第十一話 家康
二の丸へ供たちを迎えに行った後、俺たちは、佐和山城下の宿へと向かった。大坂に向かうのは、明日からでも遅くはないだろう。
目一杯体力を回復すると、翌日、俺たちは大坂へ向かって歩き出した。
近江から大坂への道はそれほど遠くはない。なんとか歩き続け、その日の深夜には、大坂城下に辿り着いた。街には明かりが煌々と灯っていて、今でも相変わらずの繁栄ぶりだ。規模もどでかい。
城下町を宿を探して、うろうろし続けた結果、なんとか摂津屋なる宿屋に転がり込むことが出来た。ふう。
とりあえず握り飯をご馳走になると、部屋を五つも借り、俺はそのうちの一つに、俺が一人で寝た。本当は、自分も供たちと一緒に寝る予定ではあったのだが、「殿は広い部屋をお使いください。私どもは五人一部屋で十分でございます」と固辞された。
翌日目を覚まし、窓から外をボーッと眺めていると、朝食が運ばれてきた。
麦飯に味噌汁、小さな焼き魚。大名らしい高級な食事ばかり食べていた俺にとっては、新鮮だった……うまいうまい。
朝食を食い終わると、俺たちは大坂城へ向かった。城下町からも見えるのだが、大坂城はデカイというレベルでがないデカさである。そびえ立つ立派な天守はもちろんのこと、それを囲む四重の堀や、石垣。そして無数に立ち並ぶ櫓の数々。大坂冬の陣で、徳川の大軍相手に豊臣軍が長期間、持ちこたえたのも頷ける。
大手門らしき立派な門に、城下町を抜け、どうやら着いた。黒塗りの巨大な門である。佐和山、丹波亀山、名島城のいずれより、当たり前だが雄大かつ、堂々としている。
門番の数も通常より、多い。表には六人ほど。上にある櫓にも監視のためか、幾人かがいるようだ。
例のごとく門番に、筑前名島城主の小早川中納言だと自己紹介し、家康に面会したいと伝えると、慌てたように駆けていった。
別の門番がやってきて「お待たせして申し訳ございません。大手門の二階にお移りいただけますでしょうか。内府様は政務中ゆえ、少々お時間がかかるとのことです」と言われ、案内された。
お供のみんなは、別の場所で待機してもらうことになった。大手門の二階と言っても、恐ろしく広いというわけではない。少し窮屈になってしまう。
そうかそうか。ここで待てばいいんだな……いや、ちょっと待て。ここまで家康自ら来てくれるのか! こういう風にされると、豊臣家への忠誠心は疑いないものの、杓子定規な三成より、家康に付きたくなる諸将の気持ちはわかる。
大手門の二階部分はいくつかに区切られており、その中の畳敷きの部屋で俺は待つこととなった。部屋の外には窓がついており、籠城戦になったときは、そこから鉄砲や弓を打ち込むことができるようになっている。まあ、こういう構造になっている大手門はどこでもそうなのだが。
この時代には正確な時計はないので、日の高さでだいたいの時間を計っている。夜明けから日没まで、二時間に一度、鐘がなることになっているのだが……それが待っている間に一回鳴った。
待ちくたびれ、部屋から出て窓から外を眺めてみたり、畳で寝転がったりしていた時だった。突然、外が騒がしくなった。ん? これはもしや……そう思った俺は、姿勢を正して正座する。
襖が開く。
「小早川殿。長らくお待たせいたして申し訳ない。徳川内大臣でござる」
そこに現れたのは、確かに家康だった。中肉中背の温厚そうなおじさん、いやおじいさんと言ってもいいだろう。外見からは、狸親爺や腹黒といったマイナスイメージは感じられない。
「急にお会いしたいなどと申しまして、誠に申し訳ありません。小早川中納言でござりまする」
丁重に挨拶を返す。
「いやいやとんでもない。筑前四十万石の領主である小早川殿が、儂ごときに会いに来てくださるとは……まことに光栄なことでござる。ところで、今日はいかがしたのですかな?」
そう尋ねられて、いきなり窮する。ええと?
「いや……会津の上杉のことでござる。なