表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/39

第九話 佐和山へ

 翌日、俺はいつものように、寝ぼけながら朝食を摂った。もともと、戦国時代は一日二食だったらしい。だが、俺はその慣例を丹波亀山城主になったころ、ぶっ壊した。料理人に朝昼夕と三食出すように命令したのである。腹が減ってしょうがなかったから。


 朝食が終わると、俺は、おみやげのべっこうの櫛を手に古満姫の部屋へ向かった。部屋の扉をそっと開ける。


「秀俊だけど。いる?」

「は、はい。おります」


 姫直々の登場だ。いつも、彼女は、侍女と和歌を詠みあったり、スゴロクをして遊んでいるらしい。教養があってしとやかだ。前世でもこういったことに全く縁がなかったせいか、いまだに緊張しっぱなしである。むろん、恥も外聞も気にせず、悪代官プレイというのも可能と言えば、可能だったろう。なにせ、俺は天下人秀吉の息子だった男である。だが、俺にはそれは出来なかった。というより、やりたくなかった。


「殿。今回は?」


 姫に尋ねられる。この殿という呼び方。まるで家臣のようで落ち着かず、俺は秀俊で良いと、さんざん言っているのだが……毛利家でこう教えられていたらしく、頑としてその呼び方を変えようとしない。最近も俺は、本人の意思を尊重して、あまり言わなくなった。


「実はね……じゃじゃーん! このべっこうの櫛、おみやげ。広島で買ってきたんだ!」

「わ! あ、ありがとうございます。私のようなものにこんな……」


 こういうところが可愛い。かれこれ5年の付き合いである。最近、仲良くなって一番感じること……それは可愛いだ。もっと前から、仲良くなっておけばよかった。恥ずかしがらずに……


「気に入ったら使ってよ。戻ってきたばっかりなんだけど、今度は大坂に行こうと思ってるんだ。ふみちゃんとスゴロクでもして、待ってて」


 ふみちゃんというのは、当小早川家の侍女である。古満姫のお世話係を担当している。もとは農民の娘だったのだが城に奉公に出され、毛利家から来たばかりの姫のお世話係に任命された。


 農民の娘だったせいか、さすがに最初の頃は、和歌などは詠めなかった。とはいっても、いまだに短歌さえ自信のない、俺が言える立場なのかは定かではないのだが……


 だが、5年もいるうちに彼女は頑張った。読み書き、和歌などを必死に学び、教養を深めていったのだ。そのせいか今日においては、彼女は小早川家一の教養ある女性といっても過言ではない。今日は、姿が見えないが、おそらく他の仕事をしているのだろう。


 俺はこう、別れの言葉を告げると、大広間へ向かった。すでに家臣のみんなが指示を仰ぎに集まっているだろう。


 大広間へ到着すると、すでに昨日、俺たちが城に着いたときに、出迎えに出てきてくれた主要な家臣は予想通り、すでに集結していた。


「殿! 家臣一同、すでに集まっております。ご指示を!」


 筆頭家老の頼勝がみんなを代表して、尋ねてくる。


「頼勝……俺はこれから佐和山へ向かうから、すべて、みんなに任せるよ」

「左様でございますか、殿。しかし……佐和山へ向かうとおっしゃるということは……やはり、文治派に?」

「いや。みんなにあそこまで言われたからな。一度、治部少輔と内府、両方に会ってみようと思って」

「なるほど、わかりました。留守は我らにお任せください!」


 頼勝が胸を張って言う。こころなしか昨日より、表情が明るい。


「殿があまりにお出かけになるせいで、平岡殿が城主のようになっておりますな」

 

 口髭を生やしたイケてるおじさんの宗永が笑いながら言ってくる。俺は常々、明るい、そして圧迫感のないようにと努力してきた。信長のような苛烈な雰囲気は嫌いだからだ。


「我らは殿がどう決断しようと、決まったならば従うまで。ゆっくりとお考えください。ただ、片方に加担すると決めたら、それを最後まで突き通してくだされ。裏切りなど、武士の風上にも置けませぬ」


 落ち着いて言うのは、重元である。年は宗永より上だが、容姿はそこまで変わらない。家臣みんな、俺に誠心誠意尽くしてくれているのだが、彼はそのなかでも一番の忠義者かもしれない。その忠義を買って俺の父、秀吉は重元を俺の家老として派遣してくれたのだろう。


「小早川家の命運は殿に懸かっているおりますゆえ……どうぞ、慎重にお考えを」


 そう続けるのは辰政だ。家臣のなかではおそらく最年少だの二十五歳である。若々しいのではあるが、どこか戦国武将という雰囲気を漂わせている。辰政の名字は滝川だ……つまり彼は、滝川一益の子供、三男なのである。


 他のみんなも結局、同意してくれた。


 その後、俺は城をすぐに飛び出した。もちろん、供を連れて。


 関ヶ原までの時間を考えれば余裕はそんなにない。広島城からの行き帰りより、休憩少なめ、速度速めで進み続けた。関門海峡での悪夢はいまさら触れるまでもない。うん。


 佐和山に到着したのは、5月22日のことだった。現代とは違い、公共交通機関なんて皆無、道路は完全に整備されているとは言い難い中、我ながら速い方だったと思う。


 近さから言えば、家康のいる大阪の方が近い。だが結局、どちらに早く会いに行くかの違いで、掛かる時間の差はないので、俺は、三成の方から会いに行くことにした。


 当然、アポなしの訪問である。なので、そう急ぐ必要もない。少しだけ街を散策してみることにした。


 供を引き連れ、城の方へ向かって、キョロキョロしながら歩く。さすがに広島と並ぶ、とまでは言えないものの、我が城、名島城の城下町はもとより、正成に統治委任中の丹波亀山の城下町よりは栄えている。茶屋、料理屋、呉服屋、米屋など、隙間なく並んでいる。潰れている店や廃屋、ボロ屋なんて全く、見当たらない。


 だが、これから行くことになる大坂は、ここ佐和山は無論のこと、広島より、凄いというか説明する形容詞が思いつかないほど、素晴らしいところだ。かつて、秀吉と共に大坂城にいたときのことが、鮮明に思い出される。ワクワクするものだ。


 そんなことを考えながら歩き続けていると、佐和山城の大手門らしきところに、たどり着いた。本丸はどうやら、山の上にあるらしい。上を見上げると、それらしき白塗りの壁の建物が見える。


 門番らしき二人の人物が、こちらを少し不審そうに見つめている。二十人も供を引き連れた武家風の男……確かにあやしすぎる御一行様だ。


 誤解を解き、三成と面会するため、俺は供を待たせると左側に立っている門番に言った。


「失礼。それがしは、筑前名島城主、小早川中納言と申す者。城主の石田殿にお会いしたい」


 




おのろけ的な文章が序盤、多少ありました。お見苦しかったら申し訳ありません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