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月夜烏は虹に舞う  作者: 遠藤紫織
20/32

普段通りの朝

 中段に竹刀を構える。

 疲れから視界が霞む。

 相手の少女が打ってきた剣をいなし、受け流し、かわす。

 つばぜり合いでは第七能力(セブンス)で膂力をブーストでもさせない限り、天音は押し切れないので、極力避ける。

 止めどない剣戟をひたすらに防御し続ける。

 もう俺の腕には十分な乳酸が溜まり、一刻も早い休息を取るように悲鳴を上げている。

 だが、目の前の少女はそんなことはお構いなしに鋭い太刀筋で何度も何度も俺に打ち込んでくる。

 彼女の五連撃にも及ぶ剣戟が止んだ後の一瞬の硬直を狙い、俺は右下から竹刀を振り抜く。

 俺らがやっているのは剣道ではない。

 致命的と判断される一撃を加えれば、それで終わりだ。

 当たるっ――!

 そう思った矢先、彼女は読んでいたかのように上体を反らして華麗によけ、持っている竹刀の持ち手の部分で俺のみぞおちに叩きつけた。

「ゲホォッ!……ハァッ、ハァッ、少しは手加減してくれよ、剣道部エースさんよ……」

「ねぇ、悠理お願い。寝言は寝ていってもらえないかな?いつも通り手加減したつもりなんだけど……」

 少女は涼しい目で言ってのける。

「ははは、笑えない冗談だ」

 こいつ、俺が昨日負傷したこと忘れてんのか?

 正直、のぞみさんに昨日やってもらった痛覚遮断がなければヤバかった。

 流石、天音だ。剣の振り方に迷いが無い。道場の同期では一位の成績だったし、数日前の剣道の全中で準優勝に輝いただけのことはある。

「いくら痛覚の遮断をしているとは言え、防具は付けておくべきだった?」

「いや、必要ない。返って動きが阻害されるだけだ」

「そうだよねー、私もずっと窮屈でこの前まで嫌だった~」

 天音は座り込む俺の前で腰に手を当てて、笑う。

 俺たちが学んできたのは実践を想定した剣術であって、競技用の剣道ではない。

 実際に他の剣道部員に見られたら、防具なしでの立ち合いなど、正気の沙汰ではないと思われるに違いないが、俺と天音にとってはこれが普通なのだ。

 それにこの時期の剣道場には生徒はほぼ来ないと思っていい。

 年に一回の最大規模の大会が終わった直後であり、熱心に朝練に来る剣道部員はいないのだ。

 来るとしても……。

 剣道場の入り口がそっと開けられる。

「あっ!もうやられてる!」

 そう、この天使さまだけなのだ。

 急いで上靴を脱いで、こちらに駆け寄ってくる。

「来たわよ、悠理。あなたのスイートエンジェルさまが」

「うるせぇよ、小悪魔」

 俺の言い返しにも、天音は手を口に当てクスクスと笑っている。

 天音はひとしきり笑った後、かがんで床にひざをつく俺の耳元にそっと顔を近づけ、声を掛ける。

「今日は普段通りに過ごして。間違っても行動は起こさないように」

「ああ、分かってる」

 表情を変えず、視線もそのままに返事をした。

「ちょっと、ちょっとー!何二人で内緒話してるの?」

「ううん、少し二人で悪口言ってただけ」

 天音は済まし顔でサラッと嘘をつく。

「えっ!ひ、ひどい……」

 白澤さんは露骨にショックを受けている。

「また天音のいつもの冗談だよ、白澤さん」

 かわいそうに思えて、俺がフォローを入れておく。

「ほ、ホント!アマちゃん、私のこと嫌いじゃない?」

「ええ、本当よ。和歌のことは嫌いじゃない。私は先に教室に行ってるから、悠理のことよろしくね」

 また天音は例によって俺のことを散々ボコボコにした挙句、後のことは白澤さんに丸投げして道場を後にする。

 入口から出る際に俺に目配せをしてきたので、俺も目を合わせて応えた。

「アマちゃん、今日は優しいね」

「え?」

 白澤さんは俺の身体を見て、一言呟いた。

 彼女の言っている意味が良く分からない。

「優しい?天音が?」

「うん、今日は優しいと思う」

「俺がこんなにボコられても?」

 少し自嘲気味に言葉を紡ぐ。

 いつも防具は着けていないとはいえ、今日も貰う分のダメージはきっちり貰っているつもりだ。

 白澤さんの視線が俺の肩と太ももを行き来する。

 違う、目の前の少女は気づいたのだ。

 俺が痛覚遮断テープなる天才が生み出したオーバーテクノロジーのスーパーアイテムを使ってダメージを軽減させている事実に。

 いや、具体的な方法まではまだ分からないはずだ。

「いやぁ、気のせいかなぁ?ちゃんといつも通りしっかりやられてるもんなぁ。アマちゃんは今日も手厳しいなぁ」

 天使さまは頬をかき、微笑み掛けてくる。

「そうだな、今日の天音もきつかったよ」

 天使さまはうんうんとしゃがんで嬉しそうに俺の話を聞く。

「隣、いい?」

「ああ」

 剣道場の強化ガラスに二人、背中を預ける。

 朝のガラスは少し冷たいが、日が昇るに連れて徐々に温かくなったのだろう。背中には心地良い温度が伝わる。

 剣道場は二階にあるため、校庭が一望できるがどの部活も朝練はしていない。

「まだ、時間大丈夫だよね。少しだけゆっくりしてから教室行こうよ」

「そうだな、俺も疲れたから少し休憩するよ」

 隣に座る白澤さんがジジ臭いと少し笑いかける。

 そうかな、と俺も苦笑いで返す。

 少しショックだった。

「アマちゃんにいつも付き合ってくれて、ありがとね、笹宮くん」

「どうしたんだよ、いきなり」

 白澤さんは体育座りで曲げている自分の脚をぎゅっと抱きしめて、天音がさっき出ていった入口を見る。

 俺も隣の白澤さんに倣って、目線を入口に移す。

「アマちゃんの実力はあまりにも私たちとは一線を画す……いや、一線を画すなんて言う甘い言葉じゃ、表現出来なくて、そうだなぁ……」

 天使さまはショートカットの髪を揺らして、天井を仰ぎ、言葉を探す。

 口を軽く開け、欲しい言葉が見つかったのか俺の方に向いて話す。

「次元が違ったの」

 天音の実力を数分前まで、この身に受けていた俺は十二分にそれを理解しているつもりだ。

「アマちゃんの相手はもちろん私たち同級生には務まらないし、高等部の男子でさえ敵わなかったんだ。それで私はある日、聞いてみたの。誰だったらアマちゃんの相手、できそうって」

「天音は何て言ったんだ?」

 白澤さんが俺を指さす。

「ボールを必死に追いかける笹宮くんを指さして、一言、彼とだけ言ったの」

「お、俺?」

「そう、笹宮くん、あなた。アマちゃんがすごく嬉しそうに指さしてたのを覚えてる」

 だから、俺が天音の朝練に付き合うようになったのか。

 最初は美人の白澤さんに声を掛けられて、ホイホイ付いて行っただけだった。

 だけど、そこに待ち構えていたのは竹刀を握って立っていた、外を冷めた目で見つめる天音だった。

「あれからもう一年になるんだね、覚えてた?」

「もちろん、覚えてたさ。サッカー部の俺が剣道場に呼ばれたと思ったら、天音と手合わせして欲しいだもんな。驚いたよ」

 白澤さんは抱いている脚に顔をうずめる。

「話したことないし、クラスも部活も違ったし、話しかけるのすごい恥ずかしかったんだからね」

 隣の少女は顔を赤くして、さらに顔をうずめる。

「そっか、それなのにどうして俺に声を掛けてくれたんだ?」

「それは…………」

 白澤さんは俺の方に正座で向き直る。

 組んだ手をいじりながら、おどおどしている。

 話す覚悟ができたのか、組んだ両手を胸に当てる。

 もしや……来るのか?俺の時代か?

 否応なく期待してしまう。

 白澤さんが口を開くまでの数秒がとても長く感じる。

「アマちゃんの笑った顔が見たかったから」

 白澤さんは両手を床に付いて、最高の笑顔で笑った。

 少し肩透かしを食らったが、言葉の続きに耳を傾ける。

「アマちゃんは笹宮くんと朝練をするようになってから、すごく笑うようになったんだよ」

「俺は部活の先輩にドヤされることが多くなったけどな」

「ごめんって」

 俺の言葉を真に受けて、白澤さんはオロオロして俺の身体をさする。

「なに、気にしてないさ。うちのサッカー部はそんなガチガチじゃないからさ」

 今後、白澤さんが気にしないように軽くフォローを入れておく。

 それに天音に笑っていて欲しいのは俺も同じだ。

 いくら小さいときから嫌なことをたくさんされてきたからと言って、この気持ちが揺らぐことはない。

 俺は身の回りの人たちだけでも笑ってくれてればそれでいい。俺を含め、その他の犠牲なんて微塵も惜しまない。

「ねぇ、笹宮くん」

「なに?」

「何でもそつなくこなす完璧超人のアマちゃんだけどさ、もし、この先もアマちゃんが困ったり、悩んだり、苦しむことがあったりしてさ、その隣にはいつも笹宮くんがいると思うんだ」

 白澤さんは力強い目で俺を見つめてくる。

 閉め切っているはずの剣道場に一陣の風が吹いたような気がした。

 風で髪を揺らす白澤さんが神秘的に俺の目には移った。

「その時は絶対に諦めないで助けて欲しい」

「分かった」

 天音は良い友達を持った。

 こんなに気にかけてくれる友達が一人いるだけで、気持ちの余裕は全然違うだろう。

 俺の力は些細なものかもしれないけど、天音がピンチになったら、隣で手を差し伸べられるようにはなりたい。

 実際に今日から、天音は俺と実戦に出る。

 まずは今日を無事に乗り切ることだ。

 天音にもしものことがあれば、この目の前の子が悲しむことになる。

 絶対に何があっても天音だけは守り抜いてみせる。

 再度、俺は心の中で固く誓う。

「話、聞いてくれてありがとう。そろそろ行こっか!」

 目の前に座っていた白澤さんは勢い良く立ち上がり、俺に手を出す。

「ああ!」

 差し伸べられた手を勢い良く引っ張り、俺も立ち上がる。

 強く引っ張ったせいで、俺と天音と比べて小柄な白澤さんはバランスを崩すが、すんでの所で、持ち直す。

「笹宮くん、アマちゃんだけじゃなくて、私にも優しくして欲しいなぁ~なんて?」

 両手を後ろに組んだ白澤さんに下から覗き込まれる。

「お、おう……」

 俺は明後日の方向を向いて、誤魔化した。

 昨日と同じように、更衣室に向かう。

 教室には天音もカエデもいる。

 カエデには昨日の事件を何と説明しよう。

 いや、カエデクラスの貴族なら組織から詳細を聞いているかもしれない。

 挨拶だけして、いつも通りに過ごそう。

 今日は授業に集中できる気がしない。

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