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しあわせのシニガミ

作者: 成浅 シナ

夢遊病、というわけではないのだけれど記憶がなくなる事はよくあった。



その日何をしたのかが思い出せない。作業は終わっているのにそれをした記憶がない、っていうことが普通。


でもさほどそれを特に気にした事はない。

だって誰だってそうだろ。ボクに限らず、一昨日の夕飯のメニューさえ覚えてない人なんてざらにいる。


記憶がないってのはある種の恐怖ではあるのだけれど別に全ての記憶がないわけじゃない。勉強も身についた習慣も、よく話す人の顔も覚えてる。明日過ごすためになんの不便もない。


それでいいじゃないか。

過去なんて振り返っても後悔や未練しかない。失敗を次の成功に生かすだの反省をして同じ事を繰り返さない事が大事だのということなんて、都合の良い言い訳なんじゃないかとボクは思う。


振り返る過去に意味はない。過去にいい事があったとしてもだからなんだという話だ。

いい事があったからなんだ。それは過去の話でこれから先には関係がない。過去の楽しい思い出は自分を慰める時にしか役立たない。とボクは思っている。

この想いは第三者にとっては妬み、にも思えるかもしれない。ボクには振り返る過去がない。そもそも記憶がないのだから。それ故にそれが出来る者を羨んでいるのではないか、と。




【炎天下】

ハッと気がついた。


真夏の空は揚々と自分勝手に遠慮なく照りつけ、その上その熱でアスファルトが焼け上下から熱気が来ている。


まず感じたのは痛みだった。

腕、腹部、足全体に打ち付けたような痛みがある。


意識がなくなる前の記憶はないが目の前にドミノ倒しのように倒れている数台の自転車と 体の下敷きにしている錆びたママチャリから状況は察した。


咄嗟についたのか、自転車の上で倒れまいと支えている掌は見るまでもなく出血している。焼けたように痛いし痺れでヒリヒリしている。


辺りを見回すが人通りが少ない道だからかここにいるのはボク一人のようだ。

見られていないとなると恥ずかしさではなく虚しさを感じる。


体を起こし、怪我の状況を確認してから自転車を起こし始める。


そういえば恥ずかしさで顔を赤くするのは危険信号らしい。私はもうこれ以上ないくらい恥ずかしいので注目しないでという印で血圧は下がり心拍数は上がる。つまり「これ以上見られると死んじゃうよぉっ!」という事を人間の本能で知らせているのだ。


確かにもしここが人が多く行き交う道だったらこれは恥ずか死ぬレベルかもしれない。

でもいくらこの上ない恥ずかしさを感じても本当に死ぬことはないだろう。人間そうヤワじゃない。


そんな事をボーッと考えながら自転車を全て起こし終わり無意識に手についた汚れを落とすために手をパンパンと払うと激痛が走った。

そういえば怪我をしてるんだった。出血量はそうでもないが擦りむいた上に切れている。

とりあえず財布の中にいつも入れている絆創膏で簡単に止血したがきちんと洗って消毒しておいたほうが良さそうだ。


帰ろうと思い、ふと疑問に思った。

自分の状況にだ。ここは住宅街で今ボクがいるのは川沿いの隅に作られた駐輪場のような隔離された空間だった。網の向こうには白いペンキの取れかけた一本道が伸びている。

そこはボクの記憶にはない場所だった。


起こしたばかりの自転車の中に自分の物はない。

なぜボクはここに入ったのだろうか。

道路の反対側は川だがかなりの高さがあり、もし網を超えれば怪我は免れない。


ますます謎だ。自転車の持ち主しか入らないであろうこの場所で気がついたらボクは自転車を倒していた。


...ストレスでも溜め込んでいたのだろうか?


