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王太子とわたくしが婚約して、5年。
わたくしは16歳、ミハエルは14歳になりました。
5年前、お父様からラザンとの婚約をいい渡された時は、「あのボケ、なにさらしてくれとんのじゃ!」と伯爵令嬢という身の上とは思えない罵詈雑言をはいて、娘の奇行になれたお父様さえ顔色がなくなったものですが、それも今は昔。
翌日、王宮に突撃したわたくしに、ラザンは困り顔で言ったのでした。
「婚約って言っても、仮のものだと思ってくれていいよ」
「仮?婚約が、ですか?」
そんなこと、きいたこともない。
しかもラザンは王太子だ。
仮の婚約者だなんて、必要なんだろうか。
「私のほうの理由としては、昨今の国際情勢だよ。いくつか、他国間で戦争が起きそうなのは知っているだろ?うっかりどこかの国の姫君と婚約させられて、同盟国として戦争に参加しなくてはならない…なんてことは避けたいんだ」
「なるほど」
「君と私は、仲もいいしね」
「茶飲み友達ですけどね」
国家間のあれこれをもちだされると、私の怒りも飲み込まざるをえない。
戦争はこわいです。
平和がいちばん。
「ラザンが結婚するなら、戦勝国の姫君とってことですね」
「それがベストだな。だから、仮の婚約なんだよ」
「それで、そこまで力があるわけでもない伯爵令嬢のわたくしでも、婚約が認められたってわけですね」
あまり地位の高い令嬢と婚約させたなら、お気軽に破棄するわけにはいかなくなる。
「君には申し訳ないけど、そういうことかな。けどね、君にとってもこの婚約は悪くないと思うよ」
ラザンは意味ありげに笑う。
先日の話を、蒸し返す気だ。
「……弟離れしろってことですか?」
「そう。君は、むかしから年齢の割に大人びたところがある。1歳年上の、王太子として教育された私と軽口がたたけるくらいにね。だが、だからこそ、周囲の同じ年齢の子どもたちを不必要なほど子ども扱いしがちだ。特に、ミハエルを」
「そ、れは……」
なだめるようなラザンの視線に、わたくしは顔を赤らめた。
自覚は、あった。
5年という月日は子どもの身には長く、9歳のミハエルはすでにわたくしの庇護を必要としていなかった。
学院に通い、魔術や剣を習い、勉学にも励み。
生来の素直な性格で友人を得たミハエルは、男の子の友人とともにあることが楽しそうになっていた。
わたくしのスカートの影に隠れていたのは、もう昔のことなのだ。
「ほんの少し前のことみたいなのに」
「男の子っていうのは、成長するときははやいもんだよ」
ラザンは珍しく、年上の男の子の顔をして、わたくしの頭をなでてくれた。
そっとハンカチを渡されて、自分が涙ぐんでいたのを知る。
「わかりました……!婚約のお話、お受けします。弟離れも、できるだけします……!」
お姉ちゃんとしては悲しいけれど、わたくしだってほんとうは気づいていた。
いつまでも姉のスカートの影に隠れるようじゃ、攻略対象として……というか、男子として、ダメダメだ。
そんなのがかわいいのは、せいぜい14、15歳くらいまでだ。
20歳を超えてもそんなだったら、ヒロインじゃなくてもどんびきだよ。
ミハエルのためにも、わたくしは少し距離を置かないと。
そばにいると、ついつい口も手も出しそうだしね。
えぇ。世話焼きばばぁの自覚はあります。
だって、ミハエルがかわいすぎるんだもん。
王太子の婚約者ともなれば、仮であってお教育は厳しくなるはず。
忙しくなれば、必然ミハエルとの距離も開くだろう。
悲しい…。
悲しいけれど、ミハエルのためなら耐えましょう!
まぁ、国のためにも頑張りますよ?
この国、そこそこ平和だし、わたくしは幸せに暮らさせていただいている。
将来的には解消される婚約は、令嬢としてのわたくしには不利になるだろうけれど、初めから裏事情ありなら、婚約解消された時も、そこそこいい縁談は見繕ってもらえそうだし。
そう打算と愛情に燃えて誓った11歳の春。
ラザンが「私の運がよければ、アリーシャと結婚できるかもしれないしね」と漏らしていたとしるのは、ずっと後のこと。