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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.4 < chapter.2 >

 百日咳の放送を聞いて医務室にやってきた職員は、看護師たちの手によって抗体検査を受けていた。騎士団本部の医務室には中央市総合病院と同等の検査機器が揃っている。一般に知られる『よくある感染症』の類はその場で検査ができるのだが、今日はその検査に、もう一つ別の検査項目が加えられていた。

「さ、この呪符に息を吹きかけて……ふむ、大丈夫そうじゃな。君は感染しておらんようじゃ」

 そう言う人物は医務長ではなく、情報部所属の呪術師、タトラ老師である。

 タトラ老師は、不安げな職員たちに淡々と事実を告げる。

「百日咳患者が出たのは本当なんじゃが、今年は百日咳とは別に、似たような症状の呪詛も流行しておってな。ワシが調べているのはそっちじゃわい。さて、次は……うん、お嬢さんも大丈夫じゃな。それじゃあ、次は……」

 待合所の長椅子に座る一人一人に、老師は検査用の呪符をかざしていく。

 するとある人物が息を吹きかけたところで、呪符が真っ赤に染まった。

「むっ!? いかんな! おぬし、呪詛に感染しておるぞ!!」

 そう言われたのはトニーである。老師は直ちに祈祷を執り行い、トニーから呪詛を取り祓う。すると不思議なことに、喉に張り付いていたホコリのようなものが一瞬で消えてしまった。喉のむず痒さも無くなり、咳が止まった。

 やれやれ、これでようやく話せるぞ。

 そう思ったのも束の間、トニーは自分の体に起こった異変に気付く。

「……? ……っ! っ!! ……??」

 声が出ない。

 ちゃんと息を吸って、いつも通り言葉を発しているつもりなのに、自分の声帯はうんともすんとも反応してくれなかった。

 動揺するトニーの様子をじっと観察し、タトラ老師は大きく頷いた。

「間違いない。これは《歌を忘れたカナリア》じゃ」

「?」

「症状自体は、今起こっているもので全てじゃよ。しつこい咳のあと、一時的に声を失う。しばらくすれば声は自然に出るようになるし、命にかかわる呪詛でもない。その点は安心して良いのじゃが……」

「??」

 その点以外は安心してはいけないのか。

 トニーはそんな思いを込めて首をかしげる。

「実はのう、この呪詛は自然発生的に現れるんじゃ。誰かが意図して使ったわけではない。十七年周期で勝手に現れては、勝手に消える。そういう厄介な『自然現象』なのじゃが、どうも、今回の感染者には共通点がありそうなんじゃよ」

「……! ……!!」

 共通点があるのなら、『原因』も解明できるのではないか。呪詛の発生源が明確になれば、俺が残らず焼き祓ってやる。

 声が出ていなくとも、トニーがそう言っていることを老師は理解してくれた。

「ああ、そうじゃ。もしかしたら、この呪詛は攻略可能かもしれんのじゃ。これまで何百年も、何千年も、ずう~っと自然現象扱いされていたが……のう、ケルベロス。ワシはもう、足腰がこの有様でな。あまり広い範囲は動き回れんのじゃ。ワシの代わりに呪詛の大元を見つけて、始末してくれんかのう?」

 トニーは老師の手を取り、力強く頷いた。

 デニスが医務室に来たのは、まさにこの瞬間である。

「……っ!? ……っ!!」

 デニス!? どうしたその怪我!!

 トニーがそう言っていることは、タトラ老師でなくても理解できた。

 そしてそれに応えようとしたデニスも、ひどく咳き込みながら口をパクパクさせている。

「まさか!?」

 タトラ老師はデニスの口元に呪符をかざす。すると呪符は、トニーの時より濃い赤色に変わってしまった。

「なんと! おぬしもか! まあ、とにかく今は傷の手当てを優先せい! 手当てが終わったら、声が出ない理由を説明をしてやるからの!」

 必死に頷くデニスは、看護師に付き添われて処置室へと消えていった。

 と、ここでトニーに付き添っていたキールが質問する。

「老師、先ほどおっしゃった共通点とは?」

「実は……まあ、現時点ではワシの憶測の類でしか無いのじゃが……」

「構いません、聞かせてください」

「そうかの? それなら話すが、これから話すことはあくまでも、ワシの目が届く範囲内での話じゃ。そういう前提で聞いて欲しいのじゃが……今回の感染者は、全員、神々の子孫として覚醒状態にあるんじゃよ」

