6、姫は投げ捨てた
「ユディタ姫!ご無事でしたか!よかった、このままこの国が貴方様を返さなければ、大変なことになるところでしたよ。」
翌朝、王の間でユディタ姫が使者の前に姿を表した途端、彼は狂喜乱舞して姫に飛びつかんばかりだった。
姫は大国から持参した布地をたっぷりと使った豪奢な金のドレスに目一杯の装飾品を付けてヴェールを被り、他から見えない位置で俺の服の裾をきゅっと握っている。
なんかもう、それだけで俺は眠気も疲れも吹っ飛んでしまう。
国王と王妃である両親はもう腹を括ったのか昨日までの焦燥感が消えて威厳を持って使者を見ている。
父からは少しだけ破れかぶれ感が漂っている気がするが。
今日は俺達が使者と対峙するので、二人には黙って見守っていて欲しいと伝えてある。
それを指示した姫は、今朝の時点では自信満々で元気だったのに、いざとなると男が多いこの空間が怖くなったのかさっきから俺にくっついている。
大変、可愛らし過ぎてつい抱きしめてしまいそうになるが、これが終わるまで我慢だ。
「使者殿、ユディタ姫は大国には帰らず、このままこの国で暮らすことを希望している。悪いがこのまま貴方だけが戻って、大国の国王陛下にそうお伝えしてくれないだろうか。」
まずは俺が使者へ穏やかに話をしてみる。
「何を仰っているのですか!ユディタ姫様がこの国に残りたいと言うなどと、そんなことあり得ません!この国に姫様は釣り合いません。なにが何でも今日中に私と共に帰国していただきます。ユディタ姫様、脅されているのですか?大丈夫ですよ、私がなんとでも致しますから正直なお気持ちを仰ってください。」
使者は憤怒の形相になり俺に食って掛かると、姫へは猫なで声を出した。
しかし、この男は使者には全く向いてない。俺と姫を見てどうしてこんな台詞が吐けるのだ。状況を正しく把握し、それを踏まえて自国のために動かねばならないのに、自分の色眼鏡でしか物事を見れないとはどうしようもない。
大国はこんな男でことが済むと思う程度に、この国を馬鹿にしているのか。
俺が小さくため息をついたと同時に、姫が掴んでいた服の裾から手を離し、一瞬だけ俺の手をぎゅっと握った。それから心細そうな声で使者に問うた。
「本当に私の正直な気持ちを言えば、貴方がなんとかしてくれるのですか?」
「はい!もちろんです、後のことはお任せください。」
「そう。では、安心して本当の気持ちを言うわね。」
確認して安堵したというように胸を両手で押さえて見せた姫は、次の瞬間はっきりと大きな声でその場にいた人全員に聞こえるように、使者に向けて言い放った。
「わたくし、絶対に大国になんて帰りません。一生サシャ様とともに生きます。」
前のめりに目を輝かせて姫の言葉を待っていた使者が固まった。
そして、頭を振り、聞こえなかったというように耳に手を当て、再度姫の言葉を待つ。
「わたくし、帰りません。」
「そんな馬鹿な!こんな貧乏な極小国の冴えないぼんくら王子など貴方様には似合いません!どんな弱みを握られているというのですか?!!」
先程より簡潔に最大ボリュームで告げた姫に使者が金切り声で食ってかかった。
姫は俺の手を強く握ると、一歩前に踏み出し、使者へ指を突きつけた。
「ええい、だまらっしゃい!先程から失礼だと思わないの?大国の使者だからって何、その横柄な態度!言うに事欠いて貧乏な極小国ですって?この国は穏やかでとてもいい国よ、そしてわたくしの夫は冴えないぼんくらなどではなくってよ!とってもお優しい世界で一番かっこいい王子様よ!」
ふんっと鼻息荒く言い切った姫に使者の顔は真っ青になった。反対に俺の顔は熱くなり、周囲からはなんとも言えない視線が送られてくる。
「そんな、ユディタ姫様の価値はこんな国にはもったいないほどの・・・」
なおも言い募る使者の言葉を姫が、ああ、とぶった切った。
「いい忘れてたけど、その私の価値はもうないわ。」
「はっ?まさか・・・そんな。ですが、本日がお誕生日で・・・」
「そう。もう夜十二時から、わたくしは十六歳になっているのよ。だから、今、私のお腹にはサシャ様の子供がいるの。」
「えええええっ!?」
そんな、と叫ぶ使者の声をかき消すように俺の口から驚愕の声がこぼれ、周囲の全ての人からも驚きの声が上がる。
室内はしばし恐慌状態に陥った。
「姫、どういうことなの?」
母である王妃の一声で、場が静かになった。
姫は母の方へ向き、さっとお辞儀をしてヴェールを上げてニッコリと笑った。
「お義母様、わたくしには『十六歳を過ぎて初めて契った方の子供を確実に授かる』という能力があるんです。しかも、どんな子供かも性別も自由に決められるのです。」
目を丸くする両親に向けて姫はお腹に手を当てて見せ、うっとりと微笑んだ。
「昨夜たくさん子種をいただきましたので、確実にサシャ様とわたくしの子がここにおります。」
姫、こんなところでそんな直接的な言い方しないでください!
