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第三十五話 小学校と教師

 その日の夕暮れ、二等や三等の換金作業がようやく終わった。支出は約六十貫。収入が百二十貫だったので、だいたい六十貫の黒字だ。


「殿、こたびの宝くじ、まことに大成功でござりましたな」


 俺と同じように、宝くじの収支を確認した頼勝が言う。常に冷静に振舞っているように見える彼だが、案外感情はわかりやすい。今回も少し笑みがこぼれているように感じられる。


「ああ。それなりに儲けられたみたいだ。これを足しにしよう」

「建物は寺なり空き家なりを借りるということで問題はござらぬはずですが、師匠をどうするかにござりまするな……とりあえず、領内の僧侶にそれなりの金子を与えて雇えはしますが、それだけでは数が足りますまい」


 頼勝の指摘はもっともなことではある。武士は当然、農民たちに簡単なことをを教えられる程度の知識は持っている。だが、城に勤めてしなければならない仕事が多いうえに、農民に物事を教えるなど素浪人のすることで真っ平御免という考えの者も多い。

 では、その浪人を雇ったらどうか。俺はそれを思いついた。先の戦ではそれなりの大名家がお取り潰しになったのでその結果、路頭に迷った者も多い。それを呼び寄せればいいのだ。


 その考えを頼勝に伝えると


「ふーむ。それも一つの案ではござりまするな。とりあえず、募集の告知は出しておきましょう」


 と一応は賛同してくれた。


 翌日から、使者たちが慌ただしく領内を駆け回り始めた。あちこちにある寺に駆け込んで、そこの住職に寺子屋教師への就任を依頼したのである。たいがいの寺院では快くそれを引き受けてくれた。もちろん、気持ちという形のちょっとした金子を提供する上ではある。寺の経営もそこまで楽なものではないので、しょうがないことではある。


 ただ、金子の受け取りを拒否して無償で引き受けてくれたところも少しはあった。俺が一度行って計算を実践して見せたあの寺の坊さんもその中の一人である。


 領内にくまなく立てた教師募集の立札を見たのか、応募してくる浪人も少しずつ出てきた。そのなかでももっとも有名だと思われる浪人は、奥平美作守(みまさかのかみ)信昌公、御年四十五である。


 今川氏、徳川氏、武田氏、そしてもう一度徳川氏と三度主君を変えたものの、甲斐の虎武田信玄の死去以降は徳川家に忠誠を誓い、二十年以上にわたり家康のもとで働いてきた。

 だが、天下分け目の戦いで家康が敗北したことにより、実質的に家康の家臣だった信昌も改易となった。家康の一族郎党は伊豆諸島に島流しになってしまったせいで、正室であり家康の長女である亀姫とも離れ離れになってしまい、しばらくは諸国を放浪していたようだ。その結果、この筑前にたどり着き、そしてこの求人に応募してきたらしい。


「小早川様。先の刈屋での戦における家臣の滝川殿のご活躍はまことに素晴らしいものでござりました。下手をすれば、それがしもここにはいなかったかもしれませぬ」


 採用面接の際に、こんな世間話から話を始めた彼であったが、すぐに内容は真剣なものに変わっていった。


「実を申せば、もう旅を続ける金子ももはや尽きかけております。妻にもう一度会うためにも、どうかご慈悲をもって、それがしをお雇い下され。お願い申す!」


 そう言うなり彼は土下座した。ここまでされて断るのはあまりにも冷酷すぎる。まあ、最初から雇うつもりではあったのだが。


「顔を上げてくだされ、奥平殿。左様なことをなされずとも、初めから雇うつもりでござった。これからは当家のためにお力をお貸しくだされ」

「ありがとうございまする、ありがとうございまする」


 信昌はそう言うと、深々と頭を下げた。


 それからはしばらく、教員集めと場所の確保、宝くじでの資金調達の作業がしばらく続いた。そしてついに準備開始から二週間後、俺は領内にお触れを出した。


 その名も「小学校令」。明治時代の法律から名前を拝借した形になったが、内容はだいぶ違う……はずだ。

 

 その内容はというと、六歳から十五歳までの子供は一年は通うべきである学校のことを「小学校」と名付け、領内にくまなく設置する。


 教師は寺の坊さんか俺の雇った元浪人の方々。もろもろの費用は年貢と宝くじの収入から支出し、子供を学校に通わせた農民には年貢を四公六民から三公七民に引き下げ、逆に止むに止まれぬ事情がなく、子供を学校に通わせない農民には逆に年貢を引き上げる。こうすることで就学率もあがるはずだ。


 とりあえず、こんな内容を告知用の立札に書かせると、それを立てさせる係の者たちを急ぎ領内に走らせた。


 ちなみに武士の子供には小学校とは別の学校を作り、元浪人の方々にじっくり教育してもらうことにした。将来的には農民の子供たちと一緒に学ばせたくはあるが、現状ではそれはなかなか難しい。


 現代で言う「中学校」や文字の読み書きなどを学びたい大人たちのための夜間学校も出来れば設置したかったのだが、予算との関係上、それは諦めた。だが、優秀な農民の子供たちに夢と出世のチャンスを与えるということは、近いうちに必ずやらねばならない。


 授業開始は一ヶ月後に定めた。後はまた宝くじでも発行しながら、ゆっくりと待つのみである。


「さて、うまくいくとよいですな」


 頼勝もそんなことを言っていた。まあ、挑戦することが肝心なのだ。

 


 

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