第28話 まじゅのうた
「まじゅのまは、まほうのま♪ まじゅのじゅは、じゅもんのじゅ♪ ままま、まじゅまじゅ♪ じゅじゅじゅ、まじゅまじゅ♪ まほうのじゅもんは、なあぁに?」
ポロン、ポロンとおもちゃのミニグランドピアノを弾きながら、月白お兄様が自分で作詞作曲したオリジナルソングを歌ってくれる。
寝転がっても気持ちのいい絨毯に座高の低いソファ、おもちゃやぬいぐるみやクッションのほかに、小型滑り台やトランポリンまで加わって、白絹お祖母様の部屋の一角は、すっかりわたしの遊び場になっている。
そのやわらかな色合いの絨毯の上でスライムクアアとぴょんぴょん飛び跳ねながら、わたしは答える。
「にーた、ちゅき!」
「真珠、すごい! 可愛い! よくできました! にーたも真珠が世界一好きだよ!」
月白お兄様はわたしを捕まえて、ほっぺにちゅう!
「キャー! にーた、ちゅき!」
「真珠、好き! じゃあ次は、にーた、だいちゅき!って言ってみようか? いい? だ、い、ちゅき、だよ」
「にーた、だ、だっ、だぁちゅき!」
「うわぁ、大大大好きって言えて、えらいね、真珠! じゃあ、最初から一緒に歌ってみようか?」
幼児用のおもちゃとはいえ、かなり綺麗な音の出るミニピアノ。
それを巧みに弾きながら自作の『まじゅのうた』を歌う月白お兄様と、わたしの幼児らしい高い声。
繰り返される天使のラブソングに、ソファでうっとり聞きほれていた白絹お祖母様からリクエストが入った。
「真珠も月白も本当に可愛いわ。でも、それ、まぁまでもできるかしら? 月白、次は真珠に『まぁま、ちゅき』って言ってもらっていい?」
空気が読める真珠ちゃんは、すぐにたたっと白絹お祖母様に駆け寄る。
「まぁま、ちゅき!」
「まあ、真珠、すごいわ! じゃあ、お歌と一緒にお願いね」
そして、月白お兄様が完璧な音程で歌う『まじゅのうた』に合わせて、「まぁま、ちゅき」から「ばぁば、ちゅき」、「ねーた、ちゅき」まで順番に歌って、最後はやっぱり「にーた、だぁちゅき!」で締めくくられました。
「真珠は本当に可愛いね。なのに、明日から学校かぁ……。始業式よりこうして真珠と遊んでる方がよっぽど有意義な気がしてきた……」
わたしを膝の間に抱えて頬ずりしながら、ちょっとブルーな様子の月白お兄様。
そう、ついに春休みが終わって、明日から新学期。月白お兄様が正式に小学二年生に!
だけど、ピアノもヴァイオリンも弾けて、自分で作詞作曲もできて、英語も完璧な天才児に対応するのって、他の子との兼ね合いを考える先生方のほうが大変だろうね。しかも大企業の御曹司!
特殊な息子三人を育てた白絹お祖母様もブルーな様子で苦労を語る。
「始業式くらいさぼってもいいけど、そうすると翌日の入学式も在校生として添え物で出席する意味が分からないって言い出すでしょうし、時計の読み方から始める小学二年生の算数なんて何の冗談だって、早退して帰ってきたのは憲法だったかしら? それでも憲法は露茄さんに会うために給食の時間は通っていたけど、宵司に至っては体育の授業すら他の子と体力差がありすぎて、結局、毎日ダンジョンで疲れさせるしか……」
一応、月白お兄様は去年の十二月で留学終了。
今年の一月から日本の小学校に在籍していたけど、おうちに家庭教師を呼んだり、オンライン授業を受けたりの個別在宅学習。
月に二回くらい、担任教師との面談やテストのために通学していたらしいけど、小学校のどの教科も小学校卒業レベルなんだって。
国語・算数・理科・社会みたいなお勉強だけじゃなく、図画工作、技術家庭、音楽とか、この世界特有の『ダンジョン基礎学習』みたいな教科まで。
唯一、体育は身長体重が足りないから、小学六年生のレベルに達していない実技もあるけど、その分もスポーツ競技のルールとかの教養分野で圧倒してるから、総合点で小学校卒業能力は余裕。
むしろ、古典漢文含めた国語とか、数学とか、英語とか、主要科目は高校卒業以上。
しかも芸術面でも才能が有り余っていて、音楽教師も美術教師も感動で震えるほどの作品を作り上げたらしい。わたしが今、首からかけてるよだれかけも月白お兄様が家庭科の提出課題で作ってくれたものだよ!
