少年の日常
この夢を見るのは二回目だ。夢見ごちは最低。いつも最後で意識が途絶える。
「笹宮くんっ!笹宮くんってば!起きてっ、そろそろ起きないとっ!」
後頭部に感じる柔らかな感触、鼻腔をくすぐる甘い香り、そして聴こえる心地良い声音。
あぁ俺死んだのかな、最後までカッコ悪いなとか、くだらないことを考えていると、頭上の天使さまがさっきよりも声を上げる。
「もう、くだらないこと言ってないで!早く起きないとっ!私も怒られちゃうからっ!」
最近の天使さまは金髪碧眼だけじゃないんだな。
日本人には日本人らしい天使さまが対応するシステムなのか?
グローバル化ってこんな場所にも影響を及ぼしていたのか。
そんなまたくだらないことばっかり考えていたら、今度はほっぺたをペチペチ叩かれ始めた。
ほんのりバイオレンスな所も嫌いじゃない……。
いや、違うよな、この状況は。
俺はゆっくりと目を開ける。
「やっと起きた!早く教室行こ!皆んな待ってるよ?」
頭上の天使さまが優しく囁く。
そして、俺は自分が陥っている状況をすぐに理解した。
だが、あいにく俺は白澤さんとは違い待っているのはクラスの馬鹿な男子どもだ。
まぁ、悪い奴らではないし、嫌いじゃないが。
「あ、あぁ、そうだな。早く行かんとだな。ってか、白澤さんごめん……迷惑かけて」
「い、いいよ……私が勝手にやってるだけだから」
どこまでも優しい天使さまは頬を赤く染めながら呟く。
手をパタパタと動かして、少しでも自分の中の熱を逃がそうとしている。
「そ、それにしてもアマちゃんはちょっとやり過ぎだね。いくら笹宮くんが一番長くアマちゃんの打ち込みに耐えられるていっても限度がなぁ……私の方から言っておくね?」
「ああ、よーく言い聞かせておいてくれよ?」
とりとめのない会話を交わしながら二人で笑い合う。とても幸せな時間。
「で、悠理はいつまで和歌の膝枕のお世話になってんの?」
嫌な汗を背中にかいた。
道場の入り口にはさっきまで俺に何連撃も叩き込んできた幼馴染、紺野天音が腕を組んで、壁にもたれてた。道着から制服に着替え終わり、戻ってきたのだろう。
その姿を見た瞬間さっきまでかいていた嫌な汗の勢いが増す。
こいつ、いつから……?
「い、いや、これは、ね?天音さん?ちょっと違うんだよ、あはあははは……」
天音が頬をピクつかせながら、こちらに微笑む。
それを俺は苦笑いで返す。
いや、怖いって!天音怖いって!
天音は「ふふっ」と不敵に鼻で笑って、道場を出て行った。何となくだが心にもやもやとしたものが残る。
「じゃあ、笹宮くん、私たちもそろそろ行こっか!」
「あ、痛ゥッ……」
ああ。この二文字を言い切る前に白澤さんは立ち上がり、俺の後頭部からはさっきまでの柔らかい感触は無くなり、道場の固い床の感触が出迎えた。ゴツンと何とも漫画チックな音が道場に響く。
天然天使さまは聞こえなかったのか、小走りで道場を出て行った。
「はぁ、俺も早よ着替えて教室行かねば……」
ため息をつきながら、とぼとぼと更衣室に向かう。
俺も大概、ボランティア精神が豊富だな。
レモンに含まれているビタミンCの次くらいには溢れてる。
心の中で自嘲しつつ、歩みは止めない。
まだ、朝のホームルームまでは時間に余裕があるはずだ。
「ういーっす、ユウ。数学の課題見してくれや」
「俺が教室入ってからの第一声がそれかよ。ちゃんとやってこいよ、一枚五分かからないだろうが」
つい、いつものことで小言を言ってしまったが、白澤さんとの一件で気分の良い俺はそんなことを言いつつもクリアファイルからプリントを二枚取り出して、自分より頭一つ分背の高いヒヨコ頭――本城隼介に渡す。
「舐めるなよ、ユウ。俺が何枚課題を溜めてると思ってる。それとな言い訳じゃないんだがな、他にもやることが――」
「はははー、シュンくんすごーい。超天才。ユウくんちょっと見直しちゃったー。けど、内申点は大丈夫か?いくらここが中高一貫だからって、相当まずいんじゃないのか?」
机に頬杖をつきながら、そんな軽口をたたいていると、両肩をつかまれ「こんにゃろ」とか言われつつ、笑顔でブンブンされた。
「わあぁ!本城くん優しい!朝から怒られないように笹宮くんに課題見せてあげてるよ」
