天才のシャーデンフロイデ
俺は慌てて、患者服を身にまとう。
「で、肝心の使い方なんですが、げふっ――」
突如、みぞおち目掛けて、のぞみさんの細腕からは考えられない強さの右ストレートをお見舞いされる。
「ちょっ!何するんだアンタ!」
「まぁ、ちょっとばかし、レクチャーをだな」
白衣の少女は下品な笑みを浮かべ、俺を見上げる。
みぞおちへのクリーンヒットを食らい、一瞬息が止まった。
止まったが、痛くは………………ない?
殴られた感触を思い出そうと、胸の中心を何度もさする。
「これでレクチャーは終わりだ。この痛覚遮断を行っている限り、君は生半可な攻撃ではビクともしなくなった」
「最強の防御札を手に入れたと解釈しても良いんですか?」
「いや、それは思い上がりだよ、笹宮少年」
のぞみさんは三歩俺に近づいて、背伸びをする。
俺の首に手を回し、うなじの部分――正確には延髄を指差し、二回叩いた。
「少年、少女へのダメージを無効化させているわけじゃない。ただ、その名の通り、一時的に痛覚を遮断しているだけだ。そのことは十二分に留意してくれ」
俺は息を飲む。
痛みとはつまり生命維持が危ぶまれたときに発生する危険信号だ。
それを俺は明日、無視し続けることになる。
こんなのは交通量の多い道路を赤信号で渡り続けるようなものだ。
いつ死神の鎌が俺の首に届くか分からない。
ただ、それが明日でないことを祈るばかりだ。
「顔が暗いぞ、少年。母親か妹に成人向け雑誌の一冊でも見つかったのか?」
それは鍵ある引き出しに隠してるから問題ねぇよ。
俺を元気づけるためにブラックジョークの一つも言ってくれているのだろう。
「少年、無理だけはするなよ」
「分かっています」
「君がいなくなると藍吏が悲しむ」
「のぞみさんも悲しんでくれるでしょ?」
俺が挑発的な笑みを交えて、軽い冗談を言うと、もう一度、のぞみさんの渾身のストレートを今度は腹に食らう。
いった……くない?
再度、痛覚遮断テープの恩恵をこの身に受ける。
チリチリと腹部に静電気のようなものを感じるだけで、何とも形容しがたい独特な感覚を覚える。
「馬鹿者が、少年が消えて喜ぶ者などあの場にはいない。無論、私も例外じゃない」
のぞみさんの言ったあの場とはつまり――先ほどの代表や隊長を含めた少数で行われた会議のことだ。
「それに君はデータが少ないんだ。これじゃ、先の総会議でまた上からどやされてしまうからな」
「あはは…………俺、戦闘のときあんまり第七能力使う方じゃないですもんね……」
顔色を窺って、頬をかいてみせる。
「君が剣技、体術に優れているというのはよく聞いている。だが、次の戦いではそうもいかないだろう。戦闘についての詳細はペアを組む紺野少女と話した方が得られるものは大きいと思うが、私からも一言だけアドバイスさせてくれ」
のぞみさんは個室のドアに手を掛け、俺に身体を向ける。
「出し惜しみはするな…………最初から全開で飛ばしていけ」
「はい」
結局のところ、この人も優しいのだ。
普段は文句や小言に悪態、挙げればキリがないが、この人なりのアドバイスや不器用な優しさだと俺は一年を掛けてようやく理解してきた。
まぁ、もちろんそれに限ったものばかりでもないのも確かだが。
「それに…………」
俺はいつも剣を握る右手を胸の前に出して視線を落とし、広げ、そして力強く握る。
のぞみさんに言われるまでもない。
ファルコンは見つけ次第、フルパワーで叩く。
天音の出番など、無くしてやるくらいの気迫で初撃をお見舞いする。
それで終わらせてやる。
のぞみさんが背伸びして、俺の耳元まで迫る。
酒ではない薬品じみたアルコールの匂いが俺の脳にまで届く。
「お前の第七能力はそんなもんじゃないだろ」
耳元で囁かれ、身体を震わせる。
ここ一年俺を担当してきたことだけあって、少なからず見抜かれているかもな。
トイレから足早に出ていく白衣の少女を見送り、俺も帰路につく。
長い一日が終わった。
少しでも身体を休めて、明日に備えないといけない。
明日はここから家を経由して、荷物を取ってから学校に行こう。
白一面の長い廊下を抜け、医務室のドアに手を掛ける。
さっきまでお世話になっていたベッドに再度、横になる。
枕元に置いてあるスマホを点ける。
きっと隊長あたりが俺の行動を読んで、置いておいてくれたのだろう。医務室の施錠もされてなかったし。
今日はたまたま一件も友達や家族からも連絡は来ていなかった。
家族と言っても、親父は単身赴任で家を空けているし、母さんは放任主義だし、妹は中学に上がってから口を利いてくれなくなったから、あまり期待はしていない。
友達は……多くないから、予定調和だ。
消そうとしたスマホに元から入っているニュースアプリの通知が一件届く。
俺の住んでいる穂倉の地域一帯に明日は流星群が見られるらしい。
最近はあまり天音と深く話せてなかった気がする。
穏やかな気持ちで二人で流星群を見たい。
満天の星空の情景を頭の片隅にそっとしまい、明日を思って瞼を閉じた。