いや、だからってわざわざ自転車を倒すためだけに知らない所まで出向いたとはインドア派のボクにはありえないはずだし、もしそうだとしたらかなり頭がイカれたヤバいやつだ。

数分前の記憶すらなくなるのは希だ。一日前ならともかく。困ることはないのだが今回ばかりは記憶がなくなって欲しくなかった。数分前の自分の行動が謎い、謎すぎる。それに気味も悪い。

地域住民に見られる前にとそそくさと退散した。



【月光下】

人口の明かりがあちらこちらで光っていた。

そんな場所にいた。


時刻は分からないがあまりの静かさから恐らく深夜過ぎなのだと推測出来た。

目の前にはロータリー。回れ右で後ろを向くとよく知っている駅だった。

毎日多くの人が利用しているこの町で二つしかない駅のうちの一つ。かなり時代を感じる建物で駅ビルなんかとは程遠く中には二年前に潰れた蕎麦屋と品揃えの悪い小さな売店があるだけだ。

まさに電車に乗るだけの場所。駅という機能としてはこっちの方が正しいのかもしれないが一度大きな駅を見てしまうとなんだかとても物寂しさを感じる。それにこの時間だからか人ならざぬ者とかがいそうだ。


どうせ駅員もいないのだからとホームに入ってみた。

期待を裏切らない何もないホーム。こんなに何もないのだからいい景色の一つでもあればいいのにと思うが目の前は物置になっていた。大きな赤茶色のコンテナが積み上がっている。


気がついたら真夜中の駅。そんなありえない状況に恐怖は感じていなかった。なんとなく体がふわふわしていて夢の中にいるような感じがする。


もしかしたら、もしかしなくともこれは夢だろう。

いくらここに至るまでの記憶がないとしてもこの時間に、日中でもよっぽどの事がない限り行く事がない駅に行く理由が見当たらない。

そこまで好奇心に飢えてるわけでもないしわざわざ警察に補導されるリスクを犯してまでボクが、このボクが外に出るとは思えない。


夢ならばと覚めるまでの時間潰しにホームを無駄に歩いた。


そして反対側の、下りのホームで“アルモノ”を見つけた。


花だ。

色とりどりの花束。それが不自然にホームの隅に置かれている。


誰かがここで死んだなんて話をボクは知らないが毎日誰かしらが亡くなるし、なんなら今この瞬間にも世界からは生と死が繰り返されている。

ボクは新聞どころかニュースさえもろくに見ないから知らなくても無理はない。だが家の割と近くで、それも駅での人身事故なんて風の噂で情報が入っても不思議ではないくらい大事(おおごと)だが...まあ、いいか。夢の中でそんな事を気にしても仕方がない。夢の中の設定、って可能性の方が高いのだし。


だが、何故だろうか。


この花を見てると焦る...?というか......なにか思い出さないといけない事があるような気がするのだ。

なにか大事なことを忘れているのではないか、やるべきことがあってボクはここに来たのではないか......



そんなことさえもボクは忘れている。



【      】

長い、長い夢を見ていた気がする。それも同じような内容を何度も、何度も。


「おや、起きましたか」

ぼんやりしたボクにそう話しかけたのは“暗闇”だった。

そう暗闇。そうとしか表現出来ない。

影も形もなく、そもそも実態すらない。遠くにいるのか近くにいるのかも分からない。実態がないのだから距離すら測れなかった。


そんな“暗闇”が目の前にいた。


「見つかりましたか?」


なにが


「やだな。なにって...あなたが探しに行ったものです」


ボクが?


「あれ?副作用がありましたか?そんなはずは......ああ、もしかして例の記憶障害ってやつですね。いやはや」


なんの話だ。お前は誰だ。なぜその事を知っている。ボクはその事を誰かに話したことなんて...


「まあ、いいです。元の場所で見たものについては興味がないので。さて、それでは未練がなくなったところで......」


未練?


「お好きな方をお選びください。左か、右か」


「左は天地への道。天地...言わば天国か地獄かあなたの生前の暮らしっぷりを加味し番人があなたに相応しい道へと誘います」


「右は来世への道。言葉通りですので分かりますよね?産み落とされる母体はランダムなので門を通るだけで手続き等は不要です」


「どちらにします?」


「...あれ?どうしました、キョトンとして?」


天国、地獄、来世。どうしてそんな選択をボクが...

それじゃ、まるで......



