そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.4 < chapter.6 >
闇の底で目覚めたキールは、ベイカーのことを思い出していた。
小学校低学年のころはちょくちょく遊びに来ていたベイカーだが、向こうは貴族でこちらは平民。何かと忙しいベイカーとはスケジュールの折り合いがつかず、学年が上がるにつれ、次第に遊ぶ回数も減っていった。中学に上がったころには全く顔を合わせなくなって、そんな友達がいたこと自体を忘れて生きていた。
そんな状況が一変したのは、高校に入学したときだ。
入学式でのこと。貴族クラスのほうに見知った顔を見つけた。
小学生のころと全く変わらない、女の子のような可愛い顔。大きな目も長い睫毛も、桜色の小ぶりな唇も、男装した美少女と言われたら十人中十人が信じるような見事な造形である。相変わらず細くて小さくて、アルビノ特有の真っ白な髪は誰よりも目立っていた。
だが、ベイカーはキールを見ても何の反応も見せなかった。
それはそうだろう、と思った。
高校入学の時点で身長は180cmまで伸びていたし、推薦枠を勝ち取るために剣術や格闘術のジムに通い、筋肉もつけていた。子供のころは母親似だといわれていた丸い顔も、このころにはすっかり父親そっくりに。自分でも幼少期の写真に「誰だこれ」とツッコミを入れたくなるような、見事なまでの第二次性徴だった。
俺はこんなに変わったのに、あいつはなんでそのままなんだ。
まさか声変わりもしていないなんて言わないよな?
その疑問の答えは、直後に提示された。
貴族クラスの新入生代表挨拶。名前を呼ばれたのはサイト・ベイカーだった。
スピーチの内容もさることながら、誰もがその声に魅了されていた。昔から可愛い声だと思っていたが、子供っぽい拙さが消えて妙な色気が加わり、破壊力が格段にアップしている。周りの席の幾人かは明らかにソワソワとした様子で、頬を上気させてベイカーを凝視する有様だ。
おい待て、何をウットリ聞き惚れているんだこの糞野郎共。あれは俺たちと同い年の『男』だぞ。雑草だらけの空き地の隅で一緒に立ちションしたから間違いない。俺も自分の記憶を疑いたい気分だが、玉も竿もシッカリついてるんだ。少女漫画にありがちな、男装して男子校に通うことになった美少女設定じゃないんだぞ!?
そう言って回りたい気持ちをグッと堪え、キールは自分のスピーチの順番を待った。
一般クラスの代表者として名前が読み上げられると、ベイカーはバッと振り向き、一般クラスの中にキールの顔を探していた。
そして立ち上がるキールを見て、ひどく驚いた顔をした。
視界の隅に見えたその顔に、キールの胸には様々な言葉が浮かんでは消えた。
なにを驚いていやがる。ビックリしたのはこっちのほうだ。
なんでお前は昔のままなんだよ。
てゆーか、本当に男だよな?
声変わりどこ行った?
言いたいことはいくらでもあったが、それはひとまず脇に置き、キールは何の問題も無く新入生代表挨拶を終えた。
しかし、友達との再会を喜ぶことはできなかった。貴族クラスには一般クラスと仲良くする者を馬鹿にする空気が、一般クラスには貴族クラスと繋がりを持つ者を『権力の犬』と揶揄する風潮があったのだ。
それぞれ注目度の高い二人が、人目を避けて二人きりの時間を作ることは難しかった。まともにプライベートな会話ができるようになったのは、卒業後、キールが近衛隊の所属になってからだった。
(けど……それでもやっぱり、便所の中しかなかったんだよな……)
警備兵と貴族がタメ口で立ち話なんて、絶対に許されないことである。ベイカーはキールと話がしたいとき、決まって『急な腹痛』を訴えた。近くにいた警備兵がベイカーを支えてトイレに連れていった、という筋書きでなければ、二人きりになることもできなかったからだ。
身分差のせいで、自分たちはどれだけの言葉を交わせずにここまで来てしまったのだろう。どれだけ伝えそこねた気持ちがあっただろう。
キールは自分の心を見つめ直す。
押し殺した言葉も、言い損ねた言葉も、言うわけにいかない言葉も、ひとつ残らず思い出せる。
(……ああ、そうか。この黒いのは、俺が言いそびれた言葉の残骸か……)
自分の指先すら見えない真っ暗闇。
あまりに分厚く積もった言葉の底では、空の光なんて、見えなくなるのも当然だった。
言いたかった。
ベイカーに何もかも伝えて、胸につかえたモヤモヤを一つ残らず取り払いたかった。
そんな気持ちに呼応するように、真っ暗な世界に光が差す。
(……この光は……?)
