オオカミの恋模様
その人の声が好きだった。
その人は美人で、可愛くて、お茶目で、でも格好良くて、女子に人気があった。
でも俺は、その人の綺麗な声が好きだった。
「昨日ね、ひとみさんとご飯行って語っちゃったんだ」
嬉しそうに言うのは、このダンス教室の最年長、茜。
茜は美人で、ダンスも1番上手い。
ずっと、ひとみさんに憧れていたらしい。
「どうせ、タケルの相談だろ?」
「そうだけど、どうせ、とか言うなよ―――」
茜は照れて、俺の肩を勢いよく叩いた。
タケルは茜のひとつ年下だけど、格好良くて、みんなに人気がある。
茜もタケルの事を好きなみんなのうちのひとりだ。
2人は両思いなんだけど、なかなか打ち明けられないでいる。
ひとみさんはこのダンス教室で、小学生クラスの担任をしている。
小さい子と一緒にいる時のひとみさんは、本当に楽しそうだ。
もともとひとみさんは、このダンス教室の出身だったらしい。
しばらく離れていたけど、先生として戻って来たんだ。
茜は、ひとみさんと一緒に習っていた事がある。
他にも、美雪と緑も、ひとみさんと一緒に習っていたらしい。
教室のクラスは、年齢順に3つのクラスに別けられている。
毎週日曜日、4コマのレッスンがある。
ひとみさんは小学生クラスの2コマを担当している。
教室にはスタジオが4つあって、ジャンルによって使い分ける。
全てのコマで、スタジオを移動する。
俺がひとみさんに会えるのは、そのスタジオ移動の時だけだ。
それも本当にたまに。
しかも、ひとみさんが小学生クラスの生徒たちと楽しそうに喋っているところに、通りかかるだけ。
「せんせ、みて、けーたい買ってもらったの」
「スマホ?すごいじゃん」
「ちがうよ、こどもけーたいだよ」
「な―んだ!間違えちゃった。ごめんね」
「いいよ!」
「ありがと!」
今日も、ひとみさんがチビっこと話している声だけを、遠巻きに聞いている。
「聞いてよ凛ちゃん!」
「凛ちゃん言うな」
「あのね、今度のイベントの統括が、ひとみさんになったんだって!」
茜はいつも、誰よりも早くひとみさん情報を持ってくる。
イベントの統括になった先生は、全体の稽古に立ち会って、本番もずっと一緒にいる。
普段のレッスンでは絶対に会えないひとみさんと、これから毎週会えるってことだ。
「ひとみさんと会えるのか…」
「もう、ほんとラッキー!」
「よかったね」
「凛ちゃんも、よかったね!」
「う、うん」
そして、イベントまでの3ヶ月間、俺は毎週必ずひとみさんに会えるようになった。
ひとみさんの稽古に参加するようになってから、わかったこと。
ひとみさんは、ウケを狙って失敗することが多い。
ひとみさんは、意外と強引に話を進める。
ひとみさんは、考え事をする時に人差し指を顎に当てる。
それが、どれも、すごく可愛い。
「ひとみさん、本当に可愛い!大人ってみんなクールだけど、ひとみさんは本当に可愛い!」
茜がまた騒いでいる。
でも、俺はやっぱり…。
「でも、声も綺麗だよな」
「そりゃあ、歌の大学に行ってるからね!」
「えっ………そうだったの………?」
まただ。また茜は俺の知らないひとみさんを知ってる。
「そうだよ!凛ちゃんてあんまり、ひとみさんのこと知らないよね」
「知らないよ…話さないもん…」
「話してみなよ!すごく話しやすいよ!」
「う、うん」
それから本番当日まで、茜はやたらと俺を連れてひとみさんのところに話しに行った。
でも結局、本番の日になるまで、俺が茜さんと直接話すことは無かった。
「今回は、男の子で参加できるの、凛ちゃんだけだったんだね」
初めてひとみさんと2人きりで話した。