【死後の門】

「ようこそ死後の第一の門へ」


体にトンと当たった衝撃を覚えている。

痛みは感じなかった。恐らくそれ程の痛みだったのだ。痛みをすぐに感じないくらいの。


ボクの人生を一言で表すなら“不幸”だった。


幼い頃から義理の父の暴力が当たり前で母親と妹は家を出た。

学校では当然のようにいじめにあい、放課後は父に言いつけられた家事に追われ、夜は父が寝静まった真夜中に眠りにつき、朝は太陽が登るよりも早く起き朝食の支度をする。朝は朝食にケチをつけ怒鳴る父を見送りまた学校へ。


味方は当然いなかった。教師も同級生も近所の住民も、気づいているはずなのに。


今までよく耐えていたと自分を褒めたいくらいだ。

高校の入学式。遠方の学校だったため電車通学になったその日、新品の制服に身を包んだボクは遠くから走ってくる電車を見た瞬間ふと思いたった。


ずっと待っていた母からの迎えも来ない。家に帰っても外でも地獄しかない。ここ以上の地獄はないと思う程にここは地獄だった。


だったら天国に行けばいい。あの電車のライトみたいにキラキラと光り輝く天国に。



覚えているのはそこまでだ。あとはこの痛みだけ。でも情報としてはこれで十分だ。

あの考えに至ったボクがその後どうしたかなんて考えるまでもない。


「死んでしまった不幸なあなたにはこの先を選ぶ権利があります」


「前世の記憶を持ったまま魂のみで留まるか来世で新たな人生を歩むかの選択です」


だったらボクは...


「まあ、待ってください。そう結論を急がなくともいいのです」


「この先の門をくぐる前に。ワタシは次の門への案内役に加え、死者の望みを叶える役割をも担っているのです」


望み?


「元の体に生き返る、なんて願いはさすがに無理ですがそれ以外の願いならば」


死んでるんだから願いも何も


「そうですね...例えば別の体に乗り移りたい、とか幽霊として現世に留まりたい、と望む人がいましたね…」


別の体に?


「乗り移ることなんてのは容易なことです。その体に入っている本来の...言わばオリジナルの魂を追い出せばいいだけの話ですから」


一大事じゃないか


「まあまあ、それは置いておいて。なにか望みはないですか?」


望み...望みねぇ......


............

.....



「おや、何か思いついた様子ですねぇ」


「叶えうる限りの願いを一つ叶えましょう。さあなんなりと」


だったら...



一度元の場所に幽霊として行きたい。幽霊じゃなくてもいい。姿が見えなければ。


「と、いうと?」


ボクが死んだあと、悲しんでくれた人がいるのか、ボクの死を惜しいと思ってくれた人がいるのか...それを、見てみたい。



「聞き受けました。最期の最期の渡航、どうぞお気の済むまで」



【      】

見つかりましたか。その意味がようやく分かった。


「見つからなかった」

ボクが本当にあの場にいたのか信じられないくらい何も変わらなかった。


初めから分かっていたことだがこう現実を突きつけられるとグサリと刺さるものがあった。


ボクはよっぽどのマヌケだ。自分があの場にいた理由すら忘れてしまうだなんて。


あの知らない住宅地も、駅も、それ以外の場所も、日が登ってから沈むまで、何日も何日も。

その記憶はないが無意識ながらずっと探して、探して、探して。


ボクはボクのことを探している人を、探していた。それをたった今思い出した。


「それはお気の毒でしたね」


慰めで言ってるわけじゃない。この暗闇はただ事務的に言っているだけだ。だけどその方が気が楽だった。適当に言われるよりはマシだ。


「それでは改めて選択を」


答えは決まっていた。


「留まるよ」


「ほぉ。ワタシが言うのもなんですが本当にそれでいいのですか?」


「もちろん。もう一度生きて、いや、この先何度生き返って、生き続けてもボクは生をまっとう出来る自信がないよ」


「だから死に続けると」


「生き続けるよりはマシだ。生きる事に疲れたボクにはどうやってもそっちの道は選べなかった。それだけ」


「まあ、それもいいでしょう。なに、天地への道だって悪い事ばかりではないですよ。どの道もそれなりに辛いことがあって多少の幸福があります。それに...」


「そんなに晴れやかな顔をしているのです。ここに来てあなた以上に幸福な人はいないでしょうよ」


「ありがとう」


ボクは初めて笑った。



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