第十五話 出陣と前哨戦
7月17日、俺は城に集まった八千人の兵と家臣を連れ、名島城から出陣した。城の留守を守る兵士も五千ほど残している。兵を残らず引き連れて出撃したら、家康方の諸将の軍勢によって簡単に領内を蹂躙されてしまうだろう。
城将としては、伊岐遠江守真利と日野龍右衛門を残していくことにした。真利は剣豪ならぬ槍豪である。もし、敵が攻めてきたら、自ら前線に出て、敵将を討ち取ると息巻いていた。それに対する龍右衛門は……印象が薄いが、誠実な男である。万に一つも敵軍へ寝返るといったことはないはずだ。
姫への挨拶も済ませた。これでもう、どこで討死しても悔いはない。
それからの行軍はなかなか大変だった。少数で馬に乗って移動するのとは違うので、徒歩の兵士の移動速度に合わせて行軍しなければならない。
関門海峡の渡海もさすがに漁船を使うわけにもいかず、軍船を同じ小早川家の毛利筑後守秀包から拝借した。ここで言う拝借とは、もちろん正式に借りたという意味である。窃盗したというわけではない。断じて。
だが、もたもたしているわけにも行かず、俺たちは急いだ。その結果、7月24日になってようやく、大坂までたどり着いたのだった。
一万一千の大軍を引き連れ、堂々と大手門から大坂城に入城した。だが、なにかがおかしい。石田、宇喜多、小西らしき軍勢の姿が見当たらない。あれ?
そう不審に思っていたところ、奥から安国寺恵瓊がこちらに駆けてきて、叫んだ。
「小早川殿! すでに戦は始まり申した。伏見城をお味方の大軍が囲んでおりまする。小早川殿も早急にそちらの応援へ向かってくだされ!」
「承知した! だが……総大将である毛利様はいずこに?」
「毛利様は、総大将として大坂城を守備しておりまする」
そうだそうだ。今思い出した。関ヶ原の前哨戦として、伏見城の戦いというものがあったんだった。だから、城内に大軍の姿が見えないわけだよ……しかし、総大将が出陣せずに、大坂城に籠ってるって……なんかかっこ悪くないか?
そんな心の声は結局伝えず、俺たちは伏見をまたもや駆けた。結果翌日には、なんとか攻囲戦に参加することが出来たのである。
到着直後、俺は陣を幕を張って適当に作り、頼勝たちをそこに残すと、俺は単独で総大将である宇喜多秀家の陣へ向かった。この戦いの大将は三成ではなく、宇喜多秀家らしい。三成は影に徹するということなのだろうか?
秀家とも、あまり話したことはない。どういう人物なんだろうか?
陣を見つけ中に入ると当たり前なのだが、秀家がそこにいた、周りには、家臣らしき人物も何人かいる。
「これはこれは、小早川殿。ご協力、誠にかたじけない」
「いやいや。豊家の危機とあっては、駆け付けぬわけには参りませぬゆえ……ところで、戦況はいかがですかな?」
「それが……城将の鳥居彦右衛門尉が頑強に抵抗しておりましたな……なかなか、落ちそうにありませぬ」
鳥居彦右衛門尉というのは、鳥居元忠のことだろう。これも史実通りである。だが、こんなところでもたもたしているのは非常にまずい。今こそ、歴史の知識を有効活用する時だ!
「宇喜多殿、この戦に長束殿は参加しておりますかな?」
「はあ、参戦しておりまするが?」
「籠城軍の中には甲賀衆の者が多くおりましょう。そして、長束殿は近江のご領主だったはず……『寝返らねば、妻子がどうなるかわかっておろうな?』と脅してみたら、いかがでしょうか」
「おお、それは名案ですな。長束殿にお伝えしてみましょう」
「よろしくお頼み申す」
俺はここまでのことを言うと、礼をして陣から立ち去った。自陣に戻ったあと家臣たち全員に、秀家に話した策を説明してみたが、全員賛成してくれた。
俺の軍勢も攻撃に参加したものの結局、その日のうちに城は落ちなかった。夜には秀家の陣で、毎晩開かれるという軍議にも参加した。この城攻めに参加している主な将は、大谷刑部少輔吉継、小西摂津守行長、島津参議義弘。長宗我部土佐守盛親、鍋島侍従勝茂、長束侍従正家……そして、輝元から派遣された秀元と広家らだった。
秀家から伝えられた俺の策は採用されたらしい。軍議は、俺の紹介、着陣の挨拶と俺の策に対する異議がないがないことを確認しただけで、すぐに終わった。広家がなにか言ってくるかと思ったが、なにもなくて拍子抜けだった。
広家方からもなにも言ってこないし、俺の方からも何も言わない。一応、俺は一国一城の主なので独立性が普通の家臣より高いとはいえ、毛利家家臣の身である。普通、なにか言ってこないものなのだろうか?
軍議から自陣に戻ると、頼勝が待っていた。
「殿、軍議はいかがでございましたか?」
頼勝がさっそく尋ねてくる。
「いや、俺の紹介と俺の提案した策に異議がないか確認しただけで終わったよ。なんだか、サッパリしてたなー」
「なるほど……吉川殿もなにも言わなかったので?」
「ああ、何も」
本当に拍子抜けだったが、事実である。
頼勝と適当に雑談した後、俺は寝た。体力の回復はなにより、重要だからな!
翌日の攻城戦も事態は動かなかったが、27日に大きな動きがあった。夜、城から火の手が上がったのである。メラメラと燃える炎が空を焦がしていた。通常、夜には戦闘はしないものなのだがこれは好機と、月明かりと炎の明るさを頼りにして、全軍で総攻撃を仕掛け、ついに城を落としたのだった。28日深夜のことである。
破壊した大手門から城内に入る。酷い状況だ。
「敵ながら天晴れな戦いぶりでしたな、殿……」
頼勝が感慨深そうに言う。俺たちは到着も遅く、しかも後方にいたせいで、またもに戦闘はしなかった。だが聞いた話だと、今日も含め、敵方の奮戦ぶりは凄かったらしい。
「ああ、まったくだよ」
「しかしこたびの城攻めでは、それがし、武功を立てられませなんだ……」
辰政が残念そうに言う。26日、おとといの戦いでは辰政は、自ら陣頭に立ち、鉄砲隊や弓隊に射撃の命令を下したり、兵士たちを激励したりと頑張っていたようなのだが、槍働きは結局、示せなかったのだった。
「そんなのは構わないよ、辰政。次で頑張ってくれればいいんだ」
「殿、お心遣い痛みりまする……」
雑談をしながら、俺は考え事をしていた。秀次が生きているという歴史のズレがどの程度の影響を及ぼすのか? それはわからない。だが、なんとしてでも勝たなければならないのは確かだ。