俺は思わず叫びそうになって自分の口を押さえる。しかし、昨夜のことを妻に暴露されて魂が抜けつつある。
「無理やりですね?!ユディタ姫様、その王子に無理やりされたのでしょう?!なんてことを!賠償金を十倍にしても足りませんよ!」
使者が叫び、両親が青ざめたのを見て俺は先日使者が渡してきた書状の中身を理解した。
姫が残った場合、多額の金を要求されていたのか。確かにうちの国は金がないので姫一人にお金をたくさん使うのは無理かもしれない。
だがそれよりも、俺は姫を金で遣り取りしようとする大国に嫌悪感を覚えた。
金に換算された姫はというと、身体の向きを元に戻し、俺の方をちらりと見上げるとポッと赤くなった。
「ええ、そうですね。無理やりだったかもしれません。」
「やはり!では・・・」
身を乗り出す使者へ姫が満面の笑みで事実を告げた。
「本当に、寝ているところを無理やり襲ってごめんなさいね、サシャ様。」
姫、本当のことだとしても、言い方を考えてください!
俺はもう恥ずかしすぎて両手で真っ赤になっているだろう顔を覆った。
使者はそんな俺と勝ち誇ったような姫を忙しく見比べて絶望的な声を漏らした。
「そんな・・・」
「そうなのです。この国の大事な王子殿下に対してわたくしの方が無理やりしちゃったので、十倍の賠償金を支払わねばならないのは大国の方ですね。」
「何を言っているのです、そんなことはできません!」
「貴方がそう言ったのではないですか!無理やりしたから賠償金十倍と。さあ、急いで大国へ帰ってその旨を国王陛下に告げてお金をもらってきてくださいな!」
ずずいっと俺の腕を引っ張りながら使者へ詰め寄った姫に、ついに使者が降参した。
「こちらが賠償金を払うなんてそんな無茶苦茶なこと出来ませんよ!もう、姫様を連れて帰るのは諦めますから、せめて書状にあった賠償金を払ってください。そちらは望みの子を得るのだからいいでしょう?」
俺は姫と子を金に換算することに不愉快な気持ちになったが、隣の姫はケロッとして使者へ尋ねた。
「書状では三億とあったそうですが、間違いないですね?」
「さ、ささ三億?!」
俺の口から素っ頓狂な声が上がる。それって、この国の六年分の予算に匹敵する額じゃないか!そんなのいっぺんには無理!
動揺した俺へ、それ見たことかと皮肉げな笑みを向けた使者の頭に、ふわりと姫のヴェールがかけられた。
続けて、首飾り、耳飾り、腕輪、指輪、と姫は身につけていたものを次々と外して使者に投げつけていく。
ついに着ていたドレスまで脱いで、俺は大いに慌てたが、姫は大国のドレスの下に、この国の伝統的なデザインのドレスを着ていた。
大国のものに比べれば質も価格も随分と見劣りするはずのその衣装は、この時大国の物以上に姫によく似合って価値あるものに見えた。
最後に姫は脱いだ金色のドレスを使者へ向かって投げ捨て一言。
「これで十分足りるでしょう。お釣りはいらないわ!」
ユディタ姫の完全勝利だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
こういうのやってみたいですね。