第二十二話 清洲対談
夕暮れが迫るころ、俺たちはようやく清洲城下にたどり着くことができた。城下町は大坂や京ほどはさすがに栄えてはいないものの、そこそこの規模である。
清洲城。天下人であった織田信長が最初の本拠地であった那古屋城から次に移転した二番目の本拠地である。それ以前は尾張下四郡の支配者であった清洲織田氏の本拠地であった。信長の本拠地であったのは十年程度ではあったが、信長が本能寺で討たれたのちに行われた後継者決定会議、清洲会議が行われるなど非常に大切な拠点だったのである。その後は信長の次男である織田信雄が入城したものの、秀吉の転封命令に逆らって改易され、そして今現在は、秀次の居城である。
城下町まで護衛と一緒に着いたは着いたが、こんな時間帯に謁見を求めるのも無礼だろうと思った俺たちは、城下町の宿屋三軒に分宿することにした。
翌日、宿から出された簡単な朝食を食べ終えた俺は、集合場所に指定された三成の宿に向かった。「尾張屋」なるその宿に俺が護衛十五人ほどとと一緒に到着すると、すでに尾張屋の前には人だかりが出来ていた。当然、彼らも護衛の兵卒の皆さんである。ちなみに今日の天気は快晴だ。
数分待っていると、三成がようやく出てきた。
「やあやあ、小早川殿。遅れて申し訳ない」
「いや、まったく構いませぬ。早いところ、清洲城へ向かいましょうぞ」
三成と簡単な挨拶を済ませると俺は太郎に乗り込み、三成は三成の馬に乗った。そうして、清洲城へ向かい始めた。
数十分も歩み続けると、ようやく清洲城が見えてきた。それからさらに進んでいくと、正門に着いた。いかにも城という感じの立派な白塗りの門だ。閉まっている。横幅は10メートルといったところだろうか。その両端には槍を持ったこれまたいかにもといった感じの門番が二人いる。
太郎から降り、護衛たちを後ろに下げて三成と一緒に先頭に立ち、とりあえず城門の近くまで進み続けると、門番が駆け寄ってきて目の前に立ちふさがった。
「待てい、その方ら何者じゃ! ここは清洲城なるぞ!?」
と怒鳴りつけられる。
「失礼いたした。それがしは小早川中納言と申す者」
「拙者は石田治部少輔と申す。ご城主の豊臣左大臣殿にお会いしたい」
そう自己紹介すると、門番たちの態度が急変した。
「え!? 小早川様に石田様!?……少々お待ちください。上の者に伝えてまいります!」
と言うなり、二人揃って通用口と思われるところから城内へと駆け出して行った。
緊張したまま十数分ほど待っていると、先ほどの門番たちが重臣らしき人物ひとりを連れて戻ってきた。
その重臣は俺たちのもとに近づいてくるなり、一礼して言った。
「小早川様に石田様。それがし森九兵衛と申します。我が主のもとにお連れしますゆえ、着いてきてくだされ」
「おお、森殿かたじけない!」
三成が声を弾ませて礼を言う。
護衛の皆さんまで全員城内に連れていくわけにも行かないので、荷物などを持ってもらう数人以外は対談が終わるまで城門前にて待機してもらうことにした。それと馬(太郎)も。
歩き出した九兵衛の後ろを三成と兵卒と共に歩く。噂には聞いていたものの本当に立派な城である。百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、やはり自分の目で見てからこそ物事というのはよくわかるものなのだ。
これまた数十分ほど歩いただろうか、一段と立派な建物が見えてきた。
「あちらに我が主がおります。もう少しお歩きくだされ」
そんな九兵衛の声を聞きつつ、さらに歩いていくと入口にたどり着いた。木製の扉を開き、建物の中に入る。
中には特別これといった物はなかった。豪華絢爛な屏風なりなんなりがあるわけでもなく、ぼろいというわけでもない。木目が輝く清潔な建物だ。
「最上階に殿がおりますゆえ、そこまでご案内いたします」
そんな説明を聞いて階段を上がり、上へと昇っていく。
ようやく最上階に着き、最初に見えたのは素晴らしい眺望だった。城下町が一望できる素晴らしい眺めである。かつてここで信長も同じ光景を見たのであろうか? そう考えると少し感動してきた。
