過去とプレゼント
今でも昨日の出来事のようにあの日々は思い出すことができる。
重なった手に視線を固定して、俺は口を開く。
「……小学生のときは今よりももっともっと世界には色が溢れていて、俺はそのおかげで毎日、師匠や天音、他の皆んなと剣を振るのが楽しくて仕方がなかったんだ。それに道場の中で俺は他の子よりも少しだけ、剣が上手に振れた。体格が恵まれているわけでもない、練習量が抜きんでて多いわけでもない俺が……だ。その理由がお前には分かるか?」
天音は目を瞑ったまま、首を振る。
俺は苦笑いをして、言葉を続ける。
「見えたんだよ……俺には。相手がどんな軌道で剣を振ってくるのか、俺がどんな振りをすれば相手に当たるのかが」
「噓…………悠理、それは師範に――」
「もちろん言ったさ、師範は喜んでくれたよ。ただ、それと同じくらい悲しい顔もしてた。それはいずれ見えなくなることを師範は知っていたからなのかな」
弱気に肩をすくめ、天井を仰ぐ。
「これで皆希虹天が再現できなくなった理由は話した。あの技は俺の眼で自分と相手の剣筋を見極めることではじめて成し得る技なんだ。だから今の俺には不可能なんだ」
俺の手から天音の手がそっと離れる。
天音は音を立てずに俺の後ろに立ち、俺の両肩に腕を回す。
かぐわしいクチナシの花の香りに一瞬ドキっとするが、その興奮は束の間、心地良い安心感に包まれた。
「悠理……話してくれてありがとう。無理言ってごめん。虹に頼らなくたって、私たちは最強だよ。誰にも負けないんだから」
「ああ、俺たちは二人いれば倒れることなんてない」
左肩に乗った天音の手に俺の右手を絡ませる。
お互いに頬はきっと紅潮しているだろうが、目線は倒すべき敵を一直線に正面見据えて、離さない。
「はぁ、君たち思春期で盛るのは一向にかまわないが、場所をわきまえたまえ」
俺と天音は焦って、絡ませていた手を離し、起立する。
「の、のぞみさんに、藍吏さん!どうしてここに!」
のぞみさんの後ろから、斜めにひょっこり藍吏さんが飛び出る。
いや、見え見えだったよ。
本来なら、背の高い藍吏さんが幼児体系ののぞみさんを隠す方だろ。
「全然、のぞみの部屋に来てくれないから、私たちのほうから来ちゃった」
「私は次の学術発表会で提出しなくてはならない論文があるから、こんな暇はなかっただが、藍吏がどうしてもってな――」
「あら、のぞみ。さっきまで私と研究室のスクリーン使ってス○ブラやってたじゃない」
のぞみさんが俺を見つめて段々、泣きそうな顔になっていく。
いやいや、俺見て泣きそうになるのやめてくれ!
てか、スクリーン使ってスマ○ラって、せっかくの大画面スクリーンを有効活用してるのか、無駄にしてんのか、分からねえよ。
「の、のぞみさん。わざわざ出向いて下さってありがとうございます」
天音が泣きそうになっているのぞみさんに話を振ることで、何とか誤魔化そうとしてる!
グッジョブだ、天音!
「……別に…………イイよ…………ぐすん」
はい、アウト!
天音のフォロー虚しくギリギリアウトだった。
だって最後に思いっきし、ぐすんって言ったもん。
ぽろぽろ泣いちゃってるもんな、俺見て。
めちゃくちゃ俺が悪いみたいになってるわ。
泣かせた当の本人は普段通り、すごいニコニコしてるけど。
何でこの二人仲良いんだよ。
「え、えっと、のぞみさんに藍吏さん。行くの遅くなってすいません」
「全然良いのよ、天音ちゃん。泣き虫さんと待ちきれなくなってきちゃっただけだから。ね?のぞみ?」
そう言って藍吏さんは隣のベソかき茶髪サイドテールに笑顔を振りまく。
泣きっ面に蜂。オーバーキルも良い所だ。
「遅い時間まで俺たちのことを気にかけてくれてありがとうございます。それで、さっきお二人が言っていたプレゼントって……」
めそめそ泣いていたのぞみさんは何かを思い出したように着ている白衣の内ポケットをガサガサと漁り始める。
「これじゃない……ああ、これでもない……」
内ポケットからは漫画や水筒、ハムスターに電子レンジ、様々なものが出てくる出てくる。
って、電子レンジ?
