2、会話をしよう
「喉が痛い、寒気がする・・・。」
「サシャ殿下、風邪です。貴方は昨晩いったい何をしていたのですか?!」
「寝てただけ・・・」
「まさかお妃様を放り出して、このソファで寝てたのですか!」
「言いたくない・・・頭も痛い。とにかく、今日は一日休ませてくれ・・・」
「ああそうですか!・・・結構ですよ!本日は元々、お妃様と一日ゆっくりお過ごしになれるようお休みのご予定でしたからね!」
「そうだ!ユディタ姫はどうしてる?」
ガバッと起き上がって尋ねれば、呆れた顔の秘書官のチェニェクがちらりと寝室に繋がる扉を見やってため息をこぼした。
「部屋から出てこられておりません。まだ寝ておられるようです。」
「そうか。きっと疲れているだろうから、起こさずにおいてあげてくれ。ああそうだ、姫の身の回りの世話や護衛は女性で固めてくれ。男に慣れていないそうだ。」
もしかしたら男ばっかりで怖くて部屋から出てこられないのかも、と想像した俺はそう指示を出した。
マジですか、この宮殿は男の方が多いのに?!と叫んだ彼はハッとして俺を見ると憐れみの表情を浮かべた。
「そ、それでは昨夜の首尾は・・・。サシャ殿下には早く子供を作って貰わないと国が安定しないんですよ。いずれ側室をお持ちになるのは構いませんが、まずはお妃様との間に男子をもうけてください。我が国には大国の後ろ盾が必要なのです。」
「解っているが、無理強いして姫が出ていったらどうする?」
「それはそうですが、サシャ殿下、さっさと風邪を治して、早くお妃様と子供を作ってくださいよ!」
チェニェクのいつもの台詞に適当に手を振って返事をする。もう聞き飽きた。
大国もあんな男が苦手な姫をよこすくらいなんだから、子供が生まれても後ろ盾になってくれるかどうか。
「とりあえず、俺は別室で休むから支度を頼む。それと姫が起きたら詫びておいてくれ。」
「承知致しました。一日で治して下さいよ。」
「善処する。」
■■
それから昼過ぎまで泥のように眠った。
俺が風邪を引き込んだのはソファで寝たことだけが原因ではなく、結婚式前日まで執務を鬼のように詰め込まれた疲れもあるんじゃないか?
その証拠にたっぷり寝たらすっきりして体調も元に戻ったぞ。
ぐーーっ
そこでお腹が盛大に主張し、朝食を食べていなかったことに気がついた。早く治すためにも何か食べようと身体をベッドの上に起こす。
ん?掛け布が何かに押さえられているような?
足元を見ると、ユディタ姫が布の上に突っ伏して眠っていた。
「ひ、姫?!なんでそこに、いや、そんなところで寝たら風邪を引きますよ!」
「ん・・・?」
顔を上げて寝ぼけ眼でこちらを見た姫の無防備な表情にきゅんっと胸が鳴った。
きゅんっ?!・・・て、何だ?!
「サシャ様はわたくしのせいで、風邪をお召しになったと聞きました。」
スッと俺から視線を外しながら、姫がか細い声で喋る。
「それに今日はサシャ様と過ごす予定だったと侍女から聞きましたので、こちらで看病させていただくことにいたしました。」
大国の姫が俺を看病?!そんなことさせていいのか?
「姫、俺は勝手に風邪を引いてせっかく貴方と過ごす時間をダメにしたのです。怒るならともかく、看病なんてしなくていいんですよ?」
恐る恐るそう告げたら、明らかにむっとした表情になった。姫は意外と感情が顔に出やすい人らしい。妃としては心配だが、妻としては分かりやすくてありがたい。
「わたくし、飼っていた犬の看病をしたことがありますから、できます。」
「犬、ですか。」
「わたくしにとっては、一番大切なお友達でした。」
「連れて来なかったのですか?」
「・・・1年前に亡くなりました。」
「そうでしたか・・・。」
思い出したのか、涙ぐむ姫に手を伸ばしかけて思いとどまる。しばらく上を向いて衝動を抑えるついでに考え、提案した。
「ユディタ姫、ここでも犬を飼いますか?俺も忙しくて貴方と過ごす時間はそう取れません。代わりにといってはなんですが、貴方の慰めになるのなら、と。」
それを聞いた姫がパッと顔を上げて濡れた琥珀色の瞳で見つめてきた。
「お母様が、わたくしはいずれ嫁いで子を産まねばならないのだから、もう犬を飼ってはいけないと仰ったのです。ですから、ダメだと」
「貴方は昨日結婚して、俺の妻になりました。だから、夫の俺がいいと言えばいいんじゃないかと思います。もし、何か言われても貴方のお国は遠いし、俺が貴方と犬を守りますよ。」
「いいの、でしょうか・・・。」
「いいのですよ。どんな犬を迎えましょうか?」
怖がらせないようにとニコッと笑えば、姫もつられたようにふわりと笑顔になった。初めて見たその顔に、俺の心臓が大きく跳ねた。
さっきから心臓がおかしい気がする。もしかして俺は心臓にも病があるのかもしれない。
足元の方から動揺する俺をじっと見てきた姫が小さな声で言った。
「わたくし、小麦色の大きな犬を飼いたいです。」
「以前飼っていた犬と同じ種ですか?」
「いえ、前に飼っていたのは白と黒の小さな犬でした。・・・あの、小麦色の大きな犬でしたらわたくしを守ってくれそうで、安心できるような気がして。ダメでしょうか?」
「ダメではないですよ。分かりました、後ほど手配しておきます。」
姫の希望した犬の色に引っ掛かりを覚えつつ、承諾したところで再び腹が鳴った。
ぐうううっ、という音に姫が目を丸くして立ち上がった。
「お茶と食事を頼んできますね。」
いそいそと廊下へ通じる扉へ向かい、引き開けた姫は、そこに立っている衛兵に驚き飛び上がって勢いよく扉を閉めた。
よほどに驚いたのか、胸を押さえて深呼吸をしている。それからこちらをちらりと見て、再度扉の取っ手を掴んだ。
「姫、」
俺が自分で頼みますから、と続けようとした途端、扉が開いて食事の乗った盆を手に持った侍女とチェニェクが入ってきた。
「サシャ殿下、やはりお目覚めでしたか。お腹が空く頃だと思って、お食事をお持ちしました。」
チェニェクがそう言いつつ辺りを見回す。
「お妃様はどちらに?殿下の看病がしたいというのでこの部屋まで案内したのですが、やはり飽きてどこかに行ってしまわれましたかね?」
「いや、ちょっと席を外しているだけだ。さっきまで俺の話し相手をしてくれていた。」
俺は瞬時にユディタ姫が隠れた場所から目を逸らしつつ、答えた。
「それでは、お妃様の分もこちらに置いておきますね。」
そう言って部屋のテーブルに並べられた二人分の食事に俺は目を瞬かせた。
「え、俺と姫が一緒に食べるのか?」
「はい。お妃様は『サシャ様が起きたら一緒に食べます。』と仰って、殿下のお目覚めをお待ちでした。」
思わず姫が飛び込んで隠れたカーテンの陰を見つめてしまう。
チェニェクと侍女も俺の視線を辿ってカーテンの下から覗く華奢な靴を発見し、俺を憐れみの目で見てきた。
「・・・食べ終えたら呼ぶから、それまで下がっててくれ。」
二人は何も言わずに出ていったが、目では『あんなお妃様でお気の毒に』と言っているのが分かった。
余計なお世話だ!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
お互いまだ手探りです。