パチパチと弾けるような、紫色の光のシャワー。
切り裂かれていく墨色の世界。
紫電の雷光が幾筋も走り、カナリアの腹に溜まった言葉の残骸を、力任せに薙ぎ払っていく。
全身に浴びるその光から、キールはたしかにその声を聞いた。
「キール、秘密基地のことを覚えているか?」
鼓動の音を聞いた。
自分の胸の中で、誰かが激しく扉を叩いている。
心に降り続くあの雨の音を掻き消して、つっかえ棒をしたあの扉を、誰かが必死に開けようとしているのだ。
粗大ごみの山から拾った朽ちた木の扉。
自分の手で閉ざしてしまったあの扉を開ける者がいるとしたら、それは扉の内側にいる『自分』以外にいないのだが――。
「……でも、俺は……」
いまさらあの日のことを謝って、いったい何になるのだろう。
そう思いかけたキールの心臓は、内側から誰かに強くノックされている。
「!?」
全身を巡る血が騒ぐ。
興奮状態を表す国語的な表現法ではなく、本当に、血液そのものがやかましく騒ぎ立てているのだ。
野蛮に咆えたてるその声は、後ろ向きな思考を体の内側からバッサバッサと叩き切っていく。
太く大きな腕。その腕が豪快に振り下ろす、巨大な戦斧が見える。
いつの間にか、キールの目の前には髭モジャの顔で笑う巨人がいた。
「小さい! 小さすぎるぞ、我が子孫!! 漢なら友を信じよ!! 貴様の友は、貴様の真摯な謝罪を笑い飛ばすか!? からかい貶め、貴様に屈辱を与えるか!? サイト・ベイカーという男は、その程度の男だというのか!?」
「違う! サイトはそんなことはしない!!」
「ならば信じろ! 信じてぶつかれ! そら、迎えが来たようだぞ!!」
「!?」
足元から伝わる電気ショック。
それから左右にグラグラと揺れ、なにかに叩きつけられたような、大きな衝撃が奔った。
幾度か天地が入れ替わり、墜落したカナリアが地面を転がっているのだと気付いた。
「く……なんだ? なにが……?」
髭モジャの巨人は消えている。
その代わり、カナリアの腹の中に自分以外の人間の気配を感じた。
炸裂する火花放電は、雷系攻撃魔法の《雷火》である。
「……サイト……? サイトなのか!?」
「キール! どこだ!? どこにいる!? 返事をしてくれ!」
「サイト、ここだ! 俺はここにいる!!」
「どこだキール! 早く帰ろう! キール、どこだ!?」
「聞こえないのか!? サイト! 俺はここにいる!」
「キール! いるなら答えてくれ! ……クソ。もう、生きていないのか……?」
「サイト! ちょっと待て! 俺はここだ! ちゃんと生きてるぞ!?」
「うぅ……キール……そんな。あんまりだ。俺はどんな顔をしてご両親に報告すればいい? おたくの息子さんは黄色いピヨちゃんのウンコになってしまいましたなんて、真顔で言い切る自信がないぞ。どうせなら、もっと説明しやすい生き物に襲撃されてくれよ……サメとかワニとか……あ、駄目か。だいたい素手で倒してたからな……。くっ……よりにもよって、お前が黄色いピヨちゃんのウンコになるなんて……」
「てめえこの野郎! 勝手に人を鳥のフンにするんじゃねえ! ……ん? あ、おい! サイト!? どうした!? 何で攻撃やめんだよ!?」
キールの声が聞こえていないらしく、ベイカーは《雷火》を放つことをやめてしまった。強く感じていたベイカーの気配が、どんどん遠ざかっていく。
「待て……待ってくれ、サイト! 頼む! おい、サイト……ッ!?」
澱んだ言葉に阻まれて、ベイカーの気配に近づけない。
せっかく差し込んだ光も、どんどん弱くなっていく。
もう二度と、サイトには会えないのかもしれない。
そう思った瞬間、キールは叫んでいた。
全力で、これ以上ないくらいの大声で。
喉が破れてしまっても構わない。
今はただ、この気持ちを伝えたかった。
「サイトオオオォォォーッ! こんなところでお別れなんて、絶対に嫌だからな! 俺はもっとお前と一緒に居たいんだ! 俺は! お前が! 大好きだあああああぁぁぁぁぁーっ!!」
この瞬間、カナリアの身体が弾けて消えた。
言えない言葉を溜め込み続けたカナリア。それは飼い主にかけられた呪いによって声も尊厳も奪われた、哀れな存在だった。
生き物であることをやめた者に『死』という事象は訪れない。飢えた心と体を『言霊』で満たし続ける地獄の日々に、この日、この時、ようやく終わりが告げられたのだ。