この人の内ポケットどうなってんだよ。
何次元ポケットだよ。
「あ、これだ、これ!」
黒い光沢のあるガムテープのような物をテーブルの真ん中に置く。
「「ガム、テープ?」」
「まさか、世界的に認められた七人の天才の一人である桜井のぞみがこの期に及んでただのガムテープを渡すわけないじゃない。説明して、天才科学者さん?」
藍吏さんに褒められ、気を大きくしたのぞみさんは腰に手を当てて、高らかに説明を始める。
復活早いなこの人。
「さて、無知な君たちにこの七人の天才の一人である私が説明してしんぜよう!」
俺と天音は無言で正面ののぞみさんを見つめる。
藍吏さんだけが一人、わぁーとか、ぱちぱちー、とかセルフ効果音をつけて拍手する。
それに満足したのぞみさんは、自慢気に話す。
「まずは、諸君。人は痛みを感じるとどれだけ脳が働かくなくなるか知っているかな?」
俺と天音は顔を合わせ、首を傾げる。考えたこともない。
「よろしい、まずは痛みについて、軽く説明するとしよう。痛みの程度には様々なものがある。軽微なものから、耐えられるが不快なもの、さらには耐えることが不可能な急性なものまで。今回は最後に話した耐えることができない急性な痛みに関わることだ」
さっきまで泣いていたとは思えない天才が言葉を並べる。
藍吏さんだけじゃなく、俺たち中学生にも伝わるように言葉を選んで話してくれるから、スッと頭の中に説明が流れ込んでくる。
「さてさて、では笹宮少年。何故、生物の身体には痛みが存在すると考える?」
俺は今朝の朝練で天音にボコられたこと、先の路地裏でファルコンに滅多打ちにされたことを脳内で反芻して、自分なりの答えを導き出す。
「……このままでは生命維持活動に支障をきたす――つまりは脳内から発せられる危険信号……みたいなもの……ですか?」
いつも難しい顔をしているのぞみさんの顔が晴れる。
「ご名答だ、笹宮少年。その急性な痛み感じると人の身体は本能的にこのままではまずい、今の状況を打開しなくてはと判断をする。そういったプロセスを経て、理性とは裏腹に防衛的な反応を取ってしまう。と、まぁ、痛みについての軽い説明はこの辺にしておこうか」
のぞみさんはひとしきり話した後、俺の飲みかけのミルクティーを一気に飲み干す。
この人、ホントお構いなしだな。
「――では、今度は紺野少女に聞こうか。紺野少女、戦闘中に激しい急性の痛みを感じ、敵の前で惨めに縮こまり、うずくまればどうなる?」
のぞみさんの瞳からは光が消え、天音を鋭く見つめる。
天音は簡潔に、だがこの場にいる四人に通る声で一言。
「死ぬ」
「そうだ、死ぬな。ほぼ間違いなく死ぬだろう。万が一、死ななくても身体に今後回復困難な致命傷を負うことは避けられない。そこでだ、そういった事態は可能な限り避けたい。そう、私を含めた研究班は結論付けた」
のぞみさんは先ほど、自分でテーブルに置いた黒い光沢を放つガムテープのようなものを再度、手に取る。
手に取ったものを器用に手の上で回しながら、それの正体について告げる。
「痛覚遮断テープ――我々はそう呼んでいる」
俺ら三人は息を飲む。




