卒業式
「これにて、卒業証書授与式を終了します。続いて、祝電披露に移ります」
三月二日。
すっかり見慣れた体育館。普段は活発な高校生たちによるバスケットボール会場となっているここも、今日だけは特別に椅子が整然と並べられ、厳粛な雰囲気を醸し出しています。
壇上の幕も上がり、ステージの端では禿げあがった頭の教頭先生が渋い声で進行をしています。それを集まった卒業生、在校生、保護者、先生、来賓の人々が、皆一様にどこか感慨深げな静かな表情で座りながら聞いていました。
校庭の梅の木は咲き誇り、学校全体を華々しく彩っています。その日常とは違う美景はまるで、花々が卒業する三年生の皆を笑顔で送り出しているかのようにも見えます。
今日は卒業式です。
「祝電。PTA保護者一同」
普段ならば気にも留めず、睡眠不足を解消するために費やしていたような長文さえも、卒業式なんていうハレの日になるとなんとなく、しっかりと聞いてみようという気にさせられます。
卒業証書の授与を終え、若い先生たちの数人からすすり泣きの音が聞こえる中で。最初の祝電は読まれ始めました。
「三年生の皆様。ご卒業、おめでとうございます……――――」
思えば、短いようで長い日々でした。
「入学式の時、不安と期待が入り混じった顔で入学式に臨む皆さんのことを、よく覚えています……――――」
入学式のあの日。入学式が終わった後の廊下で、なんだかよくわからない胸騒ぎに襲われて。泣きそうになっていた私に「大丈夫?」と、声をかけてくれたのが正風ちゃんでした。
彼女は優しい声で、私に寄り添ってくれました。私が限界を迎えて泣き喚いた後も、彼女だけは変な顔一つせず、私の言葉を聞いて、共感してくれました。「ほら、一緒に帰ろう」と言ってくれた彼女の顔を、いまでもよくおぼえています。
「――――……皆さんは一生懸命にそれぞれの部活動に励みました。つらい練習の中でも、目標に向かって努力する皆さんの横顔は、しっかりと輝いていました……――――」
友達となった彼女に勧められて入った女子バドミントン部では、いろいろな思い出がありました。
つらい練習のこなす日々の中で、上手になっていく自分を自覚して嬉しくなったり。そんな練習の後で正風ちゃんと友達の数人でカフェに集まって、顧問の先生の文句を言い合ったり。
試合でフォームが下手で、ミスをやらかして怪我をしてしまったり。初めての大会で一回戦でぼろ負けしてしまい、控室で号泣してしまったなんていうちょっと悲しい思い出もありました。
そんな時でも、私のことを慰めてくれたのは正風ちゃんでした。
そのころには私のことは、彼女にすっかりと把握されてしまっていて。――――泣き虫で悲観的。そして食いしん坊なところがあるというのが、彼女が私に下した評価なのでしょうか――――彼女は私の家にやってきて、ただ無言で大好物のドーナツをくれました。私はほっぺた一杯にドーナツをむしゃむしゃして、食べ終わってすっかり涙が引っ込んだ後に、ただひたすらに正風ちゃんに愚痴を聞いてもらうという一連の流れが、私たちの間で存在していたのでした。
今にして思えば、その時期には正風ちゃんもつらい思いをしているはずなのに。なのに彼女は私、だけでなく部活のみんなのことを思って、つらい顔一つせずにいろんなことをしてくれました。本当に、頭が上がりません。
……ああ、私に彼女みたいな優しさがあったら、簡単に夢を叶えることができるのかな?
