言えば、十人中十人がシェルターで一時保護されて、その後、母子生活支援施設で赤ちゃんと一緒に暮らすことになるというのが現実です。あなたのような女性は決して珍しくはないんです、マリーさん」


 あたしは犯罪被害者で、だから赤ん坊と一緒に母子生活支援施設の母子寮で衣食住の面倒をみてもらえるらしい。


「しばらくは赤ちゃんに手がかかるでしょうが、母子寮では自立のための職業訓練を受けることもできます。犯罪組織から身を隠すために名前を変えて、新たな戸籍を得ることもできます。マリーさんの外見だと海外で暮らすことも視野に入れた方がいいかもしれませんから、外国語の勉強でもいいかもしれませんね」


 いや、外国はイヤだな。見た目がガイジンだからって、外国語で話しかけられたり、日本人以外の男の相手させられることも多かった。まあ、言葉に関しては日本語だって難しい言葉はわからないし、下半身にはどうせ言葉が通じない。

 だけど、客は日本人がいい、それもソーローで一回こっきりで寝るおっさん、っていうのがショウフ仲間との定番ネタ。

 キョコンのゼツリンがいいって子もいたけど、仕事とカレシは違う。仕事はオカネのためなんだから、楽して稼げる方がいい。気持ちいいことはカレシとすればいいって話になった。あたしにはカレシいたことないけどね。

 オカネのこともお店の人任せだったからチンプンカンプンで、そういうあたしみたいに無知なやつのために母子生活支援施設があるんだって。


 寮母の『おかあさん』が管理している『あいすみ母子寮』は居心地のいいところだった。

 おかあさんのほかに看護師さんとか保育士さんとか調理師さんとかが住み込みで働いていて、通いでやってくる勉強の先生とか掃除の人とかも全員女の人。

 一応、建物の外には警備の男の人が立ってたけど、建物内は女性専用で、受付で警備やってるのも女の人って徹底ぶり。

 とはいえ、男が入れないわけじゃない。ここの母子寮は基本的に母親と小学校入学前までの子供が暮らすところだから、ちっちゃい男の子は建物の中をうろうろしてる。

 でも、シセツでもそうだったけど、ちっちゃい頃って女の子のほうが成長早いから、喧嘩して負けて泣いてるのが男の子。意外と赤ちゃんを気にして、可愛がってくれるのも男の子の方が多かった。


「えー、この子、ミルクって名前? ヘンなの! しょうらい、ぜったいグレるよ! かわいそう!」

「えー、ミルクじゃダメかな? 可愛いと思ったんだけどな」


 いずれあたしが自分の名前を変えることになるから、赤ちゃんはあたしの好きな名前で呼んで、あとで一緒に新しい名前にすることができるって言われた。だから、思いついたのは『ミルク』。

 だって、この子あたしのオチチ大好きだし、『オチチ』より『ミルク』のほうが可愛いと思ったけど、母子寮の子供たちにはめちゃくちゃ不評だった。


「マリーちゃん、センスない! 名前、ほかの人に考えてもらったほうがいいよ。ぼくもここに来るまでは『かいざあ』とかありえない名前だったけど、おばあちゃんが『皇太こうた』ってかっこいい名前つけてくれたんだよ。おばあちゃんはこーこーのこくごのせんせーだったんだから、おばあちゃんにいい名前つけてもらいなよ!」


 寮母のおかあさんは子供たちからは『おばあちゃん』って呼ばれてた。

 疑似家族。

 この母子寮は家族に恵まれなかった女性が基本的な愛情から学んでいくところで、子供が小学生になったら別の母子寮に移ることになるけど、その後もいつでも遊びに来ていいんだって。『里帰り』っていうらしい。


 まだ寒い季節にそこに入ったけど、春休みとかGWとか夏休みとか、子供の長期休暇のたびにたくさんの母子が里帰りしてきた。

 おかあさんはいつもニコニコ嬉しそう。娘も孫もすごく多いのに、名前呼び間違えることもなくて、全員を可愛がってくれる。時には叱り飛ばすこともあるけど、やっていいことと悪いことと、ちゃんと理由を説明してくれる。毎日一緒にごはんを食べて、娘たち全員の話を聞いてくれて、孫たちを抱っこしてお風呂に入れてくれて、すごくすごくやさしい。


 これって、オカネの問題じゃないんだって。

 この母子寮に入ってきた女の子は全員おかあさんの子供で、その時点でもう一度おかあさんのおなかから生まれなおしたことになるから、おかあさんの愛情をいっぱいもらっていいって。

 子供からの愛情がおかあさんへの報酬になるんだけど、それとは別に食べていくためのオカネも国からもらってるから心配するなって。

 そういうの、ほんとにわからなくて、小学校入学準備の勉強してる子供たちと一緒に読み書き習っても、あたしが一番できなかった。でも、子供たちに馬鹿にされるあたしをおかあさんはぎゅっと抱きしめてくれた。


