新たな関係 2
解除する。
その俺の言葉を聞いた華が、ぴたりと動きを止めた。
瞳を大きく開き、俺のことを見ている。
緊張感漂うテーブルに、バイトの子がおっかなびっくりにカフェオレ二つを置いて逃げるように去って行く。
「……それで」
「やめて」
俺の発言を遮るように、華ははっきりと言った。
「元に戻さないで。絶対イヤよ」
「……良いのか?」
華が、ぎゅっと自分の拳を握った。
「……私は、許せなかったのよ」
「何が許せなかった?」
「私以外の人が、よ。私は何でもできた。勉強だって、スポーツだって……料理だってできる。いずれはママの仕事を手伝おうって思って、受験にいらないことだって勉強してた。英語以外の外国語も会計も勉強してた。頑張って、頑張って、兄さんよりも結果を出せるようになった」
それが事実であることを知っている。
華は、常に結果を出していた。
そこらの人間を実力で黙らせ、蹴散らしてきた。
「でも、何をやっても、どんなに結果を出しても、認めてくれなかった。そのくらいできて当たり前でしょうって。ママは兄さんにしか興味なかったからそれしか言わなかった。だからママが間違ってる。間違ってる人に認めてもらおうとしたって無駄。兄さんだってそういう環境にうんざりしてた。全部わかってたけど、見ないフリしてた。自分よりできない人間を見下して、怒鳴り散らしてた。私にはそういう権利があるんだって」
「華……」
「だから楽しかったわ。馬鹿や愚図に罵声を浴びせるだけ浴びせて、今にも死にそうな顔にするのが。一番傑作だったのは、ちょっと脅してやっただけで学校から飛び降りた奴がいたことね」
「あれは……人助けのためにやったんじゃないのか? 女の子を脅してたところに居合わせたんだろう?」
「人助けとストレス解消って両立しないと思う?」
皮肉げに華が問いかける。
俺は、頷くしかなかった。
「痺れるくらい気持ち良かったわ……。腰から背中、首筋から頭にかけて、ごしごしと気持ちの良い電気が走り抜けたの。ああ、私って、人を殺そうと思えば殺せるんだって思うとくらくらしたわ。あんなに笑ったの生まれて初めてよ」
華が、艶めかしくぶるりと身震いした。
たおやかな腕で自分の豊かな体を抱きしめる。
それは高校生が出して良い色気ではない。
美しく、生気に溢れ、とびきりに邪悪だ。
だが、すぐにぴたりと動きを止めて冷たい微笑を浮かべた。
艶めかしさとは正反対の、氷の彫像のような美しさだ。
同じ人間とは思えないほどの変貌に俺は心が揺れ、疼いた。
「そんなことを思う恐ろしい人間が、この世にいて良いと思う?」
「いてはいけない人間ってのは、そんな疑問を抱かない」
「先週までは疑問なんて感じてなかった。ちょっとは感じてたかもしれないけど、深く考えようともしてなかった。私はそんな自分に戻りたくない。徹底的に誰かを攻撃して気持ち良くなる自分なんて、いらない」
「じゃあ、暗示は戻さないで良いんだな?」
「戻さないで。戻さないで。絶対に、戻さないで」
華が、ひりついた切実な声を吐いた。
「お願いします、どうかお願いします。彦一さん。彦一様。どうか」
華が席を立つ。
椅子ががたんと倒れるのも気に留めず、俺の腰にすがりついた。
「お、おい! 何をしてるんだよ!」
「このままでいさせてください。いえ、もう、あなたの好きなように操ってくれて構いません。あげられるものはなんでもあげます。あなたが望むならなんだってやります」
「人が見てるって!」
「彦一様ならどうとでもなるでしょう」
「自分の面子やその場しのぎのためには使えないんだ!」
「だったら私のお願いを聞いて下さい。お願いします」
すがりつくのを止めたかと思えば、今度は床に手を付けた。
まずい、これはもう土下座の姿勢だ。
「わかった! わかったから立ってくれ! ずっとそのままにしておく!」
「本当に?」
「ああ本当だ! だから普通にしててくれ!」
ようやく華が納得して俺から離れ、再び椅子に腰掛けた。
一方で、周囲でこそこそひそひそと話が聞こえてくる。
ああ、これはもう噂になってしまう。
「じゃ、普通にするけど……呼び方もそのまま? それともご主人様とか?」
「だからそこも普通で良い、頼む」
「わかったわ。じゃ、いつも通りでいましょ!」
華は俺の懇願を聞くと、今までの振る舞いを忘れたかのような明るい態度へと変わった。あの、変わり身早すぎないですか?
「あ、ああ……それで頼む。話はそれで終わりか? もう出ようぜ」
もう好奇の視線が痛いほど突き刺さってくる。
さっさと退散したい。
「そうね。他にも話はあるけど今日は忙しいし」
「忙しい?」
「引っ越し準備するって言ったじゃない。手伝いなさい。あ、それとこれ」
華は自分の鞄から、あるものを取り出した。
プラスチック製のカードだ。
番号が書いてあるだけの簡素なものだが、クレジットカードのような高級な質感がある。
「なにこれ?」
「合鍵」
「合鍵」
おうむ返しに華の言葉を呟いた瞬間、なんだか妙に肩が重くなった気がした。
「賃貸マンションに引っ越すって言ったじゃない」
「あのう、華さん」
「いきなりさん付けとか止めてよ。ご主人様って呼ぶわよ」
「す、すまん。そうじゃなくて、なんで?」
「彦一、あなた私のこと好きなんでしょ? 説明いる?」
華の眩しい微笑みに、俺は何の言葉も何も返せなかった。
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