第14話 あいだに入るのは、ゲス!
記念すべきわたしの一歳の誕生日、あの日は露茄お母様の命日でもあった。
突然帰宅した憲法は、ばあやや警備の隙をついて、お昼寝中のわたしを特殊な魔法陣加工されたスーツケースで運び出した。
行き先は、露茄お母様の最後の場所。
そこはわたしの転生人生のはじまりになった病院だった。
黒玄家のお屋敷があるのは東京都内の高級住宅地。
月白お兄様が自宅出産だったから、当然、第二子もその予定で、わたしが今暮らしている離れの一角には、分娩台から保育器まで最先端医療機器が備え付けられた分娩室がある。
けれど、露茄お母様は出産前の最後の仕事として出かけた静岡で、急に産気づいた。それまでつわりもなく順調だったのに、予定より一カ月早い破水だった。
最先端の空飛ぶ車なら三十分ほどで黒玄家に帰れたが、破水後、大量出血して意識不明に。とにかく一番近い大病院に運び込むしかなかった。
身重の妻を気遣って、憲法も自分の仕事を休んで付き添っていた。
さすがに平日だったので月白お兄様はこども園に通園中だったが、若奥様のお世話係として護衛のすすきさんを始め、助産師資格を持つ付き添い女性、憲法の秘書や護衛も大勢同行していた。
けれど、稀少な魔医療師である竜胆叔父様はフランスから日本に帰国する飛行機の中だったらしい。
「タイミングがね……。一応、出産予定日の前後一カ月は僕も休みを確保してたんだけど、一日っていうか、半日、間に合わなかったんだよね。出産って本来、魔医療師の管轄でもないし。しかも、警戒対象外だった海底ダンジョンの崩壊でモンスター氾濫って、全部が想定外だったんだよね」
すべてのタイミングが悪かった。
黒玄家の側でも露茄お母様の出産に備えて、さまざまな事態を想定していた。
もしもの時のテロ・モンスター対策としては、世界最強のS級冒険者、黒玄宵司が出産予定日の半年前から黒玄グループ白絹会長に直々に雇われて、護衛として弟夫妻の周囲を警戒していた。
なので、もちろん、その日の護衛部隊は黒玄宵司が率いていた。
なのに、一番の想定外は、露茄お母様ご本人。
二人目の妊娠がわかってから、夫の憲法も実家の両親も周囲のだれもが仕事をキャンセルするよう頼んだ。にもかかわらず、
『これくらい大丈夫よ。それに、おなかの赤ちゃんもわたしのピアノの音が大好きみたい。どうせ弾くなら、人の役に立つほうがいいわ。情けは人の為ならずって言うでしょ?』
露茄お母様は『奇蹟の縹家』と呼ばれる縹家直系の長子。
縹家の血を引く魔法使いには、魔素バランスの崩れた大気を正常な状態に戻す浄化能力を開花させる者が多かった。月白お兄様の祖父に当たる現当主はヴァイオリンを奏でることによって、その音色がスピーカーで増幅されて響く範囲のすべてを数時間で浄化できる。
露茄お母様はピアノが得意で、ピアノの実際の音の範囲しか浄化できなかったけれど、それでも一般的な魔法使いとはかけ離れた浄化能力の持ち主だったらしい。
地球上に現れたダンジョンは人々に様々な資源や恩恵をもたらした。
魔素、魔力、奇蹟のような魔法。旧来の地下資源に乏しかった国々も冒険者の働きによってダンジョン産の有益な資源を手に入れることができる。
中でも活断層による地震とそれに伴う津波のリスクがほぼ消滅したことは、活断層の多い日本のような国にとって福音だった。
しかるにダンジョンは存在そのものが脅威となりうる。
特に放置されたダンジョンからあふれ出す魔物の群れによるモンスター氾濫、スタンピードは旧来の自然災害以上の被害を世界にもたらした。