先生泣かせにもほどがあるね、この万能の天才児!
「……うん、でも、そうだね。好きなことだけ極めると、お父様や宵司伯父様みたいに人間性が偏って、将来、周囲に迷惑かけることになるもんね。僕、真珠に迷惑かけたくないから、がんばるよ。だけど、真珠は僕にいっぱい迷惑かけていいからね」
「にーた、いいこ!」
「可愛い! あ、そうだ、真珠。僕が学校から帰ったら、おかえりって言ってね。僕、真珠におかえりって言ってもらうために、小学校という名の動物園でがんばるよ。だから、にーた、おかえりって言える? おかえり」
「にーた、おかぁり!」
「おしい! おかわりみたいになるね。おかわりはね、ごはんが足りずにもうちょっと食べたい時に言う言葉なんだよ。おかわりとおかえり、アクセントの違い、わかるかなぁ?」
月白お兄様は子育てスキルもお持ちのようで、幼いわたしに根気よく言葉を教えてくれる。
その気になれば何でもできそうな、この才能あふれるお兄様の行く末が楽しみでもあり、愛情がわたしに偏るのも問題あるような……でも、黒玄一族が本気になったら、すぐにヒロインが見つかるはずだからね。今はわたし一人に愛情が集中してるけど、月白お兄様の本当の妹が現れれば、また違う状況になるはず。なので、今は遠慮なく可愛がられておきましょう。
「おかぁり……おかぁあり……おかぁぁりりぃ……」
「うーん、もうどっちでもいいか。舌っ足らずで可愛いのって、今だけだもんね。でも、大きくなってもすごい美人になるんだろうなぁ……真珠、大好き!」
「本当に真珠は先が楽しみね。ああ、もちろん、月白、おまえの将来も楽しみよ。いっそおまえが売れない音楽家にでもなるのだったら、わたくしがパトロンとして支援するのに」
うふふ、えへへ、とほのぼのとした朝だったのに、突如、割って入ってくる不協和音。
「平和ボケか、それとも本気でボケ始めたか、クソババア。月白以外の誰が二十年後のダンジョン崩壊、食い止められるんだ。つーか、月白でも間に合うかどうか……不妊対策だか何だかダンジョン入り遅らしてるせいで、最近の若い連中は笑えるほど魔力も戦闘力も低いぞ」
ツンツンゴリマッチョがいつの間にか部屋の壁に寄りかかってた!
不審者の侵入に気づいてなかったらしい、すすきさんや他の護衛さんたちも驚きの表情。高ランク冒険者って完璧に気配が消せるみたい。
口は悪いけど、一応、最近の若者に警鐘を鳴らしてるっぽい宵司。
なのに白絹お祖母様は、ほほほっと高らかに笑い飛ばした。
「世界平和を祈るだけの音楽家は己の無力さを痛感して一人で泣くだけだけど、己の力に酔いしれて全世界を救える気になっている勘違いヒーローは、周囲の優秀な冒険者を巻き込んで全滅するから、たちが悪いわ」
あくまでもにこやかな笑顔で、白絹お祖母様はおっしゃる。
「いいこと、宵司、今のおまえがどんなすごい力を持っていても、一人の人間の能力には限界があるし、この先は年齢とともに能力が衰えていく。それに、おまえ一人で対応するには世界は広すぎる。一人で極めるより、おまえの百分の一の能力の冒険者を千人育てなさい。そして、ボスモンスターと戦い続けてダンジョンコアを破壊するのではなく、それ以外の方法でダンジョン崩壊を防ぐ方法を憲法と一緒に考えなさい」
なんか、壮大な話になってる!
