そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.4 < chapter.5 >
「二人とも聞いてくれ! 《歌を忘れたカナリア》という呪いについて、俺の知ることを話す!」
「ご存知なのですか!?」
「あれは何ですか!」
「結論から言う。あれはただの鳥だ。ああなったのは呪いをかけられたせいなのだが、問題は、その『呪い』が意図してかけた呪詛ではなかったことだ。言葉には力がある。人を勇気づけることも、死に追いやることもできる。例えば魔法呪文は、魔法式に言霊を乗せて発動させるだろう? それと同じで、普段発する言葉にも言霊というものは宿っているんだが……お前たちは、すべての魔法を呪文詠唱して発動させているか? 初級レベルの魔法なら、詠唱を省略しているだろう?」
「はい。簡単な魔法でしたら」
「俺は中級レベルまでなら省略できます!」
「トニーさん、空気を読んでください! 私だって省略できますが、ここはそういうアピールをするシーンではありませんよ!?」
「は? なにムキになってるんだ? お前こそいちいち張り合ってくるな! ウザイんだよ!!」
「そう、ソレだ! ソレ!! 二人とも、いま言葉に感情を乗せて全力で声に出しただろう? 感情と言霊とがイコールで結ばれるわけではないのだが、まあ、近いものとして理解してほしい。その言葉を、声にする直前でグッと止めたらどうだ? 素直に声にしてしまうより、もっと大きな怒りが溜まる気がしないか?」
「はい! 非常にストレスを感じます!!」
「殺意しか湧きません!!」
「今から三千年ほど昔、そういう気持ちをペットのカナリアに延々と聞かせ続けた男がいた。本人は仕事の愚痴を何気なく話したつもりのようだが、その男の発する言葉には言霊が乗りやすかった。カナリアは毎日少しずつ呪われていき、そのうち自分がカナリアであることを忘れ、『口に出せなかった言葉を溜め込む器』と成り果ててしまった。『種の記憶』の覚醒者の声ばかり食らうのは、その男の『言霊』とよく似た『神』の気配を感じてのことだ」
「では、キール先輩を呑み込んだのは!?」
「エサだ。俺たちをおびき寄せるための……いや、この場合は、俺一人を狙って撒いたエサかもしれんが……」
「それはどういう意味ですか?」
「隊長がターゲット……?」
「飼い主だった男の守護神として、あいつはあいつなりに責任を感じているのかもしれんが……って、コラ! いつまでダラダラ喋っている気だ!?」
「え?」
「あれ? 隊長、瞳の色がもとに……」
「あらかたの説明は終わっただろう? 『神』には引っ込んでもらった。マルコ、トニー、サポートを頼んでいいか?」
「サポートとは、もしや……」
「攻撃するんですか?」
「他に手立ても無いからな。まずは地面に引きずり下ろそう。マルコ、この涙は水系の攻撃魔法とほぼ同じものだ。《魔鏡》で跳ね返せるぞ!」
「了解です! 《魔鏡》発動!」
「トニー、風切り羽根だけを狙って焼くことは?」
「できます! 《冥王の祝砲》!!」
最大火力で撃ち出された《冥王の祝砲》。トニーには駆け回りながらでも絶対に的を外さない超精密射撃が可能である。秒速五百メートルの炎の砲弾は一直線に空を切り、カナリアの右翼に命中。一番外側の風切り羽根を一枚落とすことに成功する。
立て続けに二十発。しかし、そのうち四発は羽根の軸部分を外してしまった。落とせたのは右翼の風切り羽根のうち半分程度だ。
「では、左翼は私が!」
「チッ! 出しゃばるなよこの野郎!」
マルコはカナリアの涙を特大サイズの《魔鏡》で受ける。すると涙は落下してきた勢いのままに空へと跳ね返され、左翼の付け根に当たった。次から次へと跳ね返し、カナリアの翼を水没させていく。
トニーも負けじと《冥王の祝砲》を連射。右翼の羽根を次々に焼き落としていく。
右翼はスカスカ、左翼はびしょ濡れ。
カナリアはバランスをとることができず、徐々に高度を落としてきた。
ベイカーはペガサスタイプのゴーレムホースに跨り、宙へと駆け出す。そしてカナリアの背後につき、背中に『着陸』するタイミングを計った。
