第六話 見舞いと最期
俺は全力で大坂城へ向かった。船を使い馬を使い馬で駆けた、駆けた、ひたすらに駆けた。これで秀吉に会えなかったら俺は絶対に後悔する。俺を育ててくれた恩人なのだから。
三週間の強行軍で俺はついになんとか秀吉のいる伏見城へたどり着いた。門番に俺の身分を告げると、すぐに通してくれたので、豊臣家家臣の片桐直盛(且元)の案内で俺は秀吉の寝室へと向かった。
部屋の障子を開けると、そこには寝台に横たわった秀吉の姿があった。近づいて覗き込むと、やせ細り、眠っている様子がわかる。
「一日の大半は眠っておられます」
と、且元が説明する。
「叔父上、叔父上! 見舞いに参りましたぞ!」
眠っている、言い換えれば昏睡と覚醒を繰り返しているうちの昏睡状況とはいえ、ここで何もせず帰る訳にもいかない。とりあえず、耳元で秀吉のことを呼んでみたが、反応はない。やはり諦めて帰るしかないか……
そう思った次の瞬間、秀吉の目が開いた。
「お、おお叔父上! 目をお覚ましになられましたか!」
「殿下!」
俺の驚きと喜びの声を聞いた且元も駆け寄ってきた。
するとまたもや次の瞬間、秀吉は口を開き、
「秀……頼を……頼む……」
とゆっくりと、か細い声で俺に向かって言った。
「ハッ、決して内府のいいようにはさせませぬ。上様のこと、全身全霊でお守り申し上げます!」
俺は秀吉の手を握り、力強く答えた。それを聞いた秀吉は少し微笑んだ。そして、再び眠りへと戻ってしまった。
「殿下は口を開けば、上様のご心配ばかりなされています」
と再び説明する且元。
「先日、石田治部少輔が来た際にもおっしゃっておりました」
「左様にござりまするか」
且元の話を聞きながら、俺は考えていた。最晩年の秀吉は秀頼のことをひどく心配し、家康を筆頭とした五大老らにも繰り返し繰り返し秀頼のことをよろしく頼むと頼んでいたという話は聞いていた。だが、家康はそれを守らず、関ヶ原の戦いの十五年後に秀頼は大坂城で自害することになる。
だが、この世界では絶対にそんなことはさせない。あらゆる手を尽くしてでも俺は家康の野望を阻止して見せる。俺はそう決意した。
俺は且元に礼を言うと、寝室から出た。これでもう二度と秀吉には生きているうちには会えなくなるかもしれない。悔しいし、悲しいし、そして辛いがしょうがないのだ。
俺は一ヶ月ほどで筑前へと帰った。行きは急ぐ必要があったが、帰りは急ぐ必要はない。
名島城へ帰り着くと、待っていたかのように頼勝が出迎えに来た。
「殿下のご病状はいかがでございましたか?」
「やはり酷いようだ。秀頼のこと頼むとおっしゃっていたよ」
「左様にござりましたか」
頼勝の質問に答え、俺は部屋へ早々に戻った。政務は放っておいても家臣たちがやってくれるといったらやってくれる。だが、君主たるもの家臣に任せっぱなしというは示しがつかない。出来るだけ早く復帰しなければならないが、強行軍のせいで疲れが溜まっている。寝ないと。
翌日、いつものように朝食を食べた俺は評定の間へ向かった。家臣たちがぼちぼちと集まってくる。秀吉を見舞った話などをして時間を潰していると、ようやく最後に頼勝が入ってきた。だが、様子が少しおかしい。顔がいつもより青白いのだ。
「頼勝、どうしたんだ?」
「殿……殿下が亡くなられたようにござりまする……」
「「えっ!」」
それを聞いた俺と頼勝以外の家臣たちが同時に驚きの声をあげた。
「それはまことか!?」
「ハッ、間違いござりませぬ」
俺は放心状態になった。覚悟はしていたが突然言われてみると、やはりショックだ。
秀吉との思い出が走馬灯のように次々と浮かんで来る。前世では人との別れをあまり経験していなかったせいかもしれないが、悲しすぎる。
俺はその後、秀吉の死についてはあまり触れず、家臣たちにいつも通りに仕事を行うように指示した。
伏見付近にいれば何かできたかもしれない。だが、俺は今、九州にいる。
前田大納言利家がいるうちはまだ大きな混乱は起こらないはずだ。だが、その後は間違いなく戦争になる。秀吉の親族というだけの小僧には、文治派と武断派の調停など到底不可能。家康の付け込む隙になるとわかってはいるのに……悔しい。
俺はこんなことを考えながら……泣いた。