「神々の……?」

「おぬしも『種の記憶』の伝説は知っておろう? いつの日か約束の日が来たる。その日、その時、大切な約束を果たすため、神々の子孫は『種の記憶』を取り戻すであろう……というアレじゃ」

「あー……はい。うちにも似たような伝承がありますが……」

「現時点で騎士団長、副団長、情報部のセルリアン、ターコイズ、ラピスラズリに呪詛の感染が確認されておる。彼らは覚醒状態にあり、それぞれの種族の始祖となった『神』の力を引き出すことができる。思い返してみれば、十七年前、三十四年前、五十一年前の流行時も、各種族の族長や、名だたる戦士たちばかりが感染しておった。この呪詛は、もしかしたら『種の記憶』に関連しているのかもしれん」

「確かに、トニーもケルベロスの能力を自在に使っていますが……っと、いえ、待ってください。だとすれば老師、デニスも覚醒していることになりますが……」

「なるも何も、あの眼鏡は初めっから覚醒しておるじゃあないか」

「はい?」

「なんじゃ、おぬしには見えておらんのか? あやつの両肩には、いつだって金色の鳥のつがいが乗っておるぞ?」

「……本当ですか?」

「可愛い鳥さんでのう。見た目こそ金色のオカメインコじゃが、あれは『神』の中でもかなり格の高い存在であるはずじゃ。たいていの災厄は、あの眼鏡が自覚する前に全て祓い除けているはずなのに……」

