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桔梗物語。

作者: 洲本六文



天正十年 六月二日未明


京の都に約一万の軍勢が迫っていた。

旗印は桔梗紋。

天下統一を目前に迫った、時の権力者織田信長の家臣明智光秀の軍勢である。

軍勢は本能寺を包囲すると、大将の下知を待ち、緊迫が走る。

本能寺の門前に兵士達に守られ、馬上から本能寺を睨みつける男がいた。

明智光秀である。

光秀はゆっくりと刀を抜くと、頭上に掲げ、大音声で叫んだ。

「かかれぇーー!!」

兵士達は本能寺に攻め入り、屋根に登った鉄砲隊が本能寺にいる織田兵に撃ち掛け、弓衆が火矢を放ち、たちまち本能寺は炎と悲鳴と怒号に包まれた。

「上様、お許し下され…」

光秀は馬上で静かに呟いた。

この日、織田信長は本能寺で自刃。

四十九年の生涯に幕を下ろした。


本能寺の変が起こる少し前のことである。

「光秀、そなたに出陣を命ずる。備中高松に赴き、サルを援護せよ。」

サルとは羽柴秀吉、後の豊臣秀吉のことである。

この時、秀吉は毛利征伐の為、備中高松城を攻略しようとしていたが、その最中、毛利家当主、毛利輝元自らが大軍を率いて出陣して来ていた。

信長は続けて口にした。

「勝てば、出雲、石見をくれてやる。その代わり、丹後、丹波の地は没収する。」

光秀は驚いた。

「そ、それでは我が軍の拠点が無くなってしまいます!それに出雲、石見は未だ毛利領…」

光秀がそこまで言ったところで、信長は言った。

「それ故お主は勝たねばならぬ。そなたの実力ならば難しくは無かろう。光秀、お主なら勝てるであろう。わしはそう思っておる。」

光秀は静かに頭を下げ、「御意のままに。」と言った。

光秀は備中攻めのため丹波亀山城に戻った。

その道中、光秀はずっと考えていた。

「信長様にとって、私はただの捨て駒ではないのか。」と。

この頃、信長は古くから仕えてきた家臣達を何かと理由をつけては解雇、追放している。

本願寺攻めの最中だった、佐久間信盛などは信長の父の代から仕えていたにも関わらず、「目立った働きがない。」と追放されてしまった。

それらを見てきた光秀は信長の言葉を信じることが出来なかった。

「次は自分の番かも知れぬ。」と。

「秀吉殿の下で働き、領地を没収され、出雲、石見を攻略出来なければ我が一族はどう暮らしていけばよいのだ…。」

光秀は馬を止め、呟いた。

「やはり、信長様にとって私は所詮捨て駒に過ぎぬか。」


丹波亀山城に戻ると、家来の者が大急ぎで駆けてきて、光秀に「羽柴様より使者が参っております!」と告げた。

その使者は秀吉の軍師、黒田官兵衛だった。

「黒田殿、お久しゅうござる。」

待たせていた官兵衛に光秀はそう声をかけた。平伏していた官兵衛は顔を上げると、「明智様に我らの援軍に来て頂けるとはかたじけのうございます。」と言った。

「上様の下知であるからの。」

光秀はそう返した。

官兵衛は少し、周りを気にすると、光秀に言った。

「お人払いをお願いしたく存じます。」

光秀は少し戸惑ったが、すぐに家来達に「下がれ。」と命じた。

部屋の中は官兵衛と光秀だけになったことを確認すると官兵衛は言った。

「実は明智様にお願いしたき儀がございます。」

「なんじゃ?」

光秀がそう言うと、官兵衛は真っ直ぐ光秀を見つめて言った。

「信長公を討ってくださいませ。」

官兵衛の口から出た言葉に光秀は驚き、大きな声で「そのようなことが出来るわけ無かろう!!」と言うと、官兵衛は静かに、「出来まする。」と答えた。

官兵衛は言った。

「織田家臣団は各地へ散っています。信長公が毛利征伐の為、畿内に入られれば、畿内には信長公のみ。好機はいましかございませぬ。」

官兵衛は続ける。

「古くからお仕えしている家臣達を追放していること、帝を廃そうとされていること、最早、上様は気が狂ってしまわれたとしか思えませぬ。明智様、信長公に仕える前に我ら武士は天下に仕えるべきではござらぬか?」

更に官兵衛は続ける。

「我ら家臣を、帝を!捨て駒として使い、日の本に王は二人も要らぬと考え、この国を己が物としようとされておるお方に、天下を任せるわけには参りませぬ!信長公では民が笑って暮らせる世など作れませぬ。」