自分自身とゴーレムホースに《雷装》という魔法をかけ、触れるだけで感電する雷の追加効果を付与。この状態で巨大なカナリアの背中に『着陸』すれば――。
「ッ!?」
カナリアは声にならない悲鳴を上げ、何もない空をジグザクに飛びはじめた。
体についたノミかダニでも振り払うように、カナリアは必死にアクロバット飛行を試みる。だが、右翼の風切り羽根は大半が失われ、左翼は水に濡れて重くなっている。まともに飛び続けることなどできるはずもなく、カナリアは頭から墜落した。
超巨大なカナリアの墜落。廃墟の町は見るも無残に破壊され、もうもうと立ち昇る砂煙はカナリアの巨体を覆い隠してしまう。
ベイカーは無事だろうか。
同じタイミングで全く同じことを思った二人は、次の瞬間、やはり同じ行動を取った。
「天よ! どうか我が身に光の加護をお与えください! 《銀の鎧》発動!」
「冥王よ! 今ひととき、冥府の武具を貸し与え給え! 《冥装》発動!」
白銀の鎧を纏うマルコと、闇色の鎧を纏うトニー。いずれも魔法・物理両用の防御魔法だが、見た目の通り、その属性は真逆である。
駆け出す二人の前に、落下の衝撃でカナリアが吐き出した『言霊』があふれ出す。
わらわらと現れたそれは、人の形をした黒い影だった。影は口々に何かを叫び、嘆き、呟いている。数体は見境なく暴れているようだが、ほとんどの個体は声を発し続けるばかりで、特に攻撃的な動きは見せていない。
しかし、一体だけ異なる挙動を見せる影がいた。
砂煙を突っ切って、まっすぐマルコに襲い掛かってきた。
これはなにかと考えるより先に、黒い影は自分から正体を明かしてくれた。
「余計なお世話だ! この程度の傷、舐めときゃ治る!!」
黒い影が発した言葉。それは間違いなくトニーの声だった。
マルコはそれを聞いて納得する。この言霊なら、まっすぐ自分に向かって襲い掛かってくるのも当然であった。
「これはあのときの『言霊』が実体化したものですね!?」
指先を負傷したトニーを心配して声をかけた。トニーは直後に咳き込み始め、何か言いたくても言えない状況となったのだが、その『言霊』もカナリアの胃袋に収められていたらしい。
マルコは魔導式短銃を抜き、魔弾《スターシェル》のチャージを始める。
敵は実体のない影。呪詛の浄化効果もある光の魔弾が効くはずだ。
「トニーさん! 余計なお世話は百も承知で申し上げます! 傷口は清潔な流水でよく洗ってください! 舐めておけば治るというのは民間信仰の類であり、実際には唾液中に含まれる雑菌によって傷口が化膿するリスクを高めるばかりです!」
戦いながら放たれたこの言葉に、トニーは別の影と戦いながら言い返す。
「うるさい! そのくらい分かっている! いちいち説教するな!!」
「分かっているなら行動で示してください! キールさんがオフィスにいなかったら、あのままにしておくつもりでしたね!?」
「この程度でいちいち医務室に行く奴なんかいない! 俺の体のことなんだ! 俺の好きなようにして何が悪い!!」
「あなたの身体はあなたの物ですが、同じ隊の仲間として仲間を心配するのは当然のことでしょう!? 心配して何が悪いんです!?」
「それが余計なお世話だって言ってるんだよ! このおせっかい!! 説教野郎!!」
「おせっかいで結構! 説教野郎で結構です! 無知と無関心は最悪の事態を招きます! 私が嫌われるだけで済むのなら安い代償ではありませんか!?」
「高い安いの問題じゃない! わざわざ嫌われに来るお前の脳ミソが理解不能だ!! ああ! クソ! 何だよこの影!! 何発食らわせても効いてないぞ!?」
「こちらもです! 光の魔弾でも浄化できないとなると……トニーさん! これはあなたの言葉から生まれたものです! トニーさんが何か言えば言うことを聞くのでは!?」
「名案だな! おい、俺の影! そいつは全力でぶち殺していいぞ!」
「言うと思いました!」
黒い影はトニーの声には反応せず、これまで同様、マルコに掴みかかろうと我武者羅に突っ込んでくる。
マルコはそれを必死に退けていたが、ふと、根本的なことに思い至る。
これは『実体化した言葉』なのだから、受け取ってしまえば止まるのではないか?
