表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/78

第1話 たぶん悪役な真珠お嬢様

 あれから十カ月たちました。

 いえ、現実を受け入れるまでに時間がかかったというべきか、ほぼ眠っていたというべきか……。

 なにせ、新生児だから!

 寝て起きて泣いてミルクにおむつ交換してもらう、寝る寝る起きる寝る泣くミルク寝るおむつ寝る寝る寝る寝る寝るに、時々日光浴とお風呂が加わって、基本的に寝る日々だったよ。


真珠まじゅお嬢様、今日はまだおねむにならないようですね。お目めがぱっちりしています。では、ばあやと一緒にお散歩に行きましょうか」

「あー!」


 賛成!

 散歩といってもまだハイハイしかできないから、抱っこで移動。

 やさしそうな「ばあや」にしっかり抱っこされて、大きな扉から廊下に出る。


 前世でそれなりに年齢を重ねていた気がするので、こんな上品な女性を老人扱いしていいのかどうかわからないけど、ばあやは六十代半ば。身長百六十センチくらい、マシュマロなふっくらボディで、胸に顔をうずめるともう最高!

 手もぷくぷく厚くて柔らかくて、抱っこもミルクお風呂もおむつも、なにをされてもはいどーぞ!と差し出したくなるゴッドハンド! 腕とか足とか腰にしがみついても夢見心地になれる。


「ばあやさん、私が代わりましょうか?」


 廊下で声をかけてきたのは二十代半ばのすらっとした長身の「すすきさん」。

 長い黒髪の楚々とした雰囲気なのに、わたしを片腕抱っこして朝晩百回スクワットであやしてくれる。これが楽しい。見た目はむちゃくちゃ華奢な美女なのに、無茶苦茶筋肉あると思う。


「いえ、あとでいいわ。今日の真珠お嬢様はまだお昼寝したくなさそうだから、サンルームで一緒に遊んであげて、すすきさん」


 ばあやに抱っこされたまま、長い廊下を通って階段を降り、一階のサンルームにたどり着く。

 庭にせり出して作られた全面ガラス張りの空間には一部にコルクマットが敷かれ、子供用の遊具がたくさん並べられている。明るく広々としていて、空気をきれいにしてくれそうな観葉植物の鉢もわんさか置かれ、ここだけでちょっとした商業施設のキッズルーム。


 なのに、窓のむこうには端が見えないほど広大な庭が広がっている。

 バラのアーチに花壇まではまだしも、小川が流れ込む小さな池や雑木林があるような場所を、ふつうは『公園』って呼ぶと思う。でも、このうちではそれを『庭』、しかも『ほんの一部』と呼ぶそうな……。

 さすが『お嬢様』の住むお屋敷!

 ……わたしは偽物だけどね!


「昨日、庭師から東の庭の飾りつけが終わったと報告がありました。真珠お嬢様は初めてのクリスマスですし、月白お坊ちゃまの誕生日ですからね。動物の形のイルミネーションをたくさん準備したらしいですから、週末はお兄様と庭の探検をしましょうね」

「だー!」


「まあ、お兄様と遊ぶのが楽しみなんですね。あっという間に今年も終わり、さすがにお父様も研究所から出ていらっしゃるでしょうが……大奥様のおかげんさえよければ、本当に、いい加減にしろと怒鳴りこんでいただくのに……」

「あ、あぅ?」


 声を低くして眉間にしわを寄せるばあや。すぐに横からすすきさんがわたしを抱き取る。


「真珠お嬢様、滑り台で遊びましょう! それとも私とハイハイで競争しますか? お嬢様はハイハイオリンピックのナンバーワン選手ですからね。でも、薄も負けませんよ」

「だー!」


 もちろんハイハイオリンピックはこの家限定。対戦相手はすすきさんオンリー。

 わたし、真珠お嬢様の世界はほぼばあやとすすきさんで回っている。

 生まれてこの方、寒いも暑いもろくに感じたことはなく、空腹感もおむつの不快感もほんのちょっぴり。いつもばあやかすすきさんがそばにいて、泣けば抱っこに、常春の快適温度と恵まれた住環境。

