第三十一話 金吾大納言
翌日、疲れがたまっていたせいか、十時過ぎごろまで寝ていた俺は、寝間着から普段着に着替えると、急いで評定の間に向かった。
案の定、家臣たちは全員揃っていた。それもそのはず、普通ならもう既に評定は始まっている時間なのである。寝坊とは申し訳ない。
とはいえ、特にこれといった報告があるわけでもなく、俺の方でも特別に何か命令することもなかったので、評定は十分ほどで終了ということになった。
評定の解散を指示し、みんながよっこらせと立ち上がった時だった。何やら急いだ様子の若者が大広間に駆け込んできて、膝を着くなり言った。
「殿、正門に帝からの使者と申されるお方がいらっしゃております!」
え? ええ? 何でだ!?
「おそらく殿に官位を与えてくださるということでしょう。それがしがお迎えにあがりますゆえ、殿はここでお待ちくだされ」
頼勝はそう言うと、駆け込んできた若者とともに走って正門へ向かっていった。
天皇陛下からの使者を上座に座ったままで迎えるわけにもいかず、急いで下座の方に行き、胡坐をかいた。現代から見れば、勅使を胡坐で迎えるなんて無礼極まりないのだが、この時代、戦国時代はそうではない。胡坐が正式な座り方なのである。
一応、この時代にも正座という座り方はあるのだが、それは神仏を拝むときぐらいにしか使わないので、実質的にはやはり胡坐が最も礼儀正しい座り方なのだ。
しばらく待っていると、頼勝が戻ってきた。が、すぐに俺のいる下座の最も奥に座った。これがどうしてかはすぐにわかった。そのあとにいかにも公家という感じが漂う男とその使いの者と思われる人物が数人ゆっくりと大広間へと入ってきたのである。
「……よって、小早川秀俊を正三位大納言に任ず」
案の定、勅使がやってきた理由は官位のためだった。中納言から大納言に昇任である。俺が平伏しつつ、お礼の言葉を丁寧に述べると、勅使は満足したのか、「これからも帝のために尽くすように」という趣旨の言葉を述べると、お供と一緒に立ち去っていった。
「殿、大納言就任まことにおめでとうございまする」
「どうもありがとう。でも突然、何で大納言に?」
奥にいた頼勝が駆け寄ってきて話しかけてきたので、疑問をぶつけてみる。
「おそらく菊亭様のお計らいでござりましょう。殿がたくさんの金子をお送りになられましたゆえ」
頼勝の一言でようやく思い出した。そうだ、俺は菊亭晴季に大金と西軍に協力してくれるように頼む旨の手紙を送り付けていたんだった。具体的な効果は戦いが終わるまでなかったのだが、いまこういう形で現れるとは……
こんな大事があったものの、あとはいつも通りの生活に戻った。家臣たちはそれぞれの政務、俺は自室に戻って読書など。
だが読書の途中、俺は気付いた。家臣たちに戦の褒美をまだやっていないことに。
一応、徳川家の旧領である伊豆国は貰い受けている。国全体で約七万石といったところであろうか。大きく賀茂、那賀、田沢の三郡、それに伊豆諸島といった風に分けられる。
それに対して褒美を分配するべき主な家臣は、平岡頼勝、稲葉正成、滝川辰政、山口宗永、松野重元、伊岐真利、日野龍右衛門、長崎元家、杉原重政、溝江長氏の十人。ちょうどである。
だが、全員を領主として送り出してしまうと、俺は実質一人で政務を行うことになってしまう。それは嫌だしそもそも無理だ。代わりに代官を派遣して統治してもらうことにしよう、俺はそう思った。
翌日の評定で俺はみんなに褒美について説明した。最大の功労者である頼勝には一万五千石、正成には一万石、といったように今までの功績に応じて、領土を分配していったのである。
「ありがとうございまする、殿! 頑張った甲斐があったというものです」
「おお、殿。お心遣いかたじけない。ありがたくお受けいたしまする」
辰政や宗永を始めとする家臣たちは全員大喜びで感謝の言葉を述べてきたのだったが、一つ想定外のことが起こった。
「殿、お気持ちはありがたいのでござるが、拙者は知行のために殿にお仕えしておるわけではござらぬ。他の方に拙者の褒美の領地はおやりくだされ」
と、真利が褒美の受け取りを拒否してきたのである。本当に予想もしていなかったことなのだが、今回の戦で最も功を立てた辰政に急遽、追加で真利の分もあげることとした。
「おお、殿に伊岐殿。かたじけない、かたじけない。この滝川辰政、感謝感激でござる!」
辰政はさらに喜んでいる。
一通り、褒美について話すと、俺はどうか伊豆に行かないでくれ、代官を送ってくれということも頼んだ。だが、これもみんなは予想していたらしい。
「わざわざ頼まずとも最初からそのつもりでござりましたぞ、殿! 我が兄の一時に頼みましょう」
「それがしも滝川殿と同じ気持ちでござった。それがしは我が息子、修弘を代わりに代官として送りましょう」
辰政と宗永以外の家臣のみんなも代官派遣を承諾してくれた。これで一段落である。