「マリーはディスレクシアなんだね。文字が読めないのはハンデだけど、だからってマリーの頭が悪いってわけじゃないんだよ。なあに世の中、便利な道具がいくらでもあるから、道具の使い方を練習していこう。ただ、まあ、自分の名前は書けるようになった方がいいから、どうせ覚えるならその前に新しい名前をつけようか」


 あたしのうろ覚えの記憶からおかあさんや役所の人が色々調べてくれたけど、結局あたしがどこの誰でどこで生まれ育ったかとかはわからなかったらしい。 


「マドレーヌ・マリーって名前の身分証も違法の偽造だったし、警察や役所にもだいぶ調べてもらったけど、マリーがマリアって呼ばれてた施設もどこにあったのか掴めなくてね。医者の話じゃ、マリーが十七、八っていうのは確かだろうってことだから、そのくらいの年齢で行方不明届の出てる子も当たってもらったけど、該当する子はいなかった。だから新しく戸籍を作るのに問題ないって許可が出たよ」


 あいすみ母子寮に来て半年、季節はちょうど秋になろうとしていた。

 シセツでもハケンのお店でもほとんど部屋の中にいたし、たまに外に出ることがあっても車からすぐ建物の中に入っていたから季節の変化とかよくわからなかった。

 だけど、子供たちと庭で遊んだり、家庭菜園のお手伝いしたりしているうちにあたしは全身そばかすだらけになった。日本の夏の日差しは特にあたしみたいな肌の人間にとっては危険らしい。

 でも、日に当たった肌にできていく点々って、むしろあたしの肌を守ってくれてる気がした。夏の間に髪もばっさり切ったから完全に赤毛になったし、『金髪碧眼のガイジンショウフ』だったマリーとは見た目がすっかり変わって、自分が別人になったみたいで嬉しい。


『相済沙華』


 おかあさんが赤い花にちなんでつけてくれた名前も完全に日本人っぽかった。この名前だったら日本人としてこの国で生きていける気がした。

 沙華をサエカってカタカナにするか聞かれたけど、漢字のままにしてもらった。お手本を見ずに書けるようになるまで三カ月かかった。その分もミルクの名前はなるべく簡単な漢字をお願いした。


「ミルクの名前って、一番好きっていうような意味がいいな。一番可愛いっていうのでもいいけど、あたしが一番好きなのってミルクだから、そういう名前で、でも、あんまり漢字が難しくないのってある?」

「そうだねぇ。沙華と一文字同じにすれば、覚える手間が減るから、『一華いちか』っていうのはどうだい? あんたにとって一番可愛い花って、あんたの名前も沙花にして、この子を一花、花の字で揃えてもいいかもしれないね」


 おかあさんが紙に書いてくれた字は一華も一花もどっちもきれいだったけど、一花のほうが雰囲気が可愛い気がした。ミルクにぴったりな気がして、ミルクは『相済一花』って名前にしてもらった。

 でも、あたしの名前は沙華。

 ヒガンバナっていう花は毒があって、不吉な花とみなされることもあるけど、別名の曼殊沙華っていうのは昔の言葉で天界の花って意味なんだって。あたしはすごくきれいな花だと思ったけど、そう思わない人もいる。

 あたしはずっと金髪碧眼の性的対象として見られる存在だったけど、赤ん坊を産んでからは犯罪に巻き込まれた犯罪被害者として扱われるようになった。あたしはあたしだけど、見る人によって受け取り方が違う。そういうのもこの赤い花と似ている気がして、自分にぴったりな気がした。


「沙華は頑張り屋さんだね。自分の名前だけじゃなくて、一花の名前もこんなに上手に書けるようになって。あんたももうすっかり一人前の母親だね」


 お正月に子供たちと一緒に書初めで自分とミルクの名前を書いたら、おかあさんからいっぱい褒めてもらえた。

 ミルクは半年以上、ミルクって呼んでたからか、一花って新しい名前で呼んでも反応しない。だから、呼び名はミルクのまま。あたしのおっぱいを毎日ゴクゴク飲んで、元気に大きくなっている。可愛い。泣き声はちょっとうるさいけど、あたしが抱くとすぐ泣き止むところもすごく可愛い。

 まずは愛情が最優先だって、あたしは母子寮でおかあさんに甘やかされて、他の人にいっぱい手伝ってもらいながらミルクを育てていた。


「母親になったとはいえ、沙華はまだまだあたしのちっちゃい娘だ。ミルクに手がかかるし、将来のこととか職業訓練とかは当分先でいいだろう。精神年齢はミルクとそう変わらないからね、あんたは」

 

 おかあさんからすれば、あたしはミルクと同じ赤ん坊なんだって。そういうの、くすぐったすぎて、でもなんだか胸がほわんとあったかくて、おかげであたしはすっかり忘れてた。

 ミルクがあたしの産んだ赤ちゃんじゃなくて、あたしは人様の赤ん坊と自分の赤ん坊を取り替えたまぎれもない犯罪者なんだってことを。



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