アルストロメリア
教室のドアに手を開ける。
今日はいつにも増して、クラスが騒がしい。
窓際で友人たちと談笑している天音もこの雰囲気には気づいているのか、俺と視線が交錯する。
いつも通り自分の席に着こうとしたら、見慣れたヒヨコ頭が俺の席でうつ伏せで寝ている。
こいつ寝るなら自分の席で寝ろよ。
今さらだけど、こいつよくこの学校に入学できたな。
俺の通う紫葉学園は偏差値的には高いわけではないが、曲がりなりにも中高一貫校だ。高校入試をパスできる分、ここいらの地域では需要が高い。当然、入学試験では学力を図るためのペーパーの試験が必須となるのだが、目の前のこいつが三年前にパスしたとは考えづらい。
このご時世だ。入試で不正を働いたのか、はたまた裏口入学か?
まぁ、この学園に裏口入学するほどの価値があるとは到底考えづらい。
俺の席の斜め後ろにあたるカエデの席を確認する。
普段は車で登校している彼女はいつも俺より早く席についている。
机の脇のフックに鞄がかかっていないことからも、今日は恐らく欠席だろう。
昨日、父親が亡くなったのだ。無理もない。
それに貴族だ。当主の娘であるカエデは今は色々と忙しいだろう。
とまぁ、問題は目の前のヒヨコ頭の馬鹿だが。
気持ちよさそうに、いびきをかいて寝ている。
俺は頭頂部から伸びている毛束を一房掴み、左右に引っ張る。
いくら左右に引っ張っても、ばゆん、と音でも出そうな感じで毛束は定位置に戻る。
だんだん腹が立ってきた。
一房くらいいっといても問題ないだろう。
あと、三房くらいあるし。
引っこ抜くつもりで力いっぱい真上に引っ張った。
「…………ッッッッ!!痛った!超痛ったァァァ!」
「やっと起きたか、ヒヨコ頭。人の席で気持ちよく寝やがって。ヒヨコの成体のニワトリは朝に強いんじゃないのか?」
隼介が勢いよく立ち上がったので、俺は毛束を掴む手を離してやった。
「寝起きであまり難しいことを言うな。よくも俺のチャームポイントを……」
あまりにも大きい隼介の声に教室中の視線を集めることになってしまった。
当の本人は俺が掴んでいた毛束を撫でで、労わっている。
周りの生徒がクスクスと笑っている中、窓際の天音だけは腰元で腕を組み、静かに傍観している。
教室の後ろの方に立っているいつもの女子四人組がまたしっかりと聴こえる声量で立ち話をしている。
「本城くんは今日も優しいわね」
「自然な絡み方」
「掴ませるように計算された髪の生え方」
「こういう乱暴なやり取りも男子ゆえ……」
いつもの隼介ファンの奴らの話し声が聴こえてくる。
若干、一名少しベクトルの違う奴もいるが。
隼介はルックスが良いものだから、何をやってもあいつの評価は下がらない。
俗に言う、但しイケメンに限る、がもれなくあいつには適用される。
ふと四人組のうちの一人と目が合ってしまったので、とりあえず笑って返してみる。
「え?」
「え?」
「え?」
「笑いかけるべきは私じゃない」
今日も朝から死にたくなった。
ただ、酷い勘違いをしているのが端の眼鏡ということが分かっただけでも、収穫としよう。
相変わらず自分の髪と頭皮を労わるヒヨコ頭の残念イケメンに声を掛ける。
「で、だ。お前は何で俺の席に座ってるんだよ」
「そうだよ、ユウ。お前いつもの、いつもの」
隼介はニコニコしながら、俺の鞄を指さす。
「はぁ?何のことだ?」
「え?ウソだろ 悪い冗談だよな?」
「だから、何のことだって聞いてんだ」
頭を抱えておろおろする隼介と話の意図が理解できない俺。
窓際に立っていた天音が俺ら二人に近づいてくる。
「なぁ、天音。こいつは何を言ってんだ?」
天音は深いため息をついて俺に紙を一枚手渡してくる。
コレは…………?
「……………………数学の課題!」
ハっとした。
確かに昨日の授業でも配られていた。
完全に失念していた。
もし、存在を忘れていなかったとしてもやる時間をつくれていたかは怪しいところだったが。
「いけね、完全に忘れてた。今日、数学何時間目だ?」
「今日は五時間目よ、ラッキーだったわね」
危なかった。昼を挟むのならば余裕がある。
鞄からプリントを取り出して、内容を確認する。
二次方程式の文章題が表と裏にズラッと大量に書かれている。
数学が一時間目だったら、詰んでいたな。
「珍しいわね、悠理が課題忘れるだなんて。頭でも強く打ったのかしら?」
天音の目から一瞬、優しさが消える。
隼介は俺らの話が耳に入っているか分からないが、さっきから頭を抱えてこちらに背を向けている。
「冗談よ、悠理。ただあなた少し目元が切れてるんじゃないかしら?少し、腫れてるように見えるのだけど……」
そう言って天音は俺の頬を触り、顔を近づける。
嘘だ。
第七能力保持者である俺は傷の治りが常人に比べて段違いに速い。
それに昨日の戦闘では目元にはダメージを受けていない。
天音の意図はよく分かる。
それにしても、顔が近い。
中等部で三本指に入る可愛さを誇る天音がこんなことをして、変に噂が立ったりしないだろうか。
一般人の俺となんか杞憂かもしれないが、それを差し引いても心臓の鼓動が一気に速くなる。
密かに心臓が高鳴っている俺のことなど気にも留めず、横目で隼介を観察する天音。
「……攻めすぎだ」
小声で目の前の少女をけん制する。
無言で頷き、天音は俺から離れる。
「私の気のせいだったかなー、隼介はどう思う?」
こちらに振り返り、隼介俺の目元をまじまじと覗き込む。
切れ長の隼介の視線と俺の視線が一瞬、交錯する。
他の人からは一瞬に見えたかもしれないが、俺には数十秒に感じた。
「俺にも傷があるようには見えないぞ、多分大丈夫だろ」
隼介は唇に手をかざして、一人納得する。
「そんなことより、課題、終わり次第よろしくな」
手を挙げて、隼介は自分の席の周りの男子の輪の中に入っていった。
直後に始業のチャイムが鳴り、同時に担任が教室に入ってきた。
「…………悠理、どう思った?」
「結論は出た。放課後な」
俺も天音も自分の席に戻り、ホームルームを聞き流し、放課後の作戦を確実に遂行できるよう頭の中で入念に情報を整理する。
その日も特に問題が起こることは特になく学校は終わった。
昇降口で外靴に履き替える。
「よぉ」
「うん」
特に示し合わせたというわけではないが、天音と合流する。
「何で私の下駄箱の位置が一番下で、悠理のが一番上なわけ~」
「別にいいだろ、それ以外のほとんどで俺の上をいってるんだから。下駄箱の位置ぐらい俺が上にいかせてくれ」
紺野と笹宮だから、俺と天音の出席番号は連番だ。
ちょうど、下駄箱の列が俺と天音の間で切り替わる。
天音はそれが気に入らないらしい。
一人で靴を履いて、そそくさと外に出る天音。
俺は小走りで肩の下まで揺れる黒髪を追いかける。
「いつもお前は俺を置いていくのな」
「違うよ、悠理の足が遅いだけだよ」
否定できないので、口をつぐむ。
天音はそんな俺を横目で見て、隣に並んだことを確認して問いかける。
「答えは出た?」
「出たよ、俺のなかで」
「そう……」
俺の反応を見て、何も聞いて来なくなる天音。
帰路につく俺と天音の足取りは重い。
「敵の狙いは早苗ちゃんで間違いないのよね?」
正面を見て、歩いたまま俺に訪ねてくる。
俺も目線は正面に固定したまま答える。
「ああ、そのはずだ。ファルコンは執拗に俺に早苗の所在を聞いてきた。俺らがファルコンを捕らえたいように、ファルコンも早苗を手に入れたいに違いない」
「ただのロリコンで済むような話じゃないのよね……」
「残念ながらな。あれが性犯罪者だったら、たちが悪いにも程があるよ」
隣で天音はクスっと笑った。
数時間後には笑えない状況に陥るからこそ、今はどんなにくだらないことでも笑っていたい。
例えそれがブラックジョークだろうが、下ネタだろうが、身内ネタだろうが、自虐だろうが何だって構わない。
俺は白澤さんと約束したんだ。
この目の前の少女の――。
天音の笑顔だけはどんな犠牲を払おうとも、絶対に守り抜くと。
少し俺より前を歩いていた天音が立ち止まり、こちらを振り返る。
目元に少しかかった黒髪を手でよけて、首を傾げて俺を見つめる。
ふと道の両端に咲いているこの黄色い花が目に入る。
まだら模様と縞模様の花びらが三枚ずつ、内側と外側についている。
俺と天音のひざの上にまで伸びて、花を咲かせている。
「アルストロメリアだよ」
風に揺れる花の間に立ち、そっと俺に教えてくれた。
「アルストロ……メリア……?」
「そう、アルストロメリア。この花にはたくさんの花言葉があるの」
少しかがんで花を見つめる天音に今度は俺が首を傾げた。
「今咲いている黄色のアルストロメリアの花言葉はね――」
嬉しそうに話す天音。
この時間がずっと続けばいいのに。
最高のパートナーと組むのに、こんなに任務に出たくないと思ったのはいつぶりだろう。
俺以上に、この目の前の少女の手を血で汚したくない。
いっそのこと逃げてしまおうか。
そんなことが出来ないのは分かっているのに、その無謀な考えが頭の隅をちらつく。
夏の澄んだ風が下から吹き上げて、咲き誇るアルストロメリアを大きく揺らす。
そうだ。この日常を続けていくためにも今日、戦うんだ。
明日からの日常が少し、形を変えようと俺は進まないといけない。
七月の心地良い空気を吸って、もう一度歩き出す。




