第十六話 軍議
伏見城内の清掃が一段落したところで、軍議が開かれることになった。秀家からの使いでそれを知った俺は、こげついた木の臭いを嗅ぎながら、大手門近くの櫓へ向かった。といっても、天守や本丸、大手門や大抵の櫓は焼け落ちてしまっていたので、なんとか焼け残っていた櫓のひとつが開催場所となっただけなのだが。
諸将があらかた集まったところで、総大将の秀家が話を始めた。
「皆、此度の戦、誠にご苦労でござりました。して……この後はいかがいたしましょうぞ。各々の意見をおっしゃってくだされば幸いでござる」
この問いかけに真っ先に答えたのは、小西行長だった。
「宇喜多殿、まずは伊勢を平定いたしましょう。美濃の岐阜中納言殿や清洲の次兵衛尉様はいまだに、態度を曖昧になされておるわけですし……後顧の憂いを絶ってから、美濃方面に進軍してはいかがか? ただ、加賀の前田、丹後の細川らの牽制も必要ですから、そちらにも兵をいくらか差し向けた方がよろしいですな」
美濃の岐阜中納言殿とは織田秀信のことである。戦国の風雲児、織田信長の孫。そしてその嫡男、織田信忠の息子である。清洲会議で秀吉が信長の後継者とした武将でもある。だが、時代は織田から豊臣へと移り変わり、家臣だったはずの秀吉は天下人に、秀信は一大名となってしまった。
だが、あの信長の孫ということもあり、秀吉も丁重に接していた。そして今の彼は、岐阜十三万石の領主で、弟の秀則と一緒に岐阜城にいる。
初めて参加した軍議で、俺にも説明されたのだが……いまだに秀信と秀次は旗幟を鮮明にしていない。両名に書状は送ったとのことだったが……
「ふむ。小西殿、それはしかりですな。他に意見のある方はおりますかな?」
再度の秀家の問いに、異論を唱えるものはいなかった。もちろん、俺も同じである。
「では……我こそは丹後へ向かわんという方はおられますかな?」
そう言う秀家の声を聞いた一人の武将が颯爽と立ち上がった。
「宇喜多殿、そのお話、この小野木縫殿助にお任せくだされ。織田左中将殿や前田主膳正殿、小出播磨守殿らと共に出陣いたしましょう」
そう答えたのは小野木縫殿助重勝。三成の朋友だそうだ。
西軍には、宇喜多や小西、俺の主家の毛利といった大大名の軍勢以外にも、たくさんの武将、大名が参陣している。
例えば、さっき重勝が言っていた三人の武将。織田左中将とは信長の弟である織田信包のことだ。彼は今、丹波の柏原というところで三万石を領している。
前田主膳正は五奉行の一人、前田玄以の息子である。会津征伐へ向かおうとしたところを三成の手によって足止めされ、今に至っている。
小出播磨守も但馬に二万石を領している小大名だ。
他にもこういった小大名は何人かいる。出来る限り挙げてみるとすると……谷出羽守衛友、杉原伯耆守長房、藤掛美作守永勝、早川主馬頭長政、川藤主水正秀氏、斎村左兵衛佐政広、長谷川刑部卿宗仁といった具合だ。いずれも二、三万石の小大名である。彼らも重勝に従軍して、東軍に属する細川幽斎の居城を攻撃することになるだろう。
ちなみに長谷川宗仁という武将、どこかで聞いたことがあるなあと思っていたのだが……実は彼、有名な茶人だった。
細川家の軍勢も、会津征伐にほとんどが駆り出されているので、城を落とすのは簡単に思える。だが、幽斎は文化人として知られ、師匠として尊敬する諸将も多い。そんな彼らが、本気で攻撃するかは不透明だ。
こんなことを、頭の中で素早く巡らしていると、重勝に続くように大谷吉継も
「では、それがしは敦賀に一旦戻り、前田の牽制をいたしまする」と言った。
「おお! 小野木殿、大谷殿、ありがたい。よろしくお願い申す。丹波、但馬の皆様も小野木殿にどうか、お従い下され。それ以外の皆様は明日、伊勢へ向かって進軍するということで……これにて、軍議は解散。皆様、お疲れ様でござりました」
重勝、吉継両名の話を聞いた秀家がそう言ったので、諸将は各々の陣に帰り始めた。秀元と広家の姿も見えたが、特に何も起こらなかった。
「宇喜多殿、伊勢平定に向かうとのことでしたが……岐阜中納言殿や次兵衛尉様への勧誘工作の方は大丈夫なのですか? とはいっても、総大将である石田殿がいまだに、この伏見城に着いておりませんので、なんとも言い難いかもしれませぬが……」
「おお、小早川殿。それが問題なのじゃ。正直言って、岐阜中納言殿はもう少しで、確実にこちらに付いてくれるだろうと思っておる。美濃と飛騨の二か国加増を約束しましたからな。しかしながら、次兵衛尉様はハッキリとせぬ。さんざん、書状はお送りしておるのだが……万一、内府方に付いてしまうようなことになれば、我らとしては相当、絶望的なことになる」
秀家は俺の話にそう答えた。西軍の実質的な総大将である石田三成は伏見城攻略戦には結局、参加できなかった。動員可能な兵数ギリギリも兵を率いて、急いでこちらに向かうとのことだったのだが。