 何不自由なく面倒を見てもらって、この上もなく大切に育てられている「お嬢様」。

 けれど……。


「とにかく大奥様から真珠お嬢様を黒玄くろげん家の者として認めると、はっきり宣言していただきましょう。そうすれば、人のうわさなどあとは下種の勘ぐり」


 ばあやとすすきさんの会話の端々に出てくる、黒玄くろげん家に真珠まじゅお嬢様。その言葉に大いに聞き覚えがあった。




「ヒロインと取り替えられた悪役令嬢がクロクロ家のマジョお嬢様」



 

 頭の中で過去の自分がひそかに『つかえねー新入り』とか『役立たずの下っ端』とか呼ぶだれかさんがひとりで語る。


「休日出勤サービス残業当たり前、定額働かせ放題されっぱなって、人生、なにが楽しくて生きてんですか? こんなんじゃ、世の中のはやりものなんて見る暇も聞く暇もないでしょうけど、今この日本に住んでて『ダンレン!』聞いたことないって、むしろ末期っすよ、おっ……と、お、お茶買ってきましょうか?」


 黙れオタクバカ! だれのせいで休日出勤に付き合わされてると思ってんだ、今おまえ最後に『おばさん』って付け加えようとしただろ!と怒鳴りたいけど、話を合わせないと年長者のコミュニケーション能力を疑われる。

 少子高齢化、働き手不足なんて、中高年には肩身の狭い時代。希少な新人は褒めておだてて伸ばして育てなければならない。若者を否定するのは老害の証。

 あらお茶はいいわ、そうなのね世の中は変わったのね、今なにがはやってるの?と適当に相槌を打てば、今どきの若者はスマホ片手に饒舌に語り続ける。


「『ダンレン! ~ダンジョンの数だけ恋がある~』ってのはラノベが原作で、マンガにもゲームにもアニメにもなってるんっすよ。推し活、聖地巡礼、町おこし観光誘致にまで使われてて、ここの駅前だって立て看板立ってるし、ほら、このおみやげの温泉饅頭もダンレンパッケージになってるじゃないですか。テレビの特集番組とかで、このオープニング見たことありません?」


 スマホの画面に映し出されるのは、チャラリラララ~から始まるアニメのオープニング映像。

『時は西暦一九四五年、地球上の一部の活断層がダンジョン化したことによって第二次世界大戦は終結し、新たな時代が幕を開けた……』

 いや、その導入部分だけで意味不明すぎる。

 ダンジョンってなに? 活断層は活断層だし、広島長崎に落とされた原子爆弾はどこに行ったの? 日本って敗戦国にならないの?


「だから、その辺は架空戦記っつーか、SFファンタジーですよ。でも、ダンレンって、よくできてんですよ。ラノベとかアニメ版の主人公は女で、日本各地のダンジョンを旅しながら強くなっていくんですけど、ダンジョンごとに出会いと別れがあって、恋愛したり旅の仲間が増えていったり。だから、聖地巡礼の観光誘致は日本全国でできるし、ソシャゲ版は男主人公バージョンがあって、ヒロイン含めた可愛い女の子とうはうはし放題! 課金の額だけ恋がある!!」


 バカだ……バカすぎる、このクズオタク。こないだ給料全額爆なんとかで昼飯代がないっておごらされたの、ゲームに課金したせいだったのか。

 だからおわびに温泉饅頭って、おまえが買ってきたわけじゃないだろ! こっちは血糖値が気になるお年頃なんだから、いらねーよ炭水化物の塊!! 


「ヒロインは実は赤ん坊のころに病院で取り替えられてて、本当は黒玄グループの創業者一族のご令嬢だったんです。でもって、ヒロインと取り替えられた悪役令嬢がクロクロ家のマジョお嬢様で、黒玄真珠っつーんですよ」


 黒玄マジュだから、『黒魔女』ってあだなの偽お嬢様だってさ。安直だね。今のわたしの名前だけどね!


