村人、始動する
「絶対、絶対だからね。約束だよ。」
一人の少女はそうやって泣きながら、一人の少年に縋り付く。その声を震わせながら。どこかから吹いてきた風のせいで、その髪型を自在に変化させながら。
「ああ、約束だ。」
だけど、そう答える少年を尻目に、大人達は少女を少年から引き離して馬車に載せようとする。だから、少女は馬車に乗り込みながら、最後にもう一言、少年の手を握って言った。
「私をお嫁さんにしてね」と。
その美しいブラウンの瞳に涙をにじませながら。
王都から約100キロ程度のそこそこな大きな街「アルスナ」。その比較的大きなお店の厨房。その奥の少し引っ込んだところで、茶髪の青年は未だ子供みたいに見える黒髪の青年「ジーク」に話しかけていた。
「ていう事で、俺はすんごい美少女を見つけたんだよ。いや、美女って感じかな。」
ジークと言えば、またかというような表情。とは言え、ジークも19歳の男子ではある。むしろ、そういう話は好きというか、そういう話をする事に命をかけていると言っても過言ではない。しかし、そうとは言っても。
「そもそも、そんな可愛い女の子ってそんなにいますか?」
単純な疑問。
「確かに、可愛い子っていうのはたくさんいますけど。美少女って言われたら、さすがに俺も本当に数人くらいしか知りませんよ?」
「お前、疑ってんのか?」
「いや、別に疑ってる訳じゃないですけど」
テーブルに手をついて、上手に体重をかけて寄りかかる。とはいえ、疑っているのは事実。だから、その茶髪の青年はそのジークの疑っている視線に反論するように啖呵を切った。
「そこまで言うならいいだろう」
そうして、記憶の中を探るみたいにして、何かの数を数えて指を折る。
「7番通りの酒場あるだろ?」
「ということは、シンシアさんですか?」
「そうだ、シンシアさんレベルの可愛さだった。」
「まじか」
7番通りの酒場はお酒一杯でも法外な値段をふっかける事で有名だが、シンシアさんという看板娘がいる事で成り立っているお店だ。多分、彼女が注文を受けた時に微笑んで、「ありがとうございます」というのが見たくて行っている客がジークも含めてほとんどだろう。
「俺がさっき仕入れに行ってたら、フードを被った二人組の女の人がいて。」
「ほう。」
「最初は彼女達の胸にしか目がいかなかったんだが」
「色々聞きたい事はありますが、まあ後でいいでしょう。それで?」
茶髪の青年が見たのは、風が吹いてその二人組の女性のフードがめくれた瞬間。その一人の金髪の女性がこちらを振り向いた姿。
「めっちゃ可愛かった」
「おおお〜。」
確かに、世の中の可愛いの基準は世の中の人の数だけあるが、めっちゃ可愛いという女の子は基本誰が見ても可愛い。これはジークが19年生きてきた中で充分に知っている事である。
「で、どうなんですか?」
まあ、そんな事はどっちでも良いのだ。肝心なのは別のところだ。
「どうって?」
「いや、うちの店に来たり?なんなら、話しかけられたりしませんかね?」
「うーん」
ジークは少し期待して、先輩の返事を待って、
「まあ、無いな」
「そうですか」
若干がっかりはしたが、それはまあ仕方のない事。ジークと先輩の働いているこの店はどちらかと言えば、レストランというよりも定食屋。少なくとも街の女の子がこぞってくる様な店ではない。
「まあ、平和だからいいじゃん。」
「確かに、そうですね。」
「もし、可愛い女の子と付き合えても明日死んだら意味ないだろ」
しかし、ジークの次の一言で、空気は凍る。
「でも、出会い無いですよね。このお店」
「・・・・・無えな」
「なんか、若い女の子雇うとか、店長言ってましたけど」
「・・・・・おばさんだったな。俺と同い歳の子供がいるって言ってたわ」
「なんでそんなくだらない嘘ついたんでしょう?」
「・・・・店長が俺に気があるとか?まあ、無えか」
軽い冗談をかまして、元にいた厨房へと戻っていく先輩をジークは見送る。そうして、鏡の前で少し自分の顔を確認して、ジークも先輩の後を追って店内へと向かう。
ジークは19歳の青年である。一年ほど前に、名前すらない様な田舎の村から一人で出てきた。田舎から出てきた人には、都会に出てきても決まった仕事がないなんていう事は結構よくある事だが、その点に関してはジークは大丈夫である。
類まれな勇者の活躍によって、人類の活動域が広がった。
これまでに見ないほどの好景気に見舞われているからだ。だから、字が読めるかどうかも怪しいジークだって、定職に就ける。つまり、勇者バンザイというかジークは客観的に見ると運の良い青年という事である。
「まあ、でもクビにされたらマジでどうしようもないからな。」
とはいえ、そう呟いた通り、ジークはクビにされたら多分もう雇ってもらえる事はないので、一生懸命働く他はない。まあ、冒険者というのも無いこともないが、何故皆がそんなにこぞって冒険者になりたがるのは正直、ジークに謎である。冒険者は怪我も多いし、死の危険もあるし、というか怪我したら終わりだ。彼らは日給で働く人たちだから、働けない期間は給料が無くなって端的に言うと、死ぬ。なら、多少給料が安くても、安定した仕事の方が良いんじゃないかなんてジーク的には思うわけである。
と、そんな思いを胸に秘めながら、ジークはさっきまでやっていた仕事の続きを始める。机の上の肉を置いていたらしい一番大きな食器にどんどんと他の食器を乗せていく。お酒のグラス、何かが分からない骨、食べかけのパスタ。3人分ぐらいを載っけて、ぱっぱと運ぶ。それでもいっぱいになってしまったジークの腕にそっと白い手が差し出された。
「手伝いますよ。」
ジークは声をかけてきた青みがかかった髪をした少女を食器越しに見つめる。
ハチマキのようなもので、上手に髪の毛を分けた少女は表情でジークに迫る。
「っていうか、ジークさん。今、何か兄に言われてませんでした?」
「まあ。っていうか、見られてたか。」
ジークは少し恥ずかしそうな表情で頭をかく。イタズラが見つかったというよりもむしろ、先生に怒られている時のことを見られたような表情で。
「やけに楽しそうでしたけど、何を喋っていたんですか?」
「まあ、あれだ。ミラちゃんには少し早い話かな?」
「なんです?それ?」
とはいえ、ミラと言われた少女は全く聞かないという気は無さそうなので、
「まあ、なんていうかなあ・・・・・結婚の話?」
「え?本当ですか?」
「ああ、まあ。」
嘘は言ってはいない。回り回って結婚する可能性も否定しきれないのだから。だけど、あまりにミラが固まった表情をしていたので、
「兄は本当にそう言ってました?」
「ああ、そうだけど。」
「本当ですか?」
何度も確認するミラに若干、ジークは不安になりながらも、
「なんか、あんの?」
「いえ、兄はずっとお付き合いされてる方がいるので。」
「え?」
それは聞いていない。あの人、彼女いるのにあんな馬鹿な事を話していたのか。
「兄が結婚する気になったなら、それは喜ばしいですね。」
ミラはにっこりと笑うが、ジークは笑えない。
「あ、邪魔してごめんなさい。仕事、しましょうか」
「はい」
そこにはいつもより丁寧に机を拭くジークがいた。