第二十六話 刈屋の戦い(下)
決意を新たにしたはいいものの、大将の身で迂闊に前線に出るわけにもいかず、床几にどっしりと座って、状況報告が来るのを待つしかなかった。頼勝も自分の部隊指揮のために出て行ってしまい、今現在、俺のまわりにいるのは護衛の小姓たち数人のみである。
十数分経ったころだろうか、にわかに喚声と火縄銃の銃声が遠くの方から聞こえてきた。いよいよ俺の軍と東軍との戦闘が始まったらしい。
居ても立っても居られず、床几から立ち上がって陣内をうろうろする。あんなに息巻いていた辰政は大丈夫なのだろうか? 討死だけは絶対にしてほしくない。
そんなことを頭の中に駆け巡らせながら、しばらく陣内をうろつき続けたものの、さすがに疲労し、床几に座ろうとしたときだった。明らかに戦闘途中で抜け出してきたと思われる青年が陣に駆け込んできて、膝をついた。
「殿、ご報告でございます。現在、我らは敵方の一進一退の状況。なお、お味方の滝川内記様が自ら槍を持って戦い、大活躍の由にござりまする!」
状況報告にわざわざ来てくれたらしい。しかし、辰政は本当にすごいな……
「ご苦労様」
「ハッ! では、それがしは戦場に戻りまする!」
青年はそう言うと、陣から立ち去って行った。
そうして、また何もすることがなくなった。大将とはいえ、現場の指揮を執るのは家臣たちである。俺は撤退するとか追撃するとか、そういった重要な指揮を執るだけなのだ。
その後も俺は床几に座って、報告を待ち続けた。すると、またもや先程とは違う若者が駆け込んできた。しかも、背中に矢が一本刺さっているうえに、顔も土で汚れている。
「ご報告にござりまする! 敵方の奮戦凄まじく、我が方を押しております! さらに種子島によって山口玄蕃允様が負傷なされ、後方に下がりましてござりまする!」
状況が先程より悪化している。しかもなんと宗永が負傷してしまったらしい。大事には至っていないらしいからよかったものの、本当にヒヤヒヤする。
今回の若者も俺が労いの言葉を掛けると、一礼して戦場へと戻っていった。
敵は相当に頑張っているらしい。秀元や広家は何をやっているんだ? あいつらが東軍を包み込むようにして攻撃してもらわないと、このままではヤバイんだが。
俺はこのまま陣で指をくわえて見ている気持ちにはならず、またもや太郎を秀家の陣に駆けさせた。頼勝たちが来た場合に備え小姓に、もし家臣たちが来たら俺は秀家の陣に行っていると伝えるようにということと、非常事態の場合は家臣合議のうえに速やかに決断を下すようにと言っていたと伝えてくれと頼んだ。
俺のいる陣は部隊の最後尾だから安全なものの、秀家の陣に向かうルートは完全に安全なわけではない。もちろん、秀家の陣は西軍全体の最後尾にあるのだが、東軍はすでに宇喜多隊とも戦闘になっており、俺が太郎を駆けさせている前方では、決死の攻防が繰り広げられているのだ。
必死に太郎と走り、秀家の陣にようやくたどり着いた。前回来たときと同じように、太郎を陣の前に繋ぐと、俺は陣へと入った。
中にいた秀家は家臣たちのなにやら話し合いをしていたようである。だが、俺に気付くと話し掛けてきた。
「小早川殿、敵もなかなかの奮戦ぶりでござるな。感心しておったところでござるよ」
「宇喜多殿、左様に感心しておって大丈夫なのですかな? 敵方に我が軍勢も押されておりまする!」
「心配ござらぬ。間もなく、次兵衛尉殿や毛利殿らが内府方の側面と後方を急襲いたしまするよ。これこそが鶴翼の陣の狙い。とくとご覧あれ」
秀家がそこまで言うなり、陣の中に足軽大将格だと思われる三十代後半程度の男が入ってきた。
「殿! 毛利様の軍勢が敵方の側面の攻撃を開始いたしました!」
これを聞いた秀家はこちらを向いて、ニヤリと笑いながら言った。
「ほら、小早川殿。言った通りであろう?」
「そ、その通りでございましたな……」
「これでもはや、この戦の我が方の勝利は決まり申した。あとはそれを我らは見ているのみでござるよ」
秀家はそう言うと、家臣たちとの話し合いに戻った。だが、その話はすぐに終わったらしく、家臣たちは次々と陣から出て行った。おそらく自らの部隊の陣頭指揮に戻るのだろう。
状況の把握を終えた俺も自陣に戻ることにした。おそらく何も起こってはいないだろうとは思われるものの、大将がずっと不在というのも駄目だろう。
そう思って、戦場の効果音を聞きながら陣に帰り着いたはいいものの、小姓たち以外は誰もいなかった。まだそれどころではないのだろう。
伝言を頼んだ小姓に誰か来ていないか尋ねたものの、特に誰も来なかったようだ。
床几に座って、報告が来るのを待つ。すると、戦闘が始まって最初に報告に来た青年がまたもや駆け込んできた。ただ、最初に来たときよりも顔には疲労の色が見え、鎧には汚れが目立っている。
「殿、滝川内記様が敵方の松平三郎四郎を討ち取りましてござりまする!」
松平三郎四郎って誰だ? 諱がわからないから誰だかよくわからない。まあ、でも松平姓ってことは、家康の親族ってことだろう。辰政大活躍じゃないか!
報告を終えた青年が立ち去ってからも次々と「頼勝の兵が誰々を討ち取った」などなどという報告が舞い込んできた。どれもこれもいい報告ばかりである。
数時間後……夕暮れが迫るころには勝敗はすでに決していた。だが、肝心の家康と秀忠は後方にいたこともあり軍勢をまとめて速やかに撤退していた。追撃も検討されたものの、東軍の奮戦によるこちらの損害も小さなものではなかったため、それは取りやめられた。
その日の夜には軍議の開催が決まっていたはいたのが、それまでに俺はやることがあった。宗永の見舞いである。報告によれば鉄砲によって、肩のあたりを負傷したらしい。
陣から出て、宗永のところへと向かう。歩いて十分程度の負傷者の手当てをするテントの中に彼はいるらしいのだ。ちなみにテントといっても陣幕で囲ったものなので、実質は陣である。
中に入ると、負傷者のうめき声が聞こえてきた。人によって怪我をしている場所も程度も様々である。ここが剣と魔法の世界であったなら、治癒魔法ですぐに助けてあげられるのだが……残念ながら現実はそうではない。
俺が宗永を見つけるのとほぼ同時に、宗永も俺のことを見つけたらしい。
「宗永、体の方はどうだ?」
「おお、殿ではありませぬか。ご心配には及びませぬ、これしきの傷はすぐに治りまする!」
そう言う宗永の言葉は嘘ではないらしい。顔色はいつも通りとは言い難いが、そこまで悪いわけでもない。右肩は包帯ぐるぐる巻きになってはいるが。
そのあともしばらく俺は宗永と話をした。どうやら前線で味方の指揮をしていた際に、敵方に狙撃されたらしい。幸いにも急所は外れたものの、戦闘の指揮は不可能になり、足軽たちに支えながら無念の撤退となったとのこと。それでも頑張ってくれたものである。そう思った俺は、宗永を励ますと陣から出た。軍議の時間が迫っていたからである。