マルコつい数秒前、トニーにこう言った。「分かっているなら行動で示してください」と。トニーはその言葉を受け取らずにはねつけた。だからこそ、その先も延々と言い合いが続いているわけで――。
(……そうか。だから、ほかの影たちも……!)
影たちは自分の言い分を主張し続けるばかりで、周りにいるほかの影と言葉を交わす様子も、他者の声に耳を傾ける様子もない。
マルコは一か八か、一切の魔法と魔弾を解除した。
「っ!? お前、何を……っ!?」
そして両手を広げて、掴みかかってくるトニーの影を真正面から受け止めた。
胸と胸とを突き合わせ、両手でがっしりと背中を抱く。
「聞かせてください。あなたの言葉を」
影はピタリと動きを止めた。
トニーの影はためらうように幾度か口を開きかけ、それからマルコがしているように、そっと背中に手を回し、ハグをしたまま耳元で囁く。
それは発した言葉の裏側に込められた、本当の『言霊』である。
「うっかりミスした瞬間を見られて、恥ずかしかったんだ。ああいうときは、見なかったことにしてスルーしてほしい」
影はそれだけ言うと、ほんの一瞬で消滅してしまった。
マルコは別の影と戦うトニーを見て、謝ろうとして思い止まった。
影がマルコにだけ聞こえる小さな声で囁いたのは、つまり、そういうことだろう。恥ずかしいから、何も聞かなかったことにしてスルーしてほしいのだ。
(……もう少し素直になれば、ずっと生きやすくなると思うのですが……)
それが分かっていてもできないのが、生まれ持った性格の違いである。
マルコはやれやれと首を横に振り、それから改めてトニーを見て声をかける。
「トニーさん! 攻略法が分かりました! 相手の言葉をきちんと聞いてあげてください!」
「なんだって!?」
「ですから、相手の言葉を聞いてあげてください! トニーさんの影はそれで消えました!」
「ほほぉ~う! そうか! だったらこいつの相手はお前に任せる! 聞いたぐらいで消えるっていうならな!」
「え?」
トニーは敵を誘導するようにうまく後ろに下がり、マルコにバトンタッチする。
マルコはそこで初めて、この敵がとんでもないモンスターであることに気付いた。
「幼女! 幼女幼女幼女! 幼女のおぱんちゅ! しゃぶる! オチッコ飲まちぇてくだちゃいねえええぇぇぇ~っ! ペタパイちゅうちゅうすゆのおおおぉぉぉ~っ!!」
「ヒエッ!?」
これはペドフィリアの男性がけっして口に出さず、胸に収め続けた言葉である。
生まれ持った性癖は、本人の努力ではどうにも変えることができない。唯一できるのは、犯罪者にならないよう我慢し続けること。この『言霊』を生み出してしまった人間もそうしていた一人だ。実際に幼女を襲ったことは無く、生涯、清廉潔白な人格者として他者から尊敬される人生を送った。社会的にクリーンな人間であり続けるために自らの歪んだ性癖を心の奥底にしまい込み、誰にも言えない『自己との戦い』に勝利し続けたのだ。
社会生活を送る人間ならば、誰でも食欲・性欲・物欲との戦いを経験する。しかしこの人間の場合、その戦いに一切の妥協なく勝ち続けたことが問題だった。彼は己の心に厳しい掟を定め、幼女を想像しながら自慰行為に及ぶことさえ禁じてしまったのだ。
ほどほどに『ガス抜き』した人間と比べ、この言霊の強さは異常だった。これは発散されることなく溜まり続けた性欲の権化のような存在である。
「トニーさん! この言霊の動き、攻撃というより、その……ひょっとして、私の服を脱がそうとしていませんか!?」
「ああ、そう見えるな! 幼女幼女と叫んでいるが、もう『おぱんちゅ』なら何でもいいくらい飢えているんじゃないか? 受け入れれば消えるんだろう? オシッコでも何でも飲ませてやれよ!」
「ぜ、前言を撤回します! 攻略法は分かりませえええぇぇぇーんっ!!」
剣は素通り、魔弾は貫通。その他の魔法は、当たりはしてもダメージ無し。マルコは攻撃を諦め、逃げに徹した。
だが、この言霊はしつこくマルコを追い回す。
「なぜ私だけに狙いを……あっ!? トニーさんっ!?」
面倒な敵をマルコに擦り付けた後、トニーはさも当然のように犬の姿に変化していた。
この言霊は性欲の権化のような存在ではあるが、その対象はあくまでも人間である。楽しそうに尻尾をパタパタしている黒ワンコは守備範囲外なのだ。
「トニーさあああああぁぁぁぁぁーんっ!?」
そんなに大声で名前を呼んだって、俺は何にも知らないぞ。
追い回されるマルコを見て余裕綽々のトニーだったが、トニーはまだ、マルコの性格を正しく理解できていなかった。
「……えっ!?」
背後から抱き着かれた。
一体や二体ではない。トニーの背後に群がる影は優に二十を超えていた。マルコの絶叫は、この危険を知らせようとしてのことである。
しかし、影たちに攻撃的な様子はない。それどころか――。
「ポチ! 可愛がってやれなくてごめんな! 本当は施設になんて預けたくなかったんだ! だけど、ペットOKのアパートが見つからなくて……」
「仕事で留守にしてばっかりでごめんね! 最期まで、一人ぼっちで死なせてしまって……寂しかったでしょう!?」
「早く岸に戻ってくれ! このままじゃあ、君まで溺れてしまうよ! 僕のことはもういい! 早く戻れ!」
「病院に連れて行ってやれなくてごめんな! うちに、もっとお金があれば……!」
伝えられなかった言葉。その言葉を送りたかった相手が人間であるとは限らない。影たちはトニーを自分の飼い犬と思っているようだ。
なるほど。これはたしかに、言葉を聞いて受け入れることで浄化できるのかもしれない。
トニーは一人ひとりの言葉に耳を傾け、可能な限り、相手の言葉に合わせた返事を返す。
「大丈夫だ。お前の気持ちはちゃんと伝わっている。一緒にいられなかったのは残念だけれど、不幸ではなかった。お前の判断は間違っていない。怒っていない。お前を悲しませたいとも思っていない。笑ってほしい」
「会えない時間が長くても、その分、『お帰り』って言う瞬間が最高に幸せだった。ずっと一緒にいたら言えないだろう? それに、あなたの泣き顔なんか見たくなかった。だからあなたの留守中にお別れするしかなかったんだ。愛してくれてありがとう」
「馬鹿か。飼い主を見殺しにして生き延びて、それでどうなる? 最後まで一緒に頑張らせてくれ。可能性がわずかでもあるなら、それに賭けるのが忠犬の生きざまだ」
「金のことは気にするな。上を見たらきりがない。もしも病院に行けたとして、そこの設備では助からないといわれたら? もっといい病院なら、もっと名医を探す金があれば、なんて言い出すんだろう? 今できることで最善を尽くした。それでいいんだ。ちゃんと納得している。だからもう、自分を責めて後悔するのはやめてくれ」
次々に消えていく黒い影。
一体、また一体と影が消えるたび、トニーの周囲には光の欠片が降り積もっていく。この光には見覚えがあった。ゴヤとアストライアを祝福した、創造主の光だ。
しかし、トニーはその光を避けながら影たちの声に答えていく。
どこの誰だか知らないが、勝手に祝うな糞野郎。めでたいかどうかは俺が決める。
あまりにもトニーらしい反応に、創造主もムキになっているらしい。降り注ぐ光の量が徐々に増していき、仕舞いにはタライの水をひっくり返したような勢いで光がぶちまけられた。
「くっ……勝手に祝いやがって……!」
強制祝福を受けたトニーは、犬らしい仕草でブルブルと光の粒を振り払う。
この光には疲労回復や思考力を高める効果があるらしい。不自然にクリアになった脳内で、トニーは『言霊』について考える。
声に出せなかった言葉。それは必ずしも自制や抑圧によって生まれるとは限らない。相手が自分より先にいなくなってしまった場合にも、こうして『行き場のない言霊』と化してしまうようだ。
この影は人間の魂ではない。
発言者本人はとうの昔に死亡して、魂は天に召されている。
それでも言葉だけが世界に残り、こうして具現化して、さも本人のように振る舞っていて――。
トニーはこの現象に得体の知れない恐ろしさを感じていた。そして同時に、曰く言い難い可能性も感じていた。
言葉には人を動かす力がある。情報部の行うメディア戦略などで知ってはいたが、まさかそれを、こんな形で『体感』することになろうとは。
何を言い、何を言わざるべきか。それを的確に判断できるようになれば、自分はもっと『上』へ行ける。もっと自由に、自分の意見を表明できる。
トニーは影の言葉に答えながら、恐るべき速度で経験値を積み増していった。