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月夜烏は虹に舞う  作者: 遠藤紫織
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ある少年の過去の情景

 西日に照らされた全面板張りの床に五人の幼い少年少女が反射で写される。

 澄んだ空気の中、各々がその小さな胸を張り、夕陽を一身に受ける。

 着ている道着は彼らの純真無垢さをそのまま映した心のように白い。

 横に並んだ五人の正面――ちょうど夕陽と重なるように長身痩躯な男はぽつんと一人立っている。

 とても剣を握るとは思えないような、か細い両腕を垂らし、叩けば折れてしまいそうな脚を肩幅に開き、床を踏みしめて、立っている。

 こちらからは逆光になって、よく顔が見えないが、表情だけは何とか窺える。

 達成感? 疲労感? 悲壮感?

 まだ幼い俺には感情が上手く汲み取れないが、そのどれもを感じさせる憂いを浮かべた表情で俺ら五人を優しく見つめる。

 目の前に立つ男性――師範は浅く呼吸をし、ゆっくりと、一音ずつ、穏やかな声音で、言葉を話す。

「天音」

「はい」

 俺らから見て、一番左に立っていた黒髪を肩に流した少女が名前を呼ばれ、師範の前に歩みを進める。

 師範は血管の浮いた手を少女の頭の上にのせて、優しく撫でる。

 時間を掛けて、数回撫でて、頭には手をのせたまま、言葉を続ける。

 俺からは彼女の後ろ姿しか見えないが、きっと頬を赤く染めているに違いない。

「天音は本当に何でもできたね。教えたことをどんどん吸収してくれて、私は嬉しかった」

 少女は頭に手を置かれたまま、重力に逆らい上を向く。

「けどね、天音の力はあまりにも強大過ぎて、私は怖くもあるんだ。これから先は技術だけじゃなくて、その力の使い方も大切な人たちと学んでいけることを願うよ」

 ようやく、師範は天音の頭から手を下ろす。

 少女は一礼して、元居た位置に二歩下がる。

「透真」

「はい」

 天音の隣に立っていた少年が今度は師範の正面に立つ。

 先ほどと同様に、頭に手を置かれ、言葉を貰う。

「透真は教えられたことを自分なりの解釈で捉え、成長できていたね。結局、最後まで私には君の心意を汲み取ることは出来なかった。これからも歩みを止めずに君だけの道を歩んでいって欲しい」

 夕陽によって照らされた師範の顔を不思議そうに颯真は見つめる。

 天音と同様、一礼して、元の位置に戻る。

「隼介」

「はい」

 俺たち五人の中の真ん中、俺の隣に立っていた一番背の高い少年が名前を呼ばれ、師範の前に立つ。

「隼介は今の自分の実力を正確に分析して、それを活かせていたね。ただ、人と比べ過ぎるのはあまり良くない。大切なのは自分の心がどうしたいかだよ」

 師範は隼介の頭にのせていないもう片方の手で、自分の薄い胸に触れ、目を閉じる。

 隼介は目が閉じられた師範を見上げ、力いっぱいに両手を握りしめ、勢い良く一礼をする。

 そういった一連の光景を俺は頭の中を空にして、眺めていた。

 今まで呼ばれた順番はこの道場での実力の序列だ。

 つまり、次に呼ばれる俺の序列は四番ということになる。

 天音からはいつも、事あるごとに引き合いに出され、馬鹿にされるが、俺は全く気にしていない。

 むしろ、誇りにさえ思っている。

 今、共に並び立つ最高の仲間たちと、剣術や体術、その他諸々の教えを、目の前に立つ共同の師から享受できたことは僥倖であることに変わりないのだから。

 現時点での序列なんて些細なものでしかない。

 ここで会得した力はここにいるかけがえのない仲間たちのために使いたい。

 俺は強く、深くそう思っている。

「悠理」

 俺の名前が呼ばれる。

「はい」

 短くはっきりと応答する。

 先の三人と同様に歩みを進めて、師範を見上げる。

 頭に手がのせられる。

 細いし、師範の若さからは考えられないほど、衰えを手から感じる。

 衰えだけじゃない、温かさ、強さも、頭のてっぺんからひしひしと感じる。

「悠理は――――」

 視界の端から西日のオレンジの風景を白が浸食する。

 自分で自分の脳が段々と機能しなくなっていくことが分かる。

 師範の言葉がどこか異国の言語のように聴こえる。

 聴こえないです、師範。

 どうしようもなく抗うことの出来ないこの身体への異常に何と名前を付ければ良いだろう。

 不意に立ったまま訪れたこのまどろみに似た感覚の中でも、師範の声の最後だけははっきりと聞き取ることができた。

「もっともっと世界を知りなさい。そうすることで君自身のやるべきことはいずれ見えてくる。この世界は酷く閉じられていて、汚れている」

 だけどね、一言吐き出すように付け加える。

「人はいつだって、煌々と光り輝いて、彩鮮やかでいられる」

 そう言った師範の顔を俺は忘れない。

 今、思い返せばおかしい箇所は何個もあった。

 もっともっと言葉を交わしたい。

 そう願ったが、どうやら時間切れのようだ。

「  」

「  」

 師範は俺の隣にいた最後の一人を呼んだ。

 その子は歩き出す前に俺に笑いかける。

 師範同様、夕陽に照らされて顔が見えない。

 君は誰?

 忘れちゃいけないはずの大切な人――のような気がする。

 頭の中で繰り返し、日々の思い出を巡らせる。

 駄目みたいだ、何も記憶の海原からは拾えない。

 いよいよ限界が来たみたいだ。

 そこで天井に引っ張られるようにすーっと身体から力が抜ける。

 俺の世界はいつも思い通りに進まない。

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