「最後は黒マジョがざまぁされるんですけど、それまで日本全国各地のダンジョンでヒロインの前にライバルとして立ちはだかって、いろんな嫌がらせしてくるんですよ。まあ、黒マジョも原作は定番悪玉トリオみたく大したことないんっすけど、ソシャゲ版って何通りもあるから、嫌がらせも金の力でパワーアップしてポロリもあるんっすよ」


 他にもダンレンすごいぜと休憩時間を過ぎても延々とオタクゲーマーが語り続けていた気もするけど、相槌のさしすせそ。

 さすがね、知らなかったわ、すごいわね、きみってセンスあるわね、そうなの、とパソコン画面を見ながら応えていたからろくに記憶に残っていない。

 でも、前世の自分の名前や年齢、職業、家族構成とか死んだ理由も思い出せないのに、なぜだかこのオタクの言葉はふとした拍子に頭によみがえる。


「異世界転移のラノベも面白いんですけど、転生して最初から金髪碧眼美形主人公とか、悪役転生もサイコーっす。あと、性転換するTS転生とか追放物とか人外転生も面白いんですけど、俺のイチ押しは現代ダンジョンっすね。俺も仕事辞めてダンジョンでレベルアップしてぇ!」


 いや、きみ、そもそも仕事してないよね給料泥棒!って内心突っ込んでる過去の自分の苛立ちがマックスだったせいだろうか。あるいは死因がこの無能オタクへのぶちっとストレス脳出血だったのか……。


 なんにせよ、ばあやとすすきさんの会話に日常的に出てくる『ダンジョン』と諸々の状況からして、わたしが『異世界転生』とか『悪役転生』を果たしたのは間違いないものと思われる。


 仕事でミスするたびに「異世界転生してオレTUEEしてえ!」とかほざいていたどこかのだれかが女に転生して黒マジョになればよかったのに!

 けど、わたしがいなくなったらあのオタクの仕事は忙しくなっただろうから、ちょっとはざまぁ? いや、あの根性なしのクズならさっさと辞めてそう……ああむかつく!


 だけど、このままじゃわたしがざまぁされる悪役黒魔女。

 ヒロインにとってはダンジョンの数だけ恋がある夢いっぱいストーリーでも、悪役にとってはダンジョンの数だけトラップがある! 早くヒロインを探し出して、元に戻らなきゃいけない!!

 なのにね、


「この赤みがかった金髪も菫色の瞳も、真珠お嬢様ほどおかわいらしい赤ちゃんはこの世におりませんわね」


 一緒にブランコで遊んでくれながら、すすきさんがしみじみと言う。

 SFファンタジーのダンジョン世界とはいえ、ここはたぶん第二次世界大戦までは前世と歴史が同じだろう日イヅル国ニッポン。

 ばあやもすすきさんも黒髪黒目の黄色人種なのに、鏡に映る真珠お嬢様って、赤毛に菫色の瞳で、目鼻立ちはっきりくっきりの白色人種であらせられる。


 托卵で有名なかっこうでも多少は卵の偽装するっていうよね。

 なのに、明らかに黄色人種じゃない見た目の赤ん坊を日本人赤ちゃんと取り替えるって、わたしの産みのお母さん、やることむちゃくちゃ!

 実際、もうろうとした意識で聞いた転生一日目の実母の言葉はあれこれやばすぎだった気が……。

 となると、取り替えられたヒロインの人生、超ハードモードと思われます、ああ合掌……じゃなくて!



「あーあああー、だだ、だだだだぁーっ!」

(訳 早くダンジョンでヒロイン探さないとーっ!)



「あら、真珠お嬢様、おむつですか? はいはい、今すぐお部屋に戻りましょうね」



 うん、でも先は長そうっていうか、赤ちゃんって何歳からまともにしゃべれるようになるんだっけ?

 ……まだまだばぶぅ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