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第四話 豊臣秀次

 文禄4年の6月、終わりごろだった。秀吉の養子で関白に就任していた秀次が謀反を企てているという噂が流れてきたのである。


 そのころ俺は、政務を稲葉正成にすべて委任し、丹波亀山城の城下町を散策しまくっていた。戦国時代と江戸時代の中間ともいえるこの時代の城下町をうろつくのは本当に楽しい。雑貨屋巡りをしてみたり、農村に行って、耕作している農民に声を掛けたりした。疲れたら、茶屋で茶を飲みながら、団子を食って休憩した。楽しいもんだよ。


 だが、そんなある日、城下町から帰り、大広間へ行くと、年齢の割に老けていて、目から鋭い光を放っている、いつもの正成が少し慌てたようにこちらに向かってきた。なにか、あったようだ。


「殿! なにやら、怪しい噂が流れてきました」

「噂?」

「はい、関白が太閤殿下にご謀反を企てておるという噂が……」


 この話を聞いたとき、俺はヤバいと直感した。この事件が豊臣家に暗い影を落としたのは間違いない。秀次を切腹させたのみならず、一族を皆殺しにしてしまったのだ。

 俺は、正成に引き続き、政務を全委任すると護衛の者と一緒に秀吉のいる伏見城へ向かった。取りつぎの者に秀吉に会いたいと伝えると、すぐに通してくれた。


「おお、金吾ではないか。今日はどうしたのじゃ?」


 秀吉がそう尋ねてくる。その顔はいつもと変わらないように見えたが、どこか奥深くに疑いの心を抱いているように俺は感じた。


「父上……いや、今は太閤殿下でしょうか……関白の殿下へのご謀反の噂、お聞きになられましたか?」

「聞いておる、家臣の者に詰問させる予定じゃ。だが、それがどうしたのじゃ?」

「我が命に賭けてでも言えますが、関白は殿下へご謀反は企てておりませぬ」

「……金吾、なぜそういえるのじゃ?」


そこまで考えていなかった……どう言おうか? でも、このまま歴史通りに進んだら、豊臣家の未来、そしてひいては俺の身も……


「根拠はございませぬ。ですが、殿下に子供が生まれてすぐに、関白さえ譲り後継者と考えられていた者を殺したら、世間はどう思いましょう? きっと、子供可愛さに無実の者を殺した暗愚な人物と思われてしまうはずでございます。ご謀反の噂も殿下の評価を陥れようと考えた何者かが流した事実無根の噂に違いありませぬ」

「だが、あやつは朝廷や京の公家らに金子を献上しておる。これは拾丸が生まれて、天下を奪われることを恐れ、わしに反旗を翻そうと考えておるゆえではないのか?」


 案の定、秀吉は疑心暗鬼に陥っているようだ。史実でもこんな思考状態に陥った結果、誰もそれを止めてくれずあの悲劇が起こったのだろう。


「殿下、関白は茶の道や歌に明るい方であることは殿下もよくご存じのはず。献上金もただのお近づきのしるしか生活に困っていたのか何かを助けようとしただけに過ぎぬはずでござりまする」

「そうであるなら、わしに一言言えばいいではないか!? だが、あやつは何も伝えず無断で献金をしおったのじゃぞ?」

「それは殿下に伝えるほどの大事ではないというお考えのゆえでござりましょう。今後、注意を申し付けるだけでよろしいことだと考えまするが」

「しかし、あやつは形式上は天下で帝に次ぐ権力者、実力的にもそれなりの兵や大名を動かすことができる。そのような人間が公家衆へわしに無断で献金しておるということは、やはり謀反への布石としか考えられぬわ!」


 秀吉の秀次への疑いはなかなか晴れない。秀頼への愛情が裏目に出ているのかしれない。顔も興奮と怒りで少し赤くなってきている。だがなんであれ、俺は豊臣家と自分のために説得を続けなければならない。


「そもそも、この謀反の噂は市中で何物かが流している得体の知れぬ噂。万一のための注意ぐらいならともかく、取り上げる必要もございませぬ」

「…………」


 秀吉は下を向いて沈黙した。少し冷静になったのかもしれない。


「もし本当に関白が謀反を起こしたならば、この金吾が身命を賭して、関白を倒して御覧にいれます」


 俺はここまで言うと、深く礼をして静かに部屋から退出した。これ以上、今話をしても意味がない。少し秀吉には冷静になって考えてもらう必要がある。


 俺はこの後、丹波亀山の城に戻ろうかとも考えたが、思い直して伏見城下の小早川家屋敷に泊まることにした。秀吉が俺の今日一回きりの説得だけで考えを改めてくれるとは限らない。出来れば毎日でも伏見城に登城して様子を見なければ。万が一、秀次を史実通り処刑してしまったなんてことになったら、それは豊臣家の終わりの始まりになる可能性がある。


 翌日の昼、俺はふたたび伏見城に赴き、秀吉に面会した。


「金吾か、二日続いてよく来てくれたな。用というのは次兵衛尉のことであろう?」

「殿下、左様にございます。関白を処刑されるなどということがあっては、殿下の名声にも傷がつきますゆえ、放ってはおけぬのです」

「ふむ……昨日、お主の話を聞いて治部たちを聚楽第に遣わしたのじゃがな。謀反を企てているなど誓ってあり得ないと起請文を出してきおったわ。どうやら、わしの思い違いであったらしいの」


 秀吉はそう言うなり、俺の方を向いて微笑んだ。


「そうでござりまするか……」

「ただ、京の公家衆に勝手に贈り物をしたのはやはり簡単には許せぬ。場合によっては、謀反のための工作とも考えられるからな。その点はお主の言った通り、咎めておいたわ。しばらく蟄居じゃな」

「安心いたしました、殿下。これで後世に悪名を残さずに済みまする」

「アハハ、わしもそこまで耄碌はしておらなかったわ。ただ、お主がおらんかったらどうなっていたかわからぬな」


ここまで秀吉は言うと、大きな声で笑った。


「それと……」

「それと?」

「お主の昨日の最後の言葉は頼もしかったわ。さすが、我が息子。いや、小早川の息子か? ハハハ」


 そう言うなり、また秀吉は笑った。何気に褒められて俺も嬉しい。


 これで一件落着だ。そう俺も安心できたので。しばらく秀吉に近況報告などをした後、城を出て丹波亀山の城に戻った。しばらくは落ち着いて過ごせるだろう、そう俺は思っていた。


 だが今度は、俺の養父の小早川隆景が隠居。その所領を受け継ぎ、筑前30万石の主になってしまったのだ。ちなみに、隆景父さんは三原城に隠居した。まったく、いろんな事が一斉に起こるもんだよ。


 あいかわらず、古満姫との関係は進展していない。相手は内気でしかも、毛利家臣の娘。迂闊に扱えないし、自分もそこまで社交的ではない……進展を期待する方がおかしいのか? ははは……


 そう思いながら、俺は懸命に政務を執り行っていた。ずっと、正成や頼勝に任せておくわけにはいかない。主君としての威厳を見せないと。


 いまさらながら、気が付いたのだが、俺はまだ「小早川秀俊」という名前である。史実の秀秋がいつ、なぜ、秀俊から秀秋に改名したのかは、わからないが、俺は名前を変える気にはならない。秀秋より秀俊のほうが、かっこいいんじゃないか?


 ちなみに以前から与えられていた丹波亀山城とその領地10万石もそのままだったので、そちらは稲葉正成に委任統治させることにした。だが、それに夢中で俺はすっかり忘れていた。秀吉の朝鮮出兵は結局、和平交渉が失敗したせいで、二回目があったことを。

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