魔物による街の破壊、建物や農作物の多大な被害。モンスターを退治後も大気中には濃密な魔素が残る。この魔素が周囲に広がることで、ダンジョン外でも魔法が使えるようになったものの、耐性の低い生き物にとって濃い魔素はそのものが毒となる。
魔素はまさしく諸刃の剣。活断層上には時折、魔素だまりが発生して、周囲に悪影響を及ぼすこともあった。
露茄お母様はピアノを媒介して、魔素だまりを浄化し、濃い魔素で具合の悪くなった人々の不調を一度に数百人規模で癒すことができた。なので、魔医療師の竜胆叔父様まではいかなくても、仕事のスケジュールは数年先まで埋まっていた。
だから、出産の一カ月前まではできる範囲で人助けをしたいと願う、まるで聖女のような露茄お母様の願いをだれも止められなかった。
意識を失った露茄お母様が手近な大病院に運び込まれたその時、大気が震えた。
そして、大きな地震が起こった。
活断層による地震ではなく、ダンジョン崩壊による大地震。揺れの度合いからいって、かなり大規模なダンジョン崩壊が予想された。
その場にいたS級冒険者、黒玄宵司は己の権限ですぐさま緊急特別対策本部を立ち上げた。
情報収集、現場の特定、スタンピード到達時間、被害想定範囲、住民の避難にかかる時間、必要戦力。
状況は最悪だった。
極めて近い海底で起こったダンジョン崩壊、まもなく押し寄せるモンスターの集団、最終的にダンジョンボスが地上に現れるまで、時間は一時間も残されていなかった。
かといって、露茄お母様をその場から動かすこともできなかった。すでにほぼ心停止状態だったらしい。
だから、その場に竜胆叔父様が到着するまでの時間を稼ぐため、そして露茄お母様のいる病院をモンスターから守るために、憲法は兄の宵司と共に戦場の最前線に向かわなければならなかった。
初期の魔法陣はダンジョン内部でのみ使用可能。当然、対モンスター用の防御攻撃目的で魔法陣は進化してきた。
ゆえに魔法陣の天才魔法使いである憲法は、モンスターとの戦いの場でこそ最大の能力を発揮できる。さらに露茄お母様の安静のために病院の建物を揺らさないよう、幾重にも結界を張る必要もあった。
病院に残った黒玄家の関係者は助産師やすすきさん、護衛五人。
追加の救急車や護衛車両もすぐに呼ばれていたが、問題はその場にいた人もいなかった人も、関係者のだれもが露茄お母様を優先していたこと。
憲法の優先順位は子より妻。妻が無事なら子供は諦める。なんなら子供は授からなくてもよかった。
その憲法の執着ぶりを知っているだれもが一番に確認するのは、露茄お母様の容態。一月早く生まれることになった赤ん坊が元気な産声を響かせたところで、
『それより若奥様は?』
『露茄様に必要なものは?』
と、新生児の顔を見に行くこともなく、写真を撮るどころでもなく、完全に人任せだった。
一方、病院の側でも完全に対応能力を超えた緊急事態である。
ほぼ死にかけで運ばれてきた超VIP。しかも妊婦。
さらにダンジョン崩壊による大地震で備品が壊れ、一部施設が使えなくなり、医療従事者も患者も多数、負傷していた。無傷で動ける人間の方が少ない。
なのに、絶対に助けなければならない患者。
まずメインで対応に当たる医師や助産師が黒玄家に提供されたポーションで動けるレベルに回復して、死戦期帝王切開となった。
危機的状況にも関わらず、きわめて健康な状態で生まれた赤ん坊はとりあえず、その場にいた看護実習生の手にゆだねられ、医師たちは全力で妊婦の救命に当たった。
この看護実習生はまだ看護師になる前の、病院に実習訓練のために来ていた不運な十代の少女だった。しかし地震でも軽い打撲程度で、実習用のナース服を着ていたために、戦場のような手術室でこき使われていた。制服逆効果!
看護実習生はなんとか赤ん坊を布で綺麗にしたものの、泣き止ませることができず、そこで頼ったのが、母乳。
具体的には、露茄お母様が運び込まれる少し前に出産して、隣の分娩室で放置されていた女性である。
駅で破水したと救急車で運ばれてきたその女性が赤ん坊を産み落とした直後、超VIPが病院に到着、そして大地震。
まともな医師や看護師は死にかけVIPの救命にむかい、その時も看護実習生は生まれたばかりの赤ん坊の清拭を任された。けれど、あれ持ってこい、これが足りないと怒号に命じられ、赤ん坊を母親に抱かせて隣の手術室へ。
とはいえ、この時はまだ助産師一人が出産後の女性の後産に付き添っていたらしい。しかし、助産師は処置を済ませてすぐ、露茄お母様の手術の応援に。
それから看護実習生が露茄お母様の産んだ赤ん坊を抱いて分娩室に戻るまで、出産直後の女性は自分の赤ん坊とふたりきりで放置されていた。
『この子に初乳を飲ませてあげてください!』
看護実習生は火が付いたように泣き叫ぶ赤ん坊を、分娩室の女性の空いている腕に押し付けた。
『開胸心マッサージに切り替える! 血液が足りない! 追加ポーションはまだか!? 魔医療師はいつ来るんだ!? おい、実習生、ガーゼ持ってこい!』
手術室も分娩室も大地震で扉が壊れたため、開いた状態で固定されている。そのため隣の手術室の怒鳴り声は丸聞こえだった。
ということで、看護実習生は露茄お母様の赤ん坊を見ず知らずの女性に任せて、大急ぎで手術室に戻った。
おそらくこの時、二人の赤ん坊の運命が入れ替えられたのだろうと、竜胆叔父様は言う。
「昨日からいろいろ聞いた感じだと、その時って廊下の護衛も病院スタッフもけっこうみんなが、黒玄家の名前を出しながら怒鳴ってたみたいだからね。真珠ちゃんの本当の母親は突然、自分に押し付けられた赤ん坊が黒玄家の子供だって気づいただろうし、そうするとその女性が宵司様に捨てられた恨みで赤ん坊を取り換えてもおかしくなかったかも」
竜胆叔父様とわたしは血縁関係にない。
そのことに関して昨日の今日なのに、関係者の聞き取り調査はほとんど終わったらしい。あの日、あの時、あの場にいたほぼ全員分。
話を聞けていないのは分娩室にいた女性と赤ん坊だけで、看護実習生は特に念入りに事情聴取されたらしい。
看護実習生が露茄お母様の赤ん坊を託し、十五分ほどして分娩室に戻った時にその女性はおらず、赤ん坊がひとり取り残されていた。
とはいえ、赤ん坊は部屋の片隅に置かれたベビーベッドですやすや眠っていたから、なにか問題があるとは思わなかった。見た目も同じように見えた。さきほどの女性はモンスターが怖くて避難したのだろう、と……。
周囲の廊下をうろうろしていた黒玄家の関係者も、赤ん坊を抱えた女性が分娩室から出ていくのを目撃していた。しかし、それどころではなく露茄お母様のためのポーションや魔医療師の手配にてんやわんやだった。
その後まもなく、ばあやが病院に到着して、それから今日までずっとわたしを大切に守り育ててくれた。
だから、ばあやの知る黒玄真珠は今、闇王伯父様に抱っこされているわたしで間違いない。最初からわたしは菫色の瞳の赤ん坊だった。
なので、
「宵司ならあり得るでしょうね。闇王は二年前どころか、最後の結婚以来、女性との関係がないなんて情けないことを言うし、憲法は露茄さん以外無理だし、逆強姦された覚えもないみたいだし……でも、宵司だと調査にかなり時間がかかりそう。該当期間は探索明けの休暇期間だったから、世界各国のカジノで呑む打つ買うの日々だったみたい……」
真珠ちゃんのパパは不特定多数の女性と関係があった黒玄宵司、ほぼ確定。
でも、白絹お祖母様が深々とため息をつく次男は、ふぬけの兄とストーカー弟のあいだに入るだけあって、比類なき『ゲス』らしい……。