と言っても、部屋の中には他の人もたくさんいるけど。
「そ、そうなんすよ。だから、こんなところに追いやられて」
「楽屋の台所が男性楽屋なんて、ひどい扱いだな!」
「本当っすよ、鏡もないし、狭いから自主練もできないし」
「椅子もないのか。あとで持ってきてあげるよ」
「あ、あざす」
イベントは3日間ある。
ひとみさんはその間、何度か男性楽屋の様子を見に来てくれた。
たまに茜や緑が押しかけてきてて、ひとみさんと話せない時もあったけど。
「凛ちゃんが寂しがってると思って来てあげたよ!」
「寂しくねーよ」
「てか、ひとみさんの私服見た?」
「聞けよ」
「みたみた!昨日のはクールな感じだったけど、今日のピンクのロングスカート可愛いよね!」
「それですよ。凛ちゃんも見た?」
「きょ、今日は見てない」
ドモった俺を、茜と緑がニタニタした笑顔で見てきた。
「なんだよ…」
「最近、随分ひとみさんと仲がよろしいようで」
「よかったねえ、凛ちゃん。青春だねえ」
「はあ!?」
「だって、凛ちゃん、ひとみさん大好きだもんね」
「ちっっっげ―――し!!!」
茜の一発が手に負えなくなり、走って逃げてしまった。
俺が、ひとみさんを、大好き?
なんだ、なんのことだ。
なんでかわかんないけど、なんでこんなに、ひとみさんの声が響くんだ。
『凛ちゃん』
その声で呼んでほしい。もっと俺の名前を。
『凛ちゃん、格好いいよ』
なんでなんだ。
こんなに、好きだと、思ってしまうなんて。
「ひとみさんて、何歳だっけ………」
「24だよ?」
「うわぁあ!!!」
つい、思ったことが口に出てしまった。
そこに後ろから声をかけてきたのは、ひとみさんだ。
なんて、なんていうタイミング……。
「どうしたの?」
「いや、あの、なんでもないんす。それじゃ!!!」
「あ、ちょっと」
だめだ、まともに顔が見れない。
どうしたらいいんだ。
「凛ちゃーん!打ち上げ出るー?」
遠くから、ひとみさんが声をかけてくる。
「出ます―――!」
立ち止まらずに叫んだ。
「おっけー!」
笑っているような声が聞こえた。
「お、茜のやつ、ひとみさんとフレンドなってんじゃん…教えろよ…」
イベントが終わると、またひとみさんと会えない日々に戻った。
でも、ひとみさんが普段、何をしてるのかすごく気になる。
それで、色んなSNSでひとみさんを探していたら、案外すんなり見つかった。
「本当だ、音楽大学の………大学院2年。………大学院て何?」
大学なんて、俺の知らない世界だ。
まだまだ何年も先の、遠い世界。
「すごいな、ドレス綺麗………」
ひとみさんが舞台に立ってるところは見たことがない。
ドレス姿の写真はとても綺麗だった。
「本物はもっと綺麗だろうな」
想像したら頬が緩んできた。
「この前の打ち上げの写真もある…」
打ち上げでは、ほとんどひとみさんと話せなかった。
というか、わざと遠くにいたんだけど…。
出演者は50人くらいいて、みんな先生と話したがる。
俺ひとり声をかけなくてもバレやしない。
でも、その日、意を決して茜と一緒に話しかけた時、ひとみさんのスマホが鳴って、少し電話をした後、慌てた様子で帰っていった。
「なんで帰ったんだろ…気になるけど…書いてないな」
他の投稿を見てみようと思って、写真一覧を開いた。
スクロールして見ていくと、女友達と3人で写っている写真がよくある。
きっと親友なんだろうな。
それから、背の高い男の人。
2人だけの写真もあるし、大人数の写真には必ずいる。
衣装で撮ってるのもあるから、同じ大学の人かもしれない。
6年くらい前の投稿から、ずっといる。
「彼氏、かな…」
というか、絶対、そうだ。