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第三話 養子

 そんなこんなで三歳になるまで俺は、なに不自由なく暮らすことができた。


 相変わらず城からは全く出してもらえなかった。まあでも、このまま成長すれば、外に出られるようになるだろう、俺はそう思っていた。


 だが、三歳になってから事態は急変した。なんと俺は、義理の叔父である、羽柴秀吉のちの豊臣秀吉のもとへ養子に出されたのだった。母や兄は必死になって、父の家定を止めたようだったが、彼の考えは変わらなかった。


 秀吉の養子になった時点で俺は、自分が何者だったのか分かった。俺はよりにもよって……小早川秀秋だった。


 小早川秀秋についてそこまで詳しく知っていたわけではないが、秀吉の養子になった時点で俺は察した。秀吉の養子の中で、親族から秀吉が養子にもらい受けた男子は、のちに切腹させられることになった秀吉の甥である秀次と秀秋しかいないのはず、俺が秀次ではないことは年齢的に考えて明らか。ということは俺は秀秋なのだ。


 それから俺は、秀吉の子として高台院、つまりねねに育てられた。三歳まで育ててくれた生みの母親と離れるのは寂しかったが、三歳の幼児の身ではどうしようもない。だが、豪華な食事を食べさせてもらったり、いろいろな学問、剣術などをわざわざ師匠をつけて、教えてくれたのはありがたかった。特に、草書体の読み書きがわかったのは大きかった。


 俺の他にも養子は、秀次、秀康、秀勝といたが、一番年齢が下だったせいか養父である秀吉には自分でいうのもなんだが、溺愛してもらっていたと思う。同じ養子で亡くなった秀勝の丹波亀山城と10万石の領地も与えてもらった。


 初陣と称して小田原征伐にも俺は連れて行ってもらった。だが歴史の通り、小田原城は積極的な攻勢に出なくても落城は時間の問題であり、実際の戦場を垣間見るといった機会はなかった。


 その時、まだ九歳だった俺は秀吉の陣にいつもいた。秀吉は信長から猿、猿と呼ばれていたという話を聞いたことがあったが秀吉の顔を一言で表すには確かに、猿が最適だった。小柄でやや色黒の髭が薄いひょうきんもの、長く説明すればこうなる。


 陣内では俺は、いつも秀吉の話を聞いていた。


「のう、金吾。これが戦というものじゃ」


 ある日、小田原城を包囲する軍勢を本陣のある石垣山から見下ろしながら、秀吉はそう自慢げに言った。


「父上……すごい、こんなにたくさんの兵士を集められるなんて!」


 できるだけ子供っぽい言葉で返す。


「ハハハ。ここまで来るのも長かったんだぞ、金吾。一介の農民から、一国一城の主へ、そして天下人へとな」


 こんな風に自慢をしつつも、戦のことについても教えてくれたりしたものだった。


 小田原征伐が歴史通りに終わってからも俺のまわりではいろいろなことが起こった。


 まずなんと、10歳にして中納言兼左衛門督に朝廷から任命されたのである。これもどうやら、秀吉の口利きのおかげのようだった。いくら親族の子とはいえ、実子ではない、俺にここまでしてくれるなんてと感動したのものだった。


 だが、事態が11歳になった文禄2年、西暦でいえば1592年にまたもや事態が急変した。秀吉に実子の男の子、拾丸のちの秀頼が生まれたのである。それにより、俺は小早川家に三度目の養子縁組をさせられることになった。


 俺はこの話を大坂城で聞かされた。今まで溺愛してもらった秀吉に本当に申し訳なさそうに「すまぬ、金吾。小早川にどうしてもお主を養子に欲しいといわれてな……行ってくれぬか?」と頼まれたら断れなかった。


 こうして、小早川家当主である小早川隆景の養子になった俺ではあったが、名前が、豊臣秀俊から小早川秀俊に変わった以外はとくに変化はなかった……と言いたかったところだが、大きな変化があった。


 なんと、13歳にして奥さんができたのである。毛利家臣、宍戸元秀の娘の古満姫(こまひめ)、俺とおなじ13歳。13歳、13歳にして結婚である。現代なら絶対にできない。


 古満姫は名家の出であるせいか、色白で(はかな)げな美しい少女だった。結婚したからといってすぐにどうこうするのは俺には到底できなかった。長い時間をかけてお互いを知らないと。


 ついでに父上の秀吉は、家臣を俺の補佐役としてか、付けてくれた。稲葉正成と平岡頼勝の二人である。二人とも懸命に俺のことを盛り立ててくれたが、どこか気落ちしているようだった。


 だが、小早川家や毛利家のみなさんにも大歓迎され、悪い気はしなかった。そんななか、秀吉が朝鮮に攻め込むという、歴史通りのイベントが起こったりしてた。俺はまだ小さいこともあり、養父の小早川隆景が出兵したようだったが、結果は歴史通り、戦線が膠着して和平交渉が始まったようだ。


 だがそんなことより大きい事件がまたもや、俺の周りで起こったのだった。発端は秀吉の養子、秀次だった。


 



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