ダンジョン崩壊を防ぐための方法とかって、究極のこの世界平和! 平和の女神の発想! でも、その方法を考えたり、実行するのが自分じゃなくて、息子たちってところがまたトップに君臨する人ならではの、ものの考え方!
哀れ下っ端、使われる立場の宵司は毒づく。
「知るか、んなの! それこそ、あんたや兄貴の仕事だろ!」
「闇王は人類を飢えさせない経済対策で忙しいし、わたくしは真珠がこんなに可愛くなかったら、今頃、とっくに夜壱さんと合流していたでしょうからね」
夜壱さんはわたしのお祖父様。白絹お祖母様の夫で、黒玄グループの二代目で、宵司みたいな凄腕の冒険者だった人だけど、もう亡くなってるよね。つまり、それって白絹お祖母様が死んでいたかもしれないってこと?
「あぁ?」
顔をしかめる宵司に、白絹お祖母様はほほえむ。
「この家に嫁いで、この家の人間の一人として富や権力を思うがまま手に入れて、誰もに傅かれる贅を極めた生活を送って、わたくしはもう充分すぎるほど生きたわ。だから、この歳で竜胆さんの治療を受けるつもりはなかったのだけれど、小春が送ってくれる真珠の映像が可愛くてね。泣き声からしておまえたちとは全然違う愛おしさだったんですもの」
ふふっと伸ばされる白絹お祖母様の腕に、空気の読める真珠ちゃんは喜んで飛びつきます! 可愛らしく甘えますとも!
「まぁま、ちゅき!」
「ええ、真珠、あなたをこうしてこの手で抱っこするためなら、どんな代償を払ってもいいわ。そのせいで竜胆さんが助けられるはずだった若い命を犠牲にすることになっても、罪はすべてわたくしのもの。黒玄グループの負の側面はすべてわたくしが引き受けるから、あなたや月白は黒玄家の慈善団体だけ受け継ぎなさい」
すごい! 白絹お祖母様、わたしを可愛がるために命懸けてる!
黒玄グループ、すごく大きな世界的企業だけど、そうするとトップのお仕事と責任、大変だもんね。月白お兄様、闇王パパの後継者ってことになったら、めちゃくちゃ大変だし、結婚相手もぜったいに苦労する……。
なので、前世庶民なわたしは跡取りのヨメなんて遠慮したいけど、慈善団体で働く人となら結婚してもいいかも?って思えるところが怖い!
宵司はしかめっ面のままつぶやく。
「あー、んで、今回の百万バラマキだの、世界規模での大盤振る舞いで、資産減らして会社規模縮小作戦ってわけか……。むしろ、かえって会社でかくなって、ますます月白以外、制御できない大帝国になりつつあるが……ま、俺の知ったことじゃないな。で、あんた、あと何年生きんだ?」
「真珠が成人して月白と結婚して、次こそ生まれたてほやほやのひ孫をこの手で抱っこするまで死ねないわね」
「あと二十年以上生きるつもりかよ! なら、あんたが憲法と結界だの何だの考えりゃいいだろ! 俺はまだ十年は世界ランクトップの冒険者だ!」
うっわー、このおじさん、いい年してまだオレTUEEしたいみたい。世界一とか自分で言ってる時点で恥ずかしいと思わないのかな、もう本当にいい年したおじさんなのに……。
白絹お祖母様は精神安定剤のようにわたしの匂いをくんかくんかして、ドリーミングタイムに突入した。
「十年たったら、真珠はもう小学校の高学年ね。きっと反抗期で、ダンジョンに潜ってばかりだった父親とは口もきかないでしょうし、こんな風によちよち可愛い盛りを全部見逃して、七五三のお祝い写真にも一緒に写れないのね。やっぱり真珠の戸籍上の父親を闇王にしてよかったわ」
「……っ、時々は帰ってくるんだし、別に、んな、存在も知らなかったガキがどうなろうと、俺の知ったことじゃ……」
いつのまにか白絹お祖母様の隣に座っていた月白お兄様が、ぶつぶつ言ってる宵司を指さしながら、わたしに尋ねる。
「真珠、あのおじさんが誰か覚えてる? こないだ覚えたけど、もう忘れちゃった?」
いえいえ、もちろん覚えておりますとも!
「ぽんぽん! おんじ!」
「すごい! 真珠、天才! ちゃんとポンポンもおんじも覚えてたんだね!」
「あら、本当に真珠はすごいわね。月白ほど賢くならなくてもいいけど、悪い人に騙されないようにお勉強を……でも、こんなに可愛いんですものね。物理的な護身術が優先かしら」
みんなでほのぼの見つめあって、うふふ、えへへ!
だけど、外野のゴリラが仲間に入れてほしそうに横やりを入れてきた。
「そのチビ……っじゃねぇ、そのお姫さんは、なんで俺のこと、オンジなんて呼ぶんだ?」
「闇王伯父様がパパだし、僕のお父様はとーたって呼ばせることにしたから、宵司伯父様は『叔父さん』から『おんじ』ってことにしました」
「いや、俺が本当の父親だろ? だったら、せめて『ダッド』とか、『ダディー』にしろや」
いやいや、父親らしいこと、ひとっつもしてないのに、なに、ほざいてるんだろうね、この脳筋ゴリラ。
月白お兄様もしっかり反論する。
「えー、せっかく覚えたのに、また覚えなおさせるなんて可哀相ですよ。真珠、こんなにちいさいのに」
「そのちいせぇのに毎日芸仕込んでんのは、おまえらだろが! オンジじゃ、どこぞのアルプスの山のジジイだろ!」
あれ、この世界にもアルプスの少女あるのかな? あれって、原作小説が書かれたのは第二次世界大戦前だっけ? アニメがあるなら見たいな、世界名作劇場シリーズ!
「まったくもう、実のお父さんが我が儘でごめんね、真珠」
月白お兄様は仕方なさそうに、わたしのおててをにぎにぎしながら教えてくれた。
「真珠、あのおじさんね、ダッドって呼ばれたいんだって。ダッドって発音できる? おんじじゃなくて、ダッド。ダディーは難しいよね? ダダくらいなら言えるかなぁ? ダッド? ダーダ?」
「だっだ、だーだ、だぁだ!」
「だぁだ? うん、可愛い! だぁだでいいよ。真珠、えらいね!」
月白お兄様オーケーが出たので、わたしは筋肉ゴリラに笑顔でごあいさつ。
「だぁだ、おかぁり!」
無垢な瞳と高らかな声、必殺エンジェルスマイル。
真珠ちゃんのミラクルラブリー攻撃炸裂!
「ぐはっ……!」
絶句してその場に崩れ落ちるゴリラ!
やったね! 真珠ちゃんの可愛さ大勝利!
なぜだか壁際に立ってるメイドさんや護衛さんたちも必死になにかをこらえたようにプルプルしてるし、白絹お祖母様もまじめな顔でおっしゃる。
「真珠は本当におりこうね。でも、宵司が先におかえりって言われたなんて知ったら闇王が泣くから、おかえりは闇王が帰るまで封印しておきましょう。今度闇王に会ったら、真っ先に『パパ、おかえり』って言ってあげてね」
「あい、まぁま!」
「そうか。順番があるね。真珠、竜胆お兄様が帰ってきた時も、『りーた、おかえり』って言ってあげてね。あ、そうだ。代わりに『まじゅのうた』の動画を闇王伯父様と竜胆お兄様に送ってあげようか。ばあや、録画、お願いしていい?」
かくして、月白お兄様と真珠ちゃんの豪華共演による『まじゅのうた』の動画が様々な人に送られることになって、おとなしく順番を待っていたゴリラ宵司は一番最後に「だぁだ、ちゅき!」を言ってもらえたのでした。めでたしめでたし!