「課題を見せてあげてるように見えて、本当は朝からクラスに馴染めてない笹宮くんと積極的にコミュニケーションを取ろうとしてあげてるのよ」
「本当に良い人だね、西城くんは。それに比べ笹宮くんは……」
「やだ、本城くんと笹宮くんって――」
おい、ちょっと待て。何で隼介の株が上がってんだよ。
おかしいだろ。
第一に見せてあげてんの俺だし。
流石に課題見せてあげたくらいで「キャー笹宮くんカッコイイー」といかないまでも俺のプラス評価のはずだ。
あと、四人目の言っていることは聴きたくなかったので、耳を塞ぐ。
そんなことを思いつつ、とりあえず、立ち話をしている女子たちにはとりあえず親指を立てておく。
「きっと笹宮くんまだ寝ぼけてるのね…………」
「うん」
「うん」
「うん」
「よし」
少し死にたくなった。
あと、最後の奴「よし」ってなんだよ。
この男、本城隼介はやけにモテる。
それも明るい性格と並外れた運動神経、ガタイの良い体格の賜物だろう。
ルックスも良く、サッカー部のエースストライカーということでいつも女子からは注目の的だ。
数週間前まで、同じポジションでプレーしていた俺からしてみれば良い迷惑だ。
言ってしまえば、俺の勉強が出来ないだけの完全上位互換になる。
これだけの要素が揃えば、ぶち殺してやりたいのは山々だが、俺の数少ない友人の一人だから、今日の所は大目に見てやる。
「よぁーし、ユウ。終わったぞ、ミッションオールクリアーだ。サンキュな」
「おう」
超スピードで俺の課題を写し終わった隼介は爽やかイケメンスマイルでお礼を言って、違う奴らとまた話に行った。
あいつ飯を食うのと課題写す速さに関してはえげつないな。
あと、すぐ爽やかスマイル向けるのやめて欲しい、一部の女子が勘違いするから。
それに何気軽に女子の輪の中に混じって、仲良くお喋りしてんだよ。
もう大目に見てやるのやめようかな。
やっと落ち着いた俺は鞄の中から教科書類を机の中に入れる。
クシャッという音が鳴り、教科書が紙のようなもので机の中で詰まった。
「ん?」
一度教科書類を机の上に置き、つっかえた物を取り出す。
出てきたのは一枚のグシャグシャになったルーズリーフ。
何だ? ラブレターか? いや、違うか。
ラブレターならこんな無造作に扱われない。
そんなことは絶賛非リア充の俺にでも容易に想像がつく。
周りに気を配りながらルーズリーフに書かれている文字を目で追う。
内容はさっきまでの考えとはまるで真逆のものだった。
はぁ、何で朝から……。
まぁ、早いとこ片付けるか。そんなことを思いつつ、右斜め後ろの銀髪ツインテールの笑顔を見つめた。
どうしてこうも俺の周りは皆んなが皆んなご機嫌なんだよ。
始業のチャイムが鳴り、静かに教室のドアが開いた。
「はーい、朝のホームルーム始めっぞー。日直の人挨拶してー」
俺のクラス三年四組の担任が入ってくる。
起立、礼。毎日続くルーティーン。
「よーし、それじゃあ、そのまま一時間目が俺の数学だから、昨日配った課題集めるよー。みんなちゃんとやってきたかなー?後ろの人集めてきてー」
いつも通りゆるく言い放つ担任は自信満々で回収者にプリントを渡す隼介に目を見開いて驚愕していた。
「どうしたんですか先生?オレちゃんとやってきましたよ?」
「えっ? あっ、うっ、うん。おっ、お疲れさまね」
優しく先生は微笑む。
だが、頬はピクついている。
きっと内心ではそんなまさかと思っているのだろう。
いつもペコペコしながら遅れて職員室に課題を出しに来る隼介が今日は本来の時間に出したのだ。出さないこともザラにあるのに。驚くのも無理はない。ただ顔に出ないように必死に我慢している。流石は聖職につく大人である。
その後は何事もなく授業が始まり、チャイムが鳴る二分前にはいつものように課題プリントが配られた。多くのクラスメイトからはため息が聴こえたが、俺は今朝のルーズリーフのことで、頭がいっぱいで課題プリントどころではなかった。
一時間目以降も何事もなく授業は進んでいき放課後になった。
帰りのホームルームを終えたあと、ルーズリーフに指定された西校舎三階美術準備室へと向かう。
これが美少女からの告白とかのそういった桃色展開だと気分も浮き立つのだが、いかんせん足取りが重い。




