第三十三話 予算と内政
俺はその後も、しばらく坊さんに計算を実践して見せた。相変わらず、坊さんは感嘆していたが、それなりに呑み込みも早かった。だが、二ケタの掛け算あたりでつまづいてしまった。なにしろ九九も満足に覚えていないので、計算に時間がかかってしまうのだ。
これはしかたがない。まずは九九や簡単な足し算掛け算を漢数字と足、引、残といった漢字を使って計算できるようになるだけでもだいぶ日常生活の役には立つだろう。
一通りの説明を終えると、俺は坊さんに公立寺子屋(仮称)を設立した際には、是非とも教師になってくれと依頼をし、城へと引き上げた。この時代、人に物事を教えられるほどの教養がある人物はそんなにたくさんはいない。僧侶はその貴重な人材になりうる。
城内に戻った時にはすでに時刻は夕暮れに差し掛かっていた。綺麗なオレンジ色だな、と少し心が洗われたような気分になりつつ、正門をくぐって自室へ戻ろうとすると、途中で頼勝に会い、評定の間に来るように促された。用件はなんとなく察しがついていたものの、案の定、今朝、頼勝に話した公立寺子屋(仮称)の件らしい。
言われたとおりに評定の間に向かうと、家臣一同が勢ぞろいしていた。
「殿が民思いなことは以前から重々承知でござりましたが、ここまでお考えとは思っておりませなんだ」
俺が座るなり、真っ先にそう言ってきたのは宗永だった。
「しかしながら、殿。農民たちは米や野菜を作るのが仕事でござりまする。殿のお気持ちは十分にわかるのではござるが、そこまで学が必要とは思えぬでござりまする……金子も要ることでもござりまするし」
続いて、前の戦で大活躍だった辰政がそう意見してきた。
そこで俺は教育の意義について家臣のみんなに語ってみた。これからは戦のない太平な世の中になる、農民でも簡単な読み書きや計算ぐらい出来ることが当たり前にするのが領主たるものの義務だ、と。武士の子息には漢文や古典、歴史といった更なる教養を身に着けることは京などに行くときも役立つはずだということも付け加えておいた。
「ふーむ、殿のおっしゃることはまさにしかりでござりまする、ござりまするが……それにかかる費用をどこから捻り出すかでござる」
俺の説明を最後まで聞いたところで、最初に口を開いたのは重元だった。
「松野殿の言う通りにござりまする、殿。金子をどこから得るのでござりまするか?」
ちなみに現在の小早川家の年貢の税率は四公六民となっている。つまり領主である俺たちが、農民たちが収穫した米の40%、そして農民たち自身が60%を受け取るというシステムである。たいがいの大名家は五公五民、つまり収穫量の50%を徴収しているのだが、俺は出来るだけ税率を低くしようと努力している。
もちろん、不作の際には大幅に年貢の徴収を減免したり、あるいは完全に免除したりする予定だ。幸い、今まではそこまで大変なことになったことはないのだが。最悪、一門衆である立場を利用して、豊臣家に援助を要請するという手段もある。
武器の買い替えや城の補修、治水工事や朝廷への献上金など支出する先は大量にあるため、年貢は多く取れれば取れるほどいい。だが、だからといって農民たちを苦しめる重税を課すわけにもいかない。非常時用などの備蓄米なども計算に入れると、現状でもギリギリの状況だ、確かに、学校建設や先生を雇う費用はどうするか……
「宝くじ、富くじをやって、それを予算に充てよう!」
「たからくじ……とは一体何でござりまする、殿?」
俺がしばらく考え込んだ末に、ようやく捻り出した答えに頼勝が早速、疑問を投げかけてくる。富くじって戦国時代からやっていたわけではないのか。今初めて知ったよ。
宝くじの簡単な概要をみんなに説明した。とはいっても、俺が考えているのは普通の宝くじではなく、数字選択式の宝くじである。買う人がそれぞれ四桁程度の数字を自分で選び、後は時代劇でもおなじみの富くじのように、あらかじめ一から九までの数字を書いた木札を箱の中に入れ、錐で四回ほど突かせて当選者を決定する……という方式のものだ。
残念ながらこの戦国時代、しかも京の都からだいぶ離れた、この筑前名島の地には娯楽というものはあまりない。食事に酒、それにせいぜい囲碁将棋ぐらいだろう。
裕福な町人や娯楽を求める農民たちにお金を使ってもらい、大金の当選という大きな夢から、現代で言えば千円程度の少額な当選という小さな楽しみまで与えることができる。そして、それで儲けた差額を教育予算に充てる。我ながらそれなりによい案なのではなかろうか。
「なるほど、それは名案にござりまするな。さすが我が殿にござる!」
俺の説明を聞き終えた家臣みんなの中で、真っ先に言葉を発したのは、宗永だった。
「確かに最低でも、収入の足し程度にはなりまするな。早速、執り行うことにいたしましょう」
頼勝も同意する。どうやらこれは実行に移せそうだ。まだ決めなければならないことはたくさんあるが、まずは予算の確保からだ。