いもうとのおもい
「ただいまー」
疲れ気味な姉ちゃんの声。塾から帰ってきたんだ。二階の俺は特に返事しない。一階にいる誰かが返事するだろう。と思ってたら、階段を上る音が聞こえてきた。軽い足音からして姉ちゃんだ。勢いよくドアが開かれた。
「快奈、晩ご飯できてるで!」
「下から呼んでも聞こえるって」
「でるてきでんはごんば、ないか?」
「『下から読め』じゃねえよ。地味にすごいことすんなよ」
姉ちゃんはケラケラ笑う。俺がまだ小五なのに、姉ちゃんはもう高三。来年三月には受験がある。ただ、姉ちゃんは大学に行く気はないらしい。東京の知り合いとアイドルやるって言ってる。誰だよ、その知り合い。確か唐魏野とかいう珍しい苗字だった。
それはそうと、姉ちゃんについて最近どうも気になることがある。さっきみたいにわざわざ部屋まで来るのもだけど、後ろからいたずらしてきたり、意味もなく隣に座ったり。それから何故か最近になってアニメの話をすることが増えた。高校生が話題にするはずのないアニメの話を。
日曜日は塾が休み。大学行かないんなら塾行かなくても良さそうだけど、両親がどうしても行かせたいという。まあ、いいか。うちって無駄に金あるし。
「……朝から何してんだ?」
起きたら姉ちゃんが部屋にいた。俺の椅子から双眼鏡で俺の方を見てる。
「んー、観察?」
「何の」
「さあ?」
この十八歳は何がしたいんだ。俺が部屋を出ると、姉ちゃんもついてきた。階段でこんな会話をした。
「今日はどっか出かけるん?」
「別に」
この家のパソコンは居間にしかない。家族共用のやつと、大人たちの分。俺が使えるのは共用のパソコンだけ。アカウントを開くのにパスワードもいらない。ゲームをしてたら姉ちゃんが後ろに寝転がった。
「快奈は何しとんの?」
鉄道シミュレーションゲームだけど、答える必要はないと判断した。画面を見ればわかることだし。
しばらくすると背中を軽く引っ掻き始めた。痛くも痒くもない程度の力で引っ掻かれる。子猫かよ。
「ひまー」
「こっちは暇じゃねーし」
「えー」
姉ちゃんは小一のときから水泳をやっていて、髪の色素が落ちてる。茶髪だ。
夜になっても姉ちゃんは俺に絡み続けた。いい加減限界だった。
「あのさあ。無駄に関わんのやめてくんない?」
言ってから気づいた。かなりきつい表現だ。一秒くらい黙って、姉ちゃんは言った。
「ごめん」
その声にはさっきまでの元気がなかった。悪いと思ったけど、ごめんなさいは口から出なかった。
私が起きる頃には姉ちゃんは家を出てる。高校が遠い場所にあるからだ。今時逆に珍しいセーラー服の学校。片道一時間くらいかかる高校に通ってる。高校ならもっと近い場所にもたくさんあるのに。やっぱり、水泳の施設が充実してるから? 俺はそんな基準より通学の便利さを考えるべきだと思う。その上、通学なら車で送迎してもらえばいいのに、姉ちゃんはバスを使ってる。
吾輩の小学校には幼馴染の洋介がいる。趣味でやってる漫才の相方だ。そう言えば、洋介と姉ちゃんって会ったことなかったな。そうだ、洋介に昨日の俺をジャッジしてもらおう。ツッコミ役の洋介は中々鋭いことを言うから。きっと予想外の答えを出してくれる。
「話を聞く限りは、本馬さんが謝んなきゃいけないんじゃないかなあ?」
苗字で呼ばなくてもいいのに。
「やっぱり?」
「うん。あと、これは多分なんだけど、お姉さんは寂しかったんじゃない?」
予想通り、予想外の答えを返された。自分で言ってて変な言い方だな。
「本馬さんは今までずっとお姉さんと遊ばなかったの?」
「いや。もっと小さい頃はいっぱい遊んでた。どっかに出かけたり、一緒にテレビ見たり」
「それだよ。お姉さんが唐突に本馬さんの予定聞いたことあったんでしょ? 高校生が見ないようなアニメの話をし始めたってのも聞いた」
「つまりどういうこと?」
「もっと構ってあげな、ってこと。本馬さんにとって唯一のお姉さんなんだから」
お姉さんなんだから。お母さんがよく姉ちゃんに言ってた。そのときは決まって、姉ちゃんが俺のために何か我慢しなきゃいけないときだった。
放課後、高学年なのをいいことに校庭のシーソーを占領して新しい漫才のネタを考えた。洋介は別の場所を提案したけど、俺は何となくシーソーがよかった。それが終わって家に帰ってる途中、俺の前を女子高生が歩いてた。この辺でセーラー服を着た茶髪の女子高生は一人しか知らない。体格も雰囲気も間違いない。
「ねーちゃん」
わざと子供っぽく呼んでみた。いつも遊んでたときみたいに。振り返ったその顔は、間違いなく俺の姉ちゃんだった。
「快奈!」
昨日の俺の罪を忘れ去ったかのような元気な声。姉の偉大さをここまで感じたのは、後にも先にもこの日だけだ。
姉の基奈は妹が大好きです。LIKEの意味で。
快奈もお姉ちゃんが大好きです。LIKEじゃない方の意味で。