第十八話 膠着と宴
9月1日、俺たちは西軍に付くと確約した織田秀信の岐阜城に入った。秀信の軍勢と俺たちの伊勢平定軍、一足先に入城していた三成の軍勢を合わせれば、兵の数は優に五万を超えた。
当分の宿所として、本丸と三の丸が秀信からあてがわれ、俺は本丸の一室へ泊まることになった。頼勝たち家臣は、三の丸があてがわれ、いったん離れ離れになった。
ちなみに東軍は尾張まで到達はしたものの、秀次から味方になるとの約束も取り付けられず、軍勢の通行も許されず、かといって秀吉の親戚である彼の城を攻略して、強引に進撃することも出来ずと八方塞がりな状況のようだった。
だが、それを喜んでいる余裕は西軍にもない。秀次をこちらの味方にすることも叶っていないからだ。どうやら秀次は、東西両軍から大量に寄こされてくる勧誘の言葉をのらりくらりと躱しつづけているようだ。
入城翌日の夜、俺は秀信から宴の誘いを受けた。どうやら諸将を全員集めて、ちびりりびりと酒を飲みつつ、おつまみを食べたりするののついでに懇親会も行おうというつもりらしい。
秀信の家臣だという木造大膳大夫長政に案内され、会場である天守の一室に向かった。
俺と長政が着いた時には、それなりに人は集まっていた。毛利秀元と吉川広家の姿もある。
もうしばらく待っていると、さらに続々と諸将が部屋に入ってきた。頼勝たち家臣みんなも来ている。
頼勝は俺の姿を見つけるや否や、みんなと一緒にこちらに向かってきた。空いていた俺の左側と後ろに座ると、話し掛けてきた。
「殿、殿のお部屋はどのような感じでございましたか? それがしたちは、大広間のようなところに大勢であてがわれたのですが……」
「ああ、そうなのか? 俺は、六畳ぐらいの部屋を一人で割り振られたんだけど」
この岐阜城もいくら広いとはいえ、広さは有限である。大名クラスは個室でも、武将クラスが大広間……というのも仕方がないことなのかもしれない。
そんなことを雑談しているうちに、大広間にはさらに続々と大名やその家臣達が入ってきた。それを見たらしい城主である秀信はさっと立ち上がり、話し始めた。
「皆様、我が岐阜城へようこそおいでくださいました。いまだに戦の最中のなか、恐縮ではござりまするが、粗酒粗餐を用意させていただきましたので、今夜はどうぞお楽しみください」
秀信がそういうなり障子がバッと開き、お膳が運ばれてきた。
枝豆とするめ、そして酒。これがお膳に載っていた全てだった。とはいえ、それはしょうがないことである。兵糧の蓄えをむやみに消費するわけにはいかない。
お膳が運ばれてくるなり、大広間は俄かに賑やかになった。
イメージ通りではあるのだがこの時代、戦国時代の大名、武将、足軽……お酒が大好きな人は多い。飲めない人、好きではない人も少なからずはいるが。
殺伐とした世の中、インターネットもゲームもないこの時代の簡単な娯楽と言えば、飲酒である。
とはいえ、俺は精神年齢はともかく身体的には未成年なので、お酒は頼勝達に譲ることにした。案の定凄く喜んでいる。やはり大好きなのだ。
日本酒の代わりに冷水を女中に求め、とりあえずお膳に載っていたするめを手に取り、噛みしめる。噛めば噛むほど味が出る……まあ確かに、日本酒のおつまみとしては優秀なもんである……本当はビーフジャーキーを食べたい。
盃に注がれた冷たい水を一気飲みすると続いて枝豆を食べる。うまいうまい、うん。
部下たちは部下たちで酒を飲みつつ、大いに盛り上がり始めている。
それを尻目に俺は外に出た。誘いを受けるのは確実だが、少し一人でいたい。障子を開けて、俺は外に出た。廊下をしばらく歩くと、窓がある。
窓と言っても当然、ガラスが使われているわけではない。聞いた話によると、イスパニアやポルトガルから来た南蛮人がガラスのグラスやコップなどの小物を持っていたり、堺や平戸といった国際都市、貿易都市では多少のガラスが流通しているらしい。
結局のところ、まだまだ全国に流通しているわけではないのだ。なので当然、この岐阜城の窓も木製である。
窓に近寄り、空を眺める。澄んだ夜空には煌々とした星々と月が浮かんでいた。
吹き込んできた風の冷たさが身に沁みる。大広間の方からは笑い声が響いてくる。
生まれ変わってからというもの、さまざまな歴史上のビッグイベントを身を持って体験してきた。朝鮮出兵、秀吉死去など……秀次誅殺はギリギリでなんとか回避したが。
そのズレがここになって来ているわけだ。歴史通りに時が進んでいたら今頃俺は、大垣城で待機中だったに違いない。そして、関ヶ原へと出陣。討死or遁走……遁走ルートの場合はさらに分岐、町人生活エンドと大坂夏の陣で討死エンド。よく考えてビターエンド、悪ければバッドエンド以外の何物でもない。
さてと。考え事はこれくらいにして、と……。もうそろそろ大広間に戻らないとな。