5
それから、1年。
乙女ゲームが始まる春がやってきた。
乙女ゲームらしく、ヨーロッパ風の世界観なのに、なぜか新学期が始まるのは桜の季節だったりする。
桜が舞い散るなか、ピンク色の髪の小柄な女の子が学院の門をくぐる。
ヒロインだ……!
その時、風が強くふいて、ヒロインが持っていた入学案内の紙が吹き飛ばされる。
「きゃっ」
かわいく悲鳴をあげたヒロインに、すばやく案内の紙をキャッチしたミハエルがちかよっていく。
「これ、落としたよ」
「あ、ありがとうございます……」
ミハエルが手渡した紙を、大切そうに胸に抱えるヒロイン。
うるうるとした目でミハエルを見上げる彼女の姿を見ているのが辛くて、ひとりで生徒会室に向かった。
「泣いているのか?」
生徒会室にいたのは、生徒会長のラザンひとりだった。
「泣いてないわ」
ほんとうに、泣いてなんていなかった。
なのに、ラザンはわざわざ椅子から立ち上がって、わたくしのほうへ歩いてくる。
そして優しく頭をなでてくれた。
この人を、好きになれればよかったのに。
ラザンとの婚約は、まだ解消されていなかった。
あの時戦が始まりそうだった他国の姫君たちは、それぞれ戦相手の国に嫁いでしまった。
同盟というなごやかな形で戦争が終わり、我が国に火の粉がふりかからなかったのはよかったけれど。
……そういえば、ラザンも攻略対象だ。
わたくしはラザンの婚約者として、ヒロインにたちふさがる悪役でもあった。
わたくしは、なにか貴族の令嬢としてはしてはいけないことをしたとして、婚約破棄されるのだったっけ。
ミハエルを想ったまま、ラザンと結婚することなんて、できない。
それなら、このままゲームの筋書き通り、婚約破棄されて、修道院に行くのもいいだろう。
けれど、貴族の令嬢としてしてはいけないことって、なにかしら。
よくあるパターンでは、ヒロインをいじめたのが暴露されるということだけど、わたくしはヒロインをいじめたりはしない。
ゲームでも、その件については、詳しく語られていなかった。
お父様や家に、迷惑がかかるようなことでなければいいのだけれど……。
「ラザン。婚約のことだけど」
「うん?」
「解消して、ほしいの。その方向で検討してくれない?」
王家から申し出られた婚約を、わたくしの一存で断るのは無理なことだ。
けれどもともとが都合のいい時期に解消可能な相手として選ばれた婚約者。
近隣国が落ち着いた今となっては、わたくしでは地位が足りないという人も多い。
わたくしを婚約者として推す人も、いるにはいる。
けれどそれは、女性として婚約者を最も決めやすい時期を5年も王太子の婚約者として過ごしたわたくしを、今さら必要がないからと言って退けるのはどうかという人道的な意見からだ。
わたくしとラザンが親しくしているのも、その後押しになっている。
人によっては、わたくしはすでにラザンの「おてつき」だとうそぶく人もいるみたいだから。
実際には、わたくしとラザンは今でも友人のままだ。
けれど、その優しい関係も、今はもうラザンの優しさで保たれているだけだとわかっている。
「……私からは、君との婚約を解消したりはしないよ。わかっているだろう?」
わかっている。
いつからか、ラザンがわたくしのことを好きになってくれていたということは。
気安く口をきける身近な女だからか。
王太子妃としての教育に、おもいがけずよい成果をだせたからか。
理由はわからないけれど……。
ラザンの気持ちを知っていて、ひどいことを言ったのはわたくしのほうなのに、ラザンはわたくしを気づかわし気に見る。
どうして、この人を好きになれないのかしら。
自分の気持ちさえ、ままならない。
ラザンのことはいい人だと思うのに、わたくしが胸を焦がすのはミハエルだけだ。
「それでも、あなたとの婚約を解消したいと言ったら?」
ラザンは、苦く笑った。
「では、こうしよう。私が卒業する直前、来年の2月。バレンタインの日に、君の好きな人に告白するんだ。そうすれば、君との婚約は解消しよう。もちろん、私が父や大臣たちも説き伏せ、君に迷惑がかからないような形で婚約を解消してあげる。……できるかい?」
わたくしは息を飲んだ。
バレンタイン。
それは、前世でのほのぼのとした告白イベントとは、重みの異なるイベントだ。
乙女ゲームのイベントの中でも重要視されているイベントで、その日にされた告白はいかなる権力者でも妨げることはできないとされている。
そして両想いになった恋人たちは、誰にも妨げられることなく祝福されるべしと。
けれど一方で、想いが叶わなかった場合、世間を騒がせた罪を負い、未来に大きな負債を負う。
過去にも、将来は大臣になるだろうと言われていた公爵家の嫡男が告白に敗れ、一傭兵として敵国へ遣わされたこともあった。
ある令嬢は、遠い異国へ「友好のため」遣わされ、年老いた王の97番目の妻となったという。
乙女ゲームの世界では、ここで意中の相手に告白するイベントがある。
告白に「YES」の返事がもらえれば、トゥルーエンドか、グッドエンド。
「NO」ならバッドエンドだけれど、たいていの場合、攻略対象が「NO」ということはなかった。
だって、自分が「NO」といえば、相手は窮地にたたされるのがわかっているんだもの。
多少なりとも相手に情があれば、ここでは「YES」と言っておいて、後でうやむやに友情エンドを迎えることができるのだ。
告白した相手に、好きな相手さえいなければ「YES」の返事はもらえる仕様だ。
けれど、わたくしの好きな相手は……。
弟だ。
血はつながっていないけれど、子どもの頃から姉弟として育った弟。
しかもわたくしの婚約者は、王太子だ。
たとえミハエルがわたくしに姉としての情をまだ抱いてくれていたとしても、「YES」とは言い難い。
この世界でのバレンタインの告白は、その性質上、人前でしなくてはならないのだ。
わたくしの「告白」が成立したとしたら、バレンタインの告白のため、わたくしたちの関係は認められるかもしれない。
けれど、他の人の告白のように、うやむやになかったことになんてできはしない。
なにしろ王太子の婚約者の「告白」なのだ。
国の大事である。
わたくしとラザンの婚約事情を考えると、婚約の解消自体はすんなりとできるかもしれない。
ラザンが国王陛下や大臣を説き伏せるというのも、勝算があってのことだろう。
けれど。
「わたくしの勝手で、好きな人を巻き込むなんてできませんわ」
わたくしは、ミハエルの姉である。
身勝手に異性としての愛情を抱いてしまってからも、あの子を守りたいと願った「姉」としての気持ちをなくしてはいない。
ラザンと婚約破棄したいからといって、ミハエルを巻き込むなんてできない。
「私は、謝らないよ」
ラザンは、ひどく苦しそうに言う。
わたくしは、ただ曖昧に笑った。