1、こっちを見て、声を聞かせて
全7話です。最後までお読みいただければ嬉しいです。
今日、結婚した。
今眼の前にいる妻になった人とは、式の最中に初めて会った。
俺はこの国のたった一人の王子だし、彼女は遠い異国から何ヶ月もかけてやってきた大きな国の姫だし、それが当然だと思っている。
当然、愛も情もない。・・・まだ。
それでも、こんな小さな島国に嫁いで来てくれるのだから、優しくしよう、大事にしようと思っていた。
それなのに。
未だに一言も口を聞いてもらえない。
誓いのキスの時にヴェールを上げて、初めて目があったその瞬間、ふいっと目を逸らされて以来、視線も合わず喋りもしない。
声すら聞かせてもらえないこの状況でこれ以上どう進んでいいのか、ベッドの上で悩み続けている。
「あのー、ユディタ姫。」
恐る恐る声をかけてみること三度目にして、やっと下を向いていた視線がこちらを向いた。
艷やかで真っ直ぐな黒髪、透き通った明るい琥珀色の瞳。ふっくらとした桃色の頬に如何にも柔らかそうな肢体。
くせっ毛で小麦色の髪と焦げ茶の瞳で、ごつごつした大柄な身体の俺と、本当に夫婦になってよかったのかと思うくらいの美貌の持ち主だ。
彼女ならもっといい条件の国に輿入れする事が出来ただろうに。
しみじみとその美しさを眺めていたら、彼女がジワリと身動きした。
ん?なんだか、顔が赤いような。
疲れで熱でも出たかと手を差し出した途端、声にならない悲鳴をあげて逃げられた。
ユディタ姫はベッドから飛び降り、部屋の隅に置いてある大きな肘掛け椅子と本棚の間の隙間にスポッとはまると、膝を抱えて縮こまってしまった。
ええっ?嘘だろ?!これが大国の姫君のとる行動か?
こんなところを見られたら何を言われるかわからないので、誰かを呼ぶわけにもいかない。
どうしようかと途方に暮れて眺めていたら、彼女の目に不安と怯えを見つけた。
そうか、たった一人でこんな遠くに来て心細いんだろうな。
大国から付いてきたお供達は、姫と俺が式を挙げたことを確認すると姫を一人置いて、サッサと帰って行ったのだ。
こちらとしても饗すのが大変だったから、早々に帰ってくれて助かったけど、一人残された姫はさぞ不安だっただろう。
それに思い至らなかった自分を殴りたくなった。
俺は彼女を驚かせないように、そうっとベッドを降りると距離をとって向かい合わせに座る。
床に直接すわるのは生まれて初めてだ。冷たくて硬いな。
そういえば、女性は身体を冷やしちゃいけないんじゃなかったっけ?
昔、乳母に聞いたことを唐突に思い出した。
「ユディタ姫、そこにいては身体が冷えますよ。」
彼女は少し目線を動かしただけで、出てきてはくれない。俺は腹を括って話しかけた。
「ユディタ姫、何もしませんから。・・・俺達は今日、初めて会ったばかりです。夫婦になる前にお互いを知ることから始めましょう。まずは貴方の思っていることを聞かせてくれませんか?」
一人っ子王子だから、さっさと子供もうけろと臣下から怒涛の突き上げをくらっているが、こんなに怯えている女性にそんな無体なことは出来ない。
もう決めた、何年かかってもいい。彼女と打ち解けて、出来ればお互いに愛情が芽生えてから子供を作る!
俺が本当に何もしないという決意が伝わったのか、ユディタ姫がじっとこちらを見つめて口を開いた。
綺麗な形の唇から細い細い可憐な声がこぼれてきた。
「わたくし、怖いのです・・・」
「俺が怖いのですか?!見た目ですか、話し方ですか、それとも全部ですか?!」
それは、妻になったばかりの人の口から初めて聞く言葉としては、あまりにも衝撃的過ぎる内容だった。
もう彼女と仲良くなるなんて無理かもと思って絶望しかけた俺の耳に、再度ささやくような声が聞こえてきた。
「貴方が、というわけではなく全ての男の人が怖いのです・・・。」
「はっ?いえ、その、そうなんですか?・・・何故、と聞いても構いませんか?」
俺限定じゃなくて良かったと思うと同時に、大きなトラウマがあったらどうしようと、背中に冷や汗が伝うのを感じながら尋ねた。
姫はこっくりと頷いて、また口を動かした。
「ええ、その、わたくしは後宮で育ったものですから、周りに男の人が全く居なかったのです。男兄弟も別宮でしたし、父上とも年に一度会うか会わないか、という感じでして。それなのに、いきなり結婚が決まったと告げられて、男の人がいっぱいいる世界に連れ出されたのです。こちらに来る道中、ずっと護衛と称する武器を持った男の人達に囲まれて、怖かった!」
喋りだすと止まらないようで、自分の手を握りしめて必死で訴えてくる。
いかに男の人が怖かったかを・・・男の俺に。
グサグサと刺さる言葉に耐えながら、それでも美しく可憐な姫が、自分だけに向けて話してくれているこの状況に幸せを感じていた。
「こちらの宮殿内も男の人がいっぱいいて、わたくしをじろじろ見てきて、もう、怖くて怖くて・・・ですが、貴方は夫なのに大変失礼な態度をとってしまったと反省しております。申し訳ありませんでした。」
反省してる、と言いながらますます身体を縮こまらせていく彼女を前に俺はほっとしていた。
突拍子もない行動に反して、会話はまともに出来た。
男に慣れてないだけなら、ゆっくり時間をかければなんとかなりそうだ。
とりあえず、今の目標は彼女をベッドに戻すことだ。
彼女を怯えさせないよう、そっと立ち上がり胸の前で小さく両手をあげ、何もしないとアピールしつつ後ろに下がった。
姫は俺が動くと同時にビクッとして側の椅子にしがみついた。
そこまで露骨に怖がられると心が痛いのですが・・・。
「姫、俺は今夜は隣の部屋で寝ますので、ベッドに戻って寝て下さい。今日着いて直ぐの式で、さぞかしお疲れでしょう。」
姫と目を合わせないように、できる限り優しい声を心掛けながら、それだけ告げて俺は部屋を出た。
廊下には見張りがいるが、続き部屋のソファなら誰にも見咎められない。
扉を閉めてソファまで行ってから気がついた。
身体に掛ける物を何か持ってくればよかった。
しばらく迷ったが、まだ起きてるかな、と寝室に戻ってみれば、姫はさっきの場所でぐっすりと寝入ってしまっていた。
え、これ、どうすれば?見てしまった以上、放置出来ないけど、触れていいのか?
そっと手を伸ばして髪に触れてみた。真っ直ぐな黒髪は直ぐにさらさらっと手から零れ落ちていく。
美しい・・・。
彼女はこんなところで寝てしまう程疲れ果てていたのだろうけど、このままでは明日身体のあちこちが痛くなってしまう。
俺は夫だし、犯罪ではない、と理論武装をして姫の身体を慎重にすくい上げる。
めちゃくちゃ軽い!細くて柔らかい!いい匂いがする!
手が出せないのに、これ以上密着しているのは耐えられない!
全理性を使って彼女をささっとベッドに入れ、俺は部屋から飛び出した。
掛け布を持ってくるのを忘れてしまったが、もういいやとそのまま自室のソファに倒れ込んで寝てしまった。
俺も初めての結婚式で激しく緊張して疲れ果てていたんだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
前途多難?