「頭に怪我をすることなどありえない、というわけですか?」

「ああ……この呪いは、『神』にも祓えぬ厄介なモノかもしれんのう……」

 何かを考えこむタトラ老師に、トニーはジェスチャーでこう伝える。


 そこになにかいる。


 トニーの指差す先にあるものは、部屋の隅に設置された消火器である。その陰から、奇妙な生き物がこちらを見ている。

「あれは……カナリアかのう……?」

「カナリアに角は生えていませんよ?」

「おぬしに見えているのなら、あれは神的存在ではなさそうじゃな」

「偵察用ゴーレムの類でもありません。ゴーレム特有の気配を感じませんから」

「さて、どうしたものかのう? 《歌を忘れたカナリア》の話の最中に、カナリアのようでカナリアでないものがこちらを見ているが……」

「トニー、あれ、捕獲できそうか?」

 キールの問いに、トニーはフッと笑って見せる。この笑いの意味は「当たり前だ」ではない。「もう終わった」という意味だ。

 部屋の片隅に出現した極小の《冥陣》。トニーの力量であれば、直径二十センチほどの魔法陣は呪文詠唱なしでも構築可能である。

 恐怖と絶望を与える精神攻撃系呪文、《冥陣》。黒い魔法陣に囚われ、角の生えたカナリアはその場で居竦み、動けなくなっている。

 素手で触るのは危険と判断し、キールは小型の作業用ゴーレムを使った。ゴーレムは武骨な手でがっしりと掴み、カナリアを拘束する。

「老師、獲れました」

「ふむ、これは一体……?」

 タトラ老師がいくつかの検査用呪符を近づけてみると、そのいずれもが強い反応を示している。

「……おかしいのう。これだけ様々な呪いを受けていれば、こんな小さな体で生き続けることはできないはずじゃが……うん?」

 カナリアの顔を覗き込んで、老師は気付いた。


 瞳の中に何かが見える。


 老眼の老師に代わり、目の良いキールがそれを確認すると――。

「人がいる!?」

 隣のトニーも大きく頷いている。

 瞳の中に一ミリにも満たない小さな人間たちがいて、こちらに向かって必死に何かを訴えかけているのだ。

 嵌め殺しのガラス窓を叩くように、カナリアの瞳の内側をガンガンと叩いている。しかし、カナリアはびくともしない。


 カナリアは瞬きせず、嘴を開くこともしない。

 呼吸しているかどうかも定かでない。

 小鳥特有の仕草で、こちらの話を聞くように首をかしげている。


 どこまでも不自然な角の生えたカナリア。老師とキールが判断に迷っていると、トニーがキールの肩を叩いた。


〈自分/そこ〉


 作戦行動用の手話である。

 まさかと思ってもう一度カナリアの瞳を見ると、そこには確かにトニーがいた。

 一ミリにも満たない極小サイズのトニーは、真っすぐキールを見て、全身でたった一つのハンドサインを伝えている。


〈撤退せよ〉


 この状況でこのハンドサイン。

 キールは瞬時に意図を理解するが、コンマ一秒遅かった。

 カナリアの口から噴き出す黒い霧。

 それは巨大な手になり、キールを掴んで、そのまま口の中に引きずり込んでしまった。

 大きく開いても一センチしかないカナリアの口に、成人男性がツルリと呑み込まれてしまったのだ。あまりに異常な事態に、医務室にいた本部職員は何もできずに棒立ちになる。

 ただ一人、この事態に反応できたのはトニーであったのだが――。

「……ッ! ……ッ!!」

 呪文を唱えることができないのでは、魔法式に言霊を乗せることができない。トニーが発動させた《冥陣》は不完全発動となり、トニー自身をも魔法の有効範囲内に巻き込んでしまった。

 魔法初心者にありがちな『自損事故』である。

「っ!?」

 襲い来る漆黒の絶望、胸を染め上げる深紅の恐怖。

 魔法の発動を維持することができず、トニーは《冥陣》を解除してしまう。

 解除と同時にフッと軽くなる心と体。しかし、それはカナリアにとっても同じことだった。


 カナリアが飛んだ。


 術者であるキールが消えたため、ゴーレムは発動解除されている。もう体を拘束するものはない。医務室から出て行くカナリアを追って、トニーは廊下に駆け出した。

 言葉を封じられた状態では使える魔法に限りがある。それなのに、小さな《冥陣》を構築できたことで、普段通りに魔法が使えると錯覚してしまった。


 自分のミスでカナリアを逃がしてしまった。

 このままでは先輩が――っ!


 そう思った瞬間、トニーの怒りに火がついた。

(言葉が話せない!? それがどうした! 冥府の番犬に、面白おかしいトークショーなんか必要ないんだよ!!)

 炎の魔法を使えばカナリアは死んでしまう。その場合、カナリアに取り込まれたキールが無事である保証はない。使える魔法は火焔属性以外で、呪文詠唱の必要がないごく弱いものに限られる。

 だが、それで十分だった。小さな《冥陣》なら問題なく使用できたのだ。それなら、今できることで最善を尽くすまでである。

 カナリアは廊下の窓から外に出た。窓の外は手ごろな大きさの芝生広場。人の姿はない。

(よし! ここなら……!)

 トニーは黒犬に変化し、三頭がかりで《冥陣》を連続発動させた。

 目の前に黒い魔法陣が出現し、カナリアは慌てて進路を変える。だが、変えた先にもまた魔法陣がある。トニーはカナリアの動きを予測し、ほぼ同じ場所をグルグル逃げ回るように誘導していく。

 直径二十センチの小さな魔法陣では、空中を素早く動き回る鳥を捉えることはできない。しかし、その数が一つでなければどうだろう。発動させた魔法陣を消すことなく、次々に新たな魔法陣を出現させ、それらを繋いで空中に巨大な『立体魔法陣』を描いていけば――。

(この間の魔法陣の構造なら、立体的に重ねても安定状態を保てる! あれを、俺一人の力で組み上げられれば……っ!!)

 前回はゴヤの《鬼陣》とトニーの《冥陣》が融合し、異世界への扉を開いた。あの時の魔法陣の文様パターンは正確に記憶している。《鬼陣》の文様パターンまで極小サイズの《冥陣》で再現し、トニーは仕上げに《火炎弾》を走らせた。


 魔法陣の上を駆け巡る紅蓮の炎。

 立体構築された魔法陣は瞬く間に『炎の檻』と化し、狙い通り、カナリアを閉じ込めることに成功する。


 だが、この状態で安定したということは、つまり――。


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