4、気持ちが溢れる
「サシャ、よくやったわ!そうホイホイ向こうの言いなりになんてなるもんですか!」
使者が部屋から出て行って直ぐ、母が興奮しながら俺の元へ駆けてきた。
父も頷きながらついてきた。
「書状にはなんと書いてあったのですか?」
気になっていたことを尋ねれば、両親が顔を見合わせた。
「まあ、いつもと同じだよ。言うことを聞け大人しく従え、とな。」
言葉を濁す父とそれに同意する母。あの青ざめようはそんな簡単な話じゃなさそうだったが。いつもより、キツく書かれていたのだろうか?
「とにかく、使者が大人しく引き下がると思えない。我々は彼女を返したくないが、彼女は帰りたいかもしれん。サシャ、とりあえずユディタに国に戻りたいかどうか聞いてこい。」
「あの場にユディタを呼んでも良かったのだけど、男が多いから嫌がると思ったのですよ。」
と続ける母は姫が男を怖がることについて非常に寛大に受け入れていた。先日などついに二人でお茶をしたと父と俺へ自慢していた。
父の方はまだ、姫と直接話したことがない。
「とにかくお前はユディタとよく話し合ってきなさい。彼女がうちに馴染めないなら・・・丁度いいだろう。」
「あら、陛下!あの娘はうちに馴染んでると思いますけど。」
「儂はまだ話したことがない・・・」
「それは貴方が怖いからでしょう。」
「そんなにか!?」
「父上、母上。俺は姫の所へ行ってきますので、どうぞごゆっくり。」
言い争いになりそうな両親を置いて、俺はとっとと部屋から逃げ出した。
■■
・・・父の『彼女は帰りたいかもしれん。』という言葉が頭から離れない。
随分打ち解けてくれたと思っているのは俺だけで、姫は出来るなら俺と別れて帰りたいと思っているかもしれないなんて、考えたことはなかった。
もし、そうだったら。俺の妻になったのは間違いでした、大国へ帰れますと聞いたら姫は一体どんな顔をするのだろうか。
驚愕か、それとも、満面の笑みか・・・。
どんどん沈んでいく気持ちを引きずりながら姫を探して奥庭を歩いていたら、馴染みの侍女達を見つけた。
姫もその近くにいるだろうと近づけば、彼女達の側に犬のフレーブと寄り添って眠る姫を見つけた。
「寝てる・・・」
「はい。先程までフレーブとじゃれ合っておられたのですが、コテンと同時に・・・」
寝顔も彫像のように美しい姫の胸に頭を乗せてグースカ眠るフレーブに殺意を覚える。
夫の俺ですら未だ触れていない場所に、何故、新参者のお前が気安く頭を乗っけることが許されているのか。
いや、この犬ならば、たとえ姫が大国へ戻ることになっても連れて行ってもらえるかもしれない。
俺は、置いてけぼり確定なのに。
「俺は、犬に負けるのか。」
思わず口をついてでてしまった愚痴に、侍女達が目を丸くした。
「いやっこれは、その・・・」
「フレーブはサシャ殿下の代わりだから、勝ち負けはないのでは?」
俺の幼少期から城にいる古参の侍女が笑みを浮かべてそんなことを言った。
は?この犬が俺の代わりとは?
呆然とした俺を見て、若い侍女が不思議そうな声を出した。
「あれ、サシャ王子殿下はご存知なかったのですか?フレーブは色といい大きさといい、殿下そっくりですから、余り一緒に居られない自分の代わりにと王子自らお選びになって、お妃様にプレゼントしたともっぱらの噂ですが、違うのですか?」
「全然、違う!こいつは姫の希望した犬だ。俺は飼う許可を出しただけ。」
同時にブンブンと大きく首を振ってその噂を否定した。
侍女達は顔を見合わせてクスクス笑い出した。
「それでしたら、殿下はお妃様に大変好かれておりますね。」
「え?」
「だってお妃様はいつも『サシャ様にそっくりのフレーブがいれば安心』だと仰られて抱きしめておられますし。」
それは嬉しいやら悲しいやら。どうせなら俺を抱きしめて欲しい。
侍女達の言うことが本当なら、姫はここに残る選択をしてくれるだろうか?それとも、フレーブを連れて、もっといい暮らしが出来る国に嫁ぎ直すことを選ぶのだろうか。
「姫に嫌われていないとは思うが、好かれているかどうかまではな。さて、姫と話があるから、呼ぶまで二人にしてくれ。」
侍女達を下がらせてから、ふう、と大きくため息をついて姫の横に腰を下ろした。
芝の上はチクチクするな、姫は痛くないのか、と見れば敷物が敷かれていた。侍女達の用意の良さに唸る。
気持ち良さそうに眠り続ける姫をじっくりと眺める。
艶のある漆黒の髪にけぶるようなまつ毛、作り物かと見紛うほどに整った顔。
いつ見てもどれだけ見てもたまらなく引き込まれるような美しさ。更には大国の姫ときた。
自分には勿体ないほどだと思ったこともあったが、本当に間違いで来た妃だったとは。
細い付き合いの大国から、数年前に100人くらいいる姫のうち、年齢が釣り合う者をやる、と簡単な書状が来たため、その時決まりかけていた婚約はなくなった。
それからずっと周囲は早く来てくれ!と大国からの姫をジリジリと待っていた。
まちに待った大国の姫がついに輿入れしてくると分かった時、周囲は爆発的な喜びようだったが俺は内心、これで自由がなくなるとがっかりしていた。
なぜなら大国の姫なんて、俺のことをデカイだけの不格好な田舎者と見下すに決まってる、愛し愛されることは望めないに違いないと思っていたからだ。
だから、チェニェクにだけこっそりと好きな人が出来たら側室にしていいか聞いてみたのだ。結果はご存知、大国の姫と男子さえもうけてくれれば後はご自由にとのことだった。
だが、そんな考えはユディタ姫の輿入れとともに霧散した。
今は彼女から好かれたい、愛されたいと願って毎日彼女といられる幸福を日々噛み締めていた。
なのに、ここにきてそれが全部なかったことになりそう、などと・・・。
「ユディタ姫・・・」
敷物からこぼれている一房の長い黒髪をそっと手にとり、口付ける。
その途端、涙が零れて止まらなくなった。
「俺は初めて貴方に会った時、その美しさに惹かれました。ですが、共に過ごす間に、男が苦手なのに俺に慣れようと頑張る姿に心を揺らされ、可愛らしい笑顔を俺に向けてくれて、フレーブといる時には無邪気になる貴方の全部が、今はもう愛しくてたまらないのです。どうか・・・どうか、大国に帰ると言わず、俺とこの国で生きてください。」
口に出せば、今までぼんやりと抱いていた彼女への気持ちが俺の中で一つの形になった。
「ユディタ姫、貴方だけを愛しています。」
「わたくしだってサシャ様だけを愛しています。」
いきなり耳に入ってきたその台詞に俺の目から涙が引っ込んだ。
恐る恐る姫を見れば、輝く琥珀色の瞳が開かれてこちらを見ていた。
「姫っ?!起きていたのですか?!」
「今、起きました。」
しれっと言う姫の顔には大きくウソ、と書いてある。
「いつから聞いていたのですか?!」
「ですから、今、起きたと言っているではないですか。」
絶対に教えないといういたずらっぽい笑みを浮かべた姫と目があった途端、彼女の顔が真顔になった。
「サシャ様?なんで泣いておられるのです?そういえば、わたくしに国に帰るなと言っていたような・・・何が、ありました?」
・・・姫、貴方、やっぱり結構前から起きてましたね?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
自覚の回。