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【前編】帰省

 少し前に県境のトンネルを抜けてから、窓の外は雪国が続いていた。青年が車内を見渡すと、椅子でジャンプして遊ぶ子供を母親が叱る様子が見えた。他にも老人や親子連れがいたが、精々両手があれば数えられる程だった。年初だというのに人でごった返していた東京とは大違いの寂れた光景に、青年は鼻白んだ。

 東京から三時間弱の長旅が終わろうとしていたのだった。


 青年にとって今回が上京してから初めての帰省だった。帰省出来なかったという程大学が忙しかったわけではない。無論アルバイトをしてはいたが、しばらく帰省できるだけの休みくらいはもらえたはずだった。

「たまには帰ってこい」という両親の声を聞きつつ頑固にもそれをしなかったのは、彼の中の故郷を汚したくないという恐怖心からだった。それでも「いい加減に顔を見せないと仕送りを減らすぞ」という脅しめいた父の言葉に負け、大学二年目の年初にしてようやく今回の帰省を決意したのだった。


 長旅の間、青年の頭にはずっと一人の女性が浮かんでいた。というよりも、高校を卒業してからずっと頭の底にこびりついて離れなかった。元恋人の存在だった。

 今頃あいつはどこで何をしているのだろう。青年は右から左へ絶えることなく流れていく銀世界を眺めながら考える。一つ学年が下の恋人とは青年が卒業してすぐに連絡が取れなくなった。自然消滅とでもいうような、よく聞く別れ方であると青年は解釈していた。当然ながら別れてから一度として連絡を取ってはいなかった。確か昨年高校を卒業したのだったか。大学に進学したのか就職したのか、地元に残っているのかどこか別の県にいったのか。何一つとして知らなかった。


 でも、まあ、もういいのか。青年は小さく息を吐いた。高校を卒業してから関わりを保っている友人など片手で事足りた。ましてや後輩なんて一人もいない。そんな中で彼女とだけ関われるだなんていささか都合が良すぎる話のように思えた。

 白く曇った窓の外に見知った景色が映り、心臓が締め付けられるのを感じた。初めに見えたのはよく見知ったコンビニだった。東京にも溢れるくらいある店だったが、青年にとってこの店は特別に強い思い入れがあった。高校からの帰り道にあり、何度も帰宅途中に訪れた事を覚えている。何度か恋人に奢ってもらった事もあったか。

 彼女に奢らせるなんて、今思い返せば何とも情けない話だと青年は頬を緩めた。勉強だけに専念していた青年に対し、恋人は部活にバイトと様々な事を頑張っていた。当時は別に何とも思っていなかったが、今にしてその凄さが実感できた。


 コンビニを過ぎると駅に続く道が見え、いよいよなのだと悟る。二年前まで毎日のように恋人と歩いていた道だった。恋人の部活で遅くなる日も決まって青年が教室か図書館で待っていた。「別に待ってなくていいのに」と困ったように口にする恋人に「待ちたいから待ってるんだ」と返すのがお決まりになっていた。いつの間にか後輩なんて立場も関係なく名前で呼びかけられ、砕けた口調で会話していた日々が思い出される。バカみたいな話をし、笑い合っていた。


 記憶の奥底にしまっていた出来事が封を切ったように溢れてくる。人生で一番楽しい二年間だったと今になって思う。時間が経ってはいたが、恋人との思い出は青年の中で色あせる事がなかった。

 青年にとって半ば強制的な帰省だったが、存外わくわくしている自分に気付き驚いた。東京で二年弱を過ごし都会の生活にだいぶ慣れてきてはいたが、田舎の静かな雰囲気にはかつての思い出が根付いており、未だに恋しく感じる時があったのを思い出す。

 久しぶりに同級生とも会えるだろうかという期待も持っていた。一番に頭に浮かんだのは坂井という友人だった。坂井は高校三年間同じクラスであり、青年と元恋人とを繋いでくれた人物でもあった。確か坂井は地元に残って就職したと聞いていた。運が良ければこの帰省中にでも会えるだろう。その前に電車を降りたら一度電話してみてもいいかもしれない。


 到着を知らせるアナウンスが聞こえ、席を立つ。ドアが開くと同時に吹き込んだ肌を切るような寒さに身震いした。堪らずポケットに手を突っ込むと、丁度煙草の箱に青年の手が触れた。東京を発ってから一度も煙草を吸っていなかった。

 ワンマン電車からこの駅で降りるのは青年だけのようだった。駅に喫煙所はあっただろうかなどと余計なことを考えつつ、体を縮こませながら無人駅の空箱に切符を投げ入れた。


 駅を出るとすぐに痛いくらいの白が青年の目に映った。あまり風が吹いていない代わりに牡丹雪がちらちらと降っており、一時間もすれば歩くことすらままならなくなるだろうというのは容易に想像できた。

 青年は自分の足元に目を向け後悔する。この時期に防水のブーツが必須だという事は知っていたはずなのに、いつもの通りスニーカーを履いてしまっていた。これでは家に着く頃には足先は冷え切っているだろう。青年は溜息をこぼした。


 そのまま実家に向かおうかと思ったが、駅舎の脇に置かれた喫煙スペースが目に入った。以前は見向きもしなかったのに、今はむしろそれを探すようになってしまっていた自分に嘲笑を向ける。

 一本だけなら雪がひどくなるまでに帰れるだろう。青年は慎重に雪の上を歩き、引き寄せられるように喫煙所に向かう。ポケットから煙草の箱を取り出し、一本口に咥えた。軽く息を吸いながら先端に火を付けると、大して美味しくもない煙が入り、肺を満たす。多少の息苦しさを覚えながら吐いた白い息には、タールと一緒に青年の生命力さえも吐き捨てられているように思えた。


 青年には相変わらず何が良くて煙草を吸っているのか分からなかった。顔だけ知っているような友人に勧められて吸い始めたのがきっかけだったと記憶している。ただの煙に味なんてわからなかったが、煙草を吸っている自分に酔っていたのだろう。継続的に吸い続けた青年はいつの間にか煙草に依存してしまっていた。

 煙と共に息を吐きながら、青年はスマホから坂井の連絡先を探し出す。通話ボタンを押してしばらく待つとすぐに応答があった。


『もしもし? どしたん急に』

「坂井か? ついさっきこっちに帰ってきてさ。久々に会いたいなって」

『マジか! もう帰ってきてるのか。滅茶苦茶久しぶりじゃないか』

「高校卒業してから初めての帰省だから、二年ぶりくらいかな」


 電話の奥からでも声を弾ませているのが分かりこちらも気分が良くなる。坂井でさえ電話やメッセージでのやり取りこそあれど、もう二年近く会っていなかった。


『そしたら車で迎えに行くわ』

「マジか、助かる」


 帰省中どこかで会えればよいと考えていたが、まさかこちらまで来てくれるとは。坂井の優しさが身に染みた。当時から変わらないなと昔のことを思い出す。坂井は学生時代からみんなに対していい人で、誰からも慕われていた。無論青年も例外では無かった。


『すぐに着くとは思うけど寒いだろうし、駅の中で待ってな』

「了解。じゃあ待ってるわ」


 おう、と短い返答だけ聞こえて電話が切れた。車で来てくれるとはいえ、確かにこの雪では着くのに時間がかかるだろうというのは容易に想像がついた。この一本だけ吸い終わったら駅に入ろう。そう考え、吸いかけの煙草を口に運んだ。


「──先輩」


 澄んだ冬の空気ははっきりと声を伝えるようだった。

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