光秀は「確かにその通りだ」と思った。

「しかし、上様に刃を向ける訳には…。」

その時、官兵衛は大きな声で言った。

「次に追放されるのは明智様かもしれませぬぞ!」

官兵衛は続けた。

「明智様が御決心下されば、我が主もお味方致します。信長公を討った後は我が主と明智様とで民が笑って暮らせる世を作りましょうぞ。」

光秀はしばらく黙り込んだ後、静かに頷き、こう口にした。

「明智日向守光秀は上様を、織田信長を討つ。」

それを聞いた官兵衛は静かに言った。

「我が主も喜びましょう。」

官兵衛は立ち上がり、杖を持つと、「今日、それがしはここに来なかったことにして頂きたく存じまする。」と言ったので、光秀は「心得た。」と頷いた。

官兵衛は丹波亀山城を後にした。

備中へ戻る道中、官兵衛はにやりと笑い、家臣の栗山善助に「もうすぐやってくるぞ。秀吉様の天下が!」と嬉しそうに言った。

いよいよ光秀出陣の時がやって来た。

「民が笑って暮らせる世か…。」

光秀は馬上で呟いた。

京と備中の分かれ道に差し掛かった時、光秀は全軍を止めるように下知した。

光秀は行列の先頭まで行き、馬を翻し、深く息を吸い込んで、大きな声で言った。

「これより我らは京の本能寺へ向かい、織田信長を討つ!」

突然の下知に、驚いた家臣達はざわめき始める。

家臣の一人、明智左馬之介が光秀に問いかけた。

「我らは備中へ向かうのでは…?」

「備中へは向かわぬ!天下万民の為、羽柴殿と協力し、織田信長を討つのだ!」

光秀は大きな声ではっきりと答えた。

家臣達はしばらく黙っていたが、明智左馬之介が「御意!」と大きな声で言ったので、皆それに従い、口々に「御意」と叫んだ。

光秀は馬の頭を京へ続く道へと向け、大きな声で「行くぞ!」と叫び、馬を走らせ、家臣達はそれに続いて、駆け出した。

こうして本能寺の変は起こったのだ。

信長を討った光秀は朝廷から感謝状を贈られ、瞬く間に時の権力者となり、誰もが次の天下人は光秀だと思い込んだ。

しかし、それも長くは続かなかった。

毛利と交戦していたはずの羽柴軍が、毛利と講和し、織田信長の弔い合戦、つまり明智討伐の為、驚くべき速さで引き返して来たのだ。

世に言う中国大返しである。

この時の秀吉の逸話が残っている。

信長の死を知り、泣きながら悲しむ秀吉に官兵衛は「秀吉様はいま信長公の死を悲しんでおられるが、本当は嬉しくて仕方がないのでは?」と聞くと、秀吉はにたりと笑ったと言われている。

中国大返しの一報を聞いた光秀はすぐに各地の武将に自分に味方するように書状を送った。

「信濃の真田を始めとする国衆、北条、細川殿、とにかく我らの見方を増やすのじゃ!」

しかし、光秀は信長を討った逆賊、味方する者は少なかった。

そして天正十年、六月十三日、山崎の合戦が起こった。

羽柴軍は二万七千、対する明智軍は一万七千、勝敗は明らかだった。

明智軍は敗北、光秀は坂本城を目指し、落ち延びた。

その道中のことだった。

暗い夜道を月の明かりのみを頼りにひたすら前へ前へと光秀らは進んでいた。

その時、横腹に激しい痛みが走った。

暗くてよく分からないが、茂みから出て来た何かが横腹を突き刺している。

しばらくして、光秀は理解した。

落ち武者狩りだと。

光秀はその場に倒れこんだ。

家臣達も同じく落武者狩りにあっているのだろうか、皆、悲鳴をあげている。

少しずつぼやけていく視界に映る月は酷く寂しかった。

「上様…。」

織田信長の天下を阻んだ男はここに没した。

本能寺の変から十三日後、光秀の短い治世は後に「三日天下」と呼ばれた。

明智軍に占領されていた信長の居城、安土城もその混乱の中、消失した。

光秀の死後、秀吉は柴田勝家ら織田家臣を滅ぼし、その後、天下を統一し、事実上、逆賊明智光秀を討ち果たした天下人となった。

光秀の名は現在に至るまで逆賊として語り継がれた。

しかし、光秀は今でも丹波、丹後の人々、そして多くの人々から慕われている。

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