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第十三話 書状

 戦の準備も終わりかえたころ、家康の動きに関する情報も聞こえてきた。

 

 書状通り、家康は秀頼からの命を受け、正式な豊臣軍として大坂を出陣したらしい。ということはつまり、三成の挙兵も近いということである。


 6月25日、城内の大広間にて、俺が定例の評定を開こうとみんなが集まるのを待っていると……重元が慌てて駆け込んできた。


「殿! 石田殿から使者が参られましたぞ。まもなく、ここにいらっしゃいまする!」

「え? 使者?」


 語尾に疑問符がついてしまった俺だが、どういう用事だかは、さすがににわかる。


 そんなことを考えているうちに、使者殿が来てしまった。口髭を生やした青年風の人物である。


「小早川殿、我が主の石田治部少輔よりの使いで参上いたしました。それがし、八十島助左衛門(やそじますけざえもん)と申す者でござる。主より、この書状を預かってまいりました。どうぞご覧くだされ」

「八十島殿か……ご苦労であった。しばらく、我が領内にてごゆるりとしていきませぬか?」

「いや、心遣いは痛み入りまするが、早急に帰るようにと命じられておりますゆえ……では、これにて」


 使者である八十島助左衛門は、悠々と帰っていった。書状の返事、聞かなくてよかったのか?


 内容は……これまた家康と同じく、草書体である。まあ、当たり前なのだが……


「我が家臣、八十島助左衛門にこの書状を届けさせたのは、非常に重要な要件だからです。以前、小早川殿にお話しした通り、私は挙兵の機会を窺っておりましたが、この度、内府が大坂より、上杉家征討のために出陣いたしました。よって、内府が容易に戻ってこられない位置まで進軍しただろうという時点で私も、挙兵いたします。総大将には、ぜひとも清洲の次兵衛尉様を、副将には毛利参議殿を戴こうと思っておりますが、まだ相談はしておりません。その儀はぜひとも、よろしくお願いいたします。

  小早川殿を頼りに思っております。どうかどうか、太閤殿下のためにもお力添えのほど、よろしくお願いいたします。」


 大意はこうだ。言われずとも、ぜひとも駆け付けるよ。


 俺が手紙をだいたい読み終わるころには、家臣のみんなもあらかた集まっていた。


「殿、いかなる内容でございましたか?」

「うん。まもなく、家康が会津に出兵する隙を突いて、挙兵するだってよ」

「「おー!」」


 使者の到着を知らせてきた重元からの質問に答えると、家臣一同から、まるでそれを楽しみにしているかのような声が聞こえてきた。


「殿、いよいよでございますな。一度、殿が決めた以上、それがしは従いまする」


 ナンバー2の補佐役的な人物になってきた頼勝が言う。


「それがしも平岡殿と同じく、殿に従いまする。ただ一度決めた以上は、内府方に寝返ろうなどとは、ゆめゆめ考えることのなきよう」


 重元も頼勝に同調しているようだ。


「そうと決まりましたら、殿。石田殿にはもちろん、丹波にいる稲葉殿にも書状を送ったほうがよろしいですな。戦の用意をするようにと。とは言いましても、すでに石田殿から、稲葉殿へと使者が向かったのかもしれませぬが」


 そう指摘してきたのは、宗永だった。それはしかり、その通りだ。


「使者のお勤めは、是非ともこの杉原紀伊守にお任せください。必ずや、お届けいたしまする」


 がっしりとした体つきの青年武将、重政がそう胸を張って言う。安心、安心。これで使者選びに悩まずに済む。


「それもそうだな……じゃあ、俺は書状を書いておくから。後はみんなに任せるよ」

「「はっ!」」


 みんなの返事を聞くと俺は自室に戻り、硯と紙を用意して、書状を書き始めた。


 戦国武将の大半は祐筆という役目の者に、手紙の本文を書かせ、自分は署名しかやらなかったらしい。だが、俺はそうはしない。やはり、直筆の方が心がこもっている感じがするからだ。


 草書体での教育を受けたとはいえ、書く内容を考え、それを実際に筆で書くのは、なかなか難儀だ。相当な時間を掛けた末、三成と正成二人に送る書状をなんとか書き上げた。


 三成への返書は当然、候文で書いているのだが、現代語に直すと……


「石田殿、使者の八十島殿から書状を確かに受け取りました。石田殿挙兵の際には、私も必ず参陣いたします。毛利殿にも、ぜひとも石田殿に加勢するよう、強く働きかけをしたいと思っています。共に奸臣、徳川家康を倒しましょう。」


 という内容である。もっと長く書きたかったのではあるが、あいにく、俺は長文を書くのが苦手だったので、この量になってしまったのだ。


 正成への書状はこれも同じく、現代語に訳すと……


「正成、そっちはどう? 何か相談があれば、遠慮なくこちらに言ってもらいたい。ところで、この書状を送ったのは、まもなく戦が迫っているからだ。石田殿から、まもなく挙兵するとの旨の書状が送られてきた。俺も当然だが、石田方に加勢するつもりなので、そっちでも、戦の用意をしていてもらいたい。

  このことは、くれぐれも内密に頼む。正成のことを頼りにしているから、どうかよろしく。」


 こんな内容である。どちらの書状にも署名済みなので、あとは重政に頼むだけだ。


 これでだいたいの用意はもう終わりである。後は、三成の挙兵を待つだけだが……俺はどれくらい、役に立てるのだろうか? 俺の動員可能な兵数は残していく守備兵を考慮すると、だいたい八千人が限度といったところである。俺は、史実での秀秋の率いていた兵士は一万五千人だと聞いていたのだが、そんなに兵士を集めるのは、農村を疲弊させる上に、城の守備すらも難しくなるらしい。以前、頼勝にそう聞いた。


 正成の統治する丹波から兵を出すことも、もちろん可能だし、俺もそれをあてにしている。正成が率いることが出来る兵数は、およそ三千人といったところだろう。


 つまり、小早川家全体の動員可能な兵数は、合わせて一万一千人。それなりに大兵力である。これをいかに有効活用できるかが、重要だ。うん。


 それと、三成が秀次を説得できるかだ。莫大な影響力を有する秀次が東軍に付いてしまったら、東軍に寝返る者が続出してしまい、西軍としては諦めて降伏するか、秀次より上の立場の秀頼をどうにかして出陣させるか、そうでなければ、大坂城に籠城するしかなくなってしまう。


 さて、どうなるのだろうか? 俺としても頑張らないと。


 


 





 








 

 




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