「――――……皆さんはそれぞれ、自分の胸の中に将来の夢というものを持っていると思います。ぜひ、その目標に向かってこれからも……――――」
中学二年生の時。総合の授業でアンケートが配られた際、その最後の質問は『あなたの将来の夢はなんですか?』というものでした。
それまで具体的に大人になった自分というものを想像したことがなく、かつこれといって憧れている大人という存在もなかった私は、期限が迫っていたのもあって、そこを空欄のままに提出をしました。しかしどうやら、そのアンケートは今後の授業にかかわってくる類のものだったらしく、「なにかは書いてほしい」と先生から突き返されました。そこで、わたしが書いたのが『保育士』という文字列でした。ただそれは、自分の前の席にいる女の子が書いていた言葉を、そのまま移しただけのものでした。
それから数か月後、同じく総合の時間に、同じ夢を持つ生徒同士で集まって、その夢である職業についている人から話を聞くという機会がありました。……当然のことながら、私がそんな授業に興味を示すわけもなく。最初から完全に、50分の間眠るつもりでいました。
保育士としてやってきたその男性は、とても丁寧に、かつ情熱的に、保育士という仕事について語ってくれました。仕事の楽しみや苦しみ、児童と接する上での注意点、持っておくべき心がけ、仕舞にはなるまでにすべき勉強やお金の話まで――――。最初は後方で何を枕にするかに意識を割いていた私も、中盤にはすっかりと、彼の話に耳を奪われていました。
そうして、30分はみっちりと保育士のことを勉強したおかげなのでしょう。次の進路調査に、あのアンケートと同じ質問があった時には、何も悩むことなく『保育士』を将来の夢として記入していました。
そして実際に、私が20年後の人生を妄想するときには、必ず、保育士となった自分の姿が想像されるようになるのでした。
「――――……これから皆さんは、いろいろなつらいこと、悲しいこと、どうしようもないことを経験することになるでしょう。……――――」
高校生になってその夢の先に、陰りが見え始めました。
昔から私は、他人の心を慮ることが苦手でした。小中学生の頃は、それが原因でいくらかの友人と険悪になったことがありますし、先の正風ちゃんの一件も、この性格のせいであんなことになるまで気づけなかったということもあります。学問の方でも苦手科目は現代文で、文理選択でも、国語を嫌って理系に進む有様でした。……登場人物の心情なんて、自分の心の内すらわかってないのに、理解できるわけがないでしょうに。
そんな私に、子供のことを理解できるのでしょうか? 子供の私が理解できない私に、ほかの子供のことを理解し、正風ちゃんみたいに寄り添ってあげることができるのでしょうか?
特別子供のことが好きというわけでも無いのに。特別子供に思いがあるわけでも無いのに。私に子供たちを愛することができるのでしょうか?
家族の愛を知らないのに。私に子供たちを愛することができるのでしょうか?
「――――……それでも、高校生活で培った力で。今まで生きていく中で養ってきた技で。そんなマイナスなことなんて吹き飛ばして、糧にできると信じています。……――――」
いつの間にか私は大人になっていました。苦いだけだったコーヒーの味がわかるようになっていました。アルバイトで貯めた自分のお金で気になっていたバンドのCDをいくつか購入するなんてこともしました。それなのに自分の内面だけはどうしても育たないままで、進む時間に私の内面というものだけが置いて行かれてしまったのではないかという妄念に、とりつかれてしまっていました。
だけど。
最近、正風ちゃんの事があって。ちょっと考えが変わってきました。
ここでわざわざ彼女の内情を深く書くことはしません。ただ、正風ちゃんが手を尽くしてもどうしようもなかったことは、私が居たとしてもどうしようもないことに変わりはないのでした。
正風ちゃんは私の前でわんわんと泣きました。私も一緒にわんわんと泣きました。どうにもならないことがどうにもならなかっただけの、理不尽な、悲しいだけの思い出でした。
だけど、私はそこで初めて、正風ちゃんと一緒に泣くことができたのです。私はそこで初めて、自分よりも深い悲しみにいる子供を、癒すということができたのです。
誰かのために共感するということを、私は、そこで初めてすることができたのでした。
「――――……どうか、どんなことがあっても、自分の進むべき道を見失わずに、進んでいってください」
……もしかしたら、人間に大人と子供の区別なんてないのかもしれません。あんなに頼もしい大人だった正風ちゃんも、あの時は私に身を任せて、子供としてわんわんと泣いていました。いつもは子供な私が、あの時は大人として、愛をもって正風ちゃんを慰めていました。
そこから私は、保育士という仕事を見つめ直すことになりました。
子供と接するということが、どういうことなのか。彼らを見守り、導くということが、どういうことなのか。
答えはいまだに出ていないけれど、それでも私はまだ、というよりも以前よりも、保育士になりたいと思っていたのでした。そのために何をすればいいか、何を勉強すればいいか、どの道に進めばいいのか。……だんだんと、理解できるようになってきました。
きっと、たぶん。それが成長するってことなんだと思います。
「……これにて、祝電披露を終了します。続きまして、在校生送辞に移ります」
教頭先生がやっぱり禿げ頭のままに、卒業式を進行させます。
「在校生、起立」
その声で、一二年生が一斉に立ち上がりました。と、同時に隣の正風ちゃんから私に声がかかりました。
「ほら立ってミキちゃん!まだ二年生でしょ!」