そんな眺めに気を取られながら階段から延びる廊下を曲がると、大きな襖が見えてきた。
「ここでござりまする。それでは、それがしはこれにて」
「森殿、ご案内感謝いたす」
三成が礼を言うと、九兵衛も一礼すると去っていった。
襖を開けると、そこは大きな部屋だった。奥行きはおおよそ20メートル程度。そしてその奥には秀次が座って待っていた。
彼の顔を一言で表すと好青年といった感じだろうか。現代に生まれていたらきっともてていたはずだ。だが、その顔には心労の色が見える。
「石田殿に小早川殿……よういらした。どうぞお座りくだされ」
秀次の勧めに従って俺たちは座る。そして最初に話を始めたのは三成だった。
「急な訪問、まことに失礼いたした。早速なのだが次兵衛尉殿。このたびの戦どうか、こちらに手を貸していただけぬだろうか? そちらのご意向は十分に承知しておりまする。だが、時は一刻を争う事態なのでござる」
「石田殿、お気持ちは十分に理解できまする。ですが、それはどうかご容赦くだされ」
案の定の返事だ。だが、三成はまだ諦めずに切り口を変えて説得を続ける。
「あの事件では、本当にお気の毒でござりました。拙者も殿下を必死になってお止めしたのではありますが力及ばず……」
「その件は石田殿が謝る必要はござりませぬ。あれはそれがしの行動が殿下を疑わせただけにござるゆえ」
「このたびの戦が終わり次第、次兵衛尉殿には関白殿下の後見人として大坂城に入っていただきたいと思っておりまする。殿下のこともお考えになり、どうかどうかお力を少しでも貸していただくことは出来ませぬでしょうか?」
「お気持ちはかたじけない。だが、それがしはこの戦でどちらか片方に付く気はないのだ。それがしはすでに引退した身、天下の大事に関わるつもりはないのでござる」
またもや断られ、三成も続ける言葉がなくなったようだ。いよいよ俺の出番かなと思い口を開きかけたところ、予想外の事態が起きた。秀次の方から俺に話を振ってきたのである。
「言い忘れておりましたが、小早川殿。あの事件のおり、それがしを庇って下さったとのこと。まことにかたじけない」
「いえ、あんなことは当然のことでござる。無実の方が濡れ衣を着せられるのを黙っていられなかっただけであります」
「しかし、どうしてそこまで、それがしを信用してくださったのか? あの時は町人、農民に至るまで噂が流れ、信じていた者のほうが多かったはずでござりましょう」
実は、未来から来たので歴史を知っていたからです。と答えるわけにもいかない問いだ。そこで俺は無難に答えることにした。
「次兵衛尉殿の噂をかねがね聞いておりましたからでござる。文武両道の素晴らしいお方だ、と。そんなお方が謀反を起こすなどという噂を聞いて、それがしが信じましょうか?」
「なるほど……そこまで信じていただけておったとは……」
秀次の顔に喜びに色が現れる。心が動いたようだ。それならば今が味方に引き入れるチャンス、一気に畳みかける。
「次兵衛尉殿。それがしの恩を返すということで、ご助力いただけぬでしょうか? しつこいことは十分に承知しております。ですが、この度の戦は天下の趨勢を決める大切な一戦にござりまする。内府方がこの戦に勝ってしまえば、必ずや天下を狙いましょう。あやつは忠義の心など微塵もない男でありますがゆえ当然、次兵衛尉殿や関白殿下のことも放っておくわけがござりませぬ。天下を取るためには邪魔でありますから。何か難癖を付けてくるはずでござりまする。どうかどうか、せめて領内の通行だけでもお許しいただけませぬでしょうか?」
俺はここまでの言葉を一気に言い切ると、秀次のほうをまっすぐに見つめた。
秀次は下を向いたまま、しばらく沈黙していた。だが、俺たちのほうを向いて顔を上げると、
「ここまで頼まれてはいたしかたない。小早川殿のご恩に報いるためにも石田殿に加勢いたしましょう」
「おお、まことでござるか!? 次兵衛尉殿、かたじけない。かたじけない」
感極まった三成が秀次に感謝の言葉を述べる。なんとか俺たちは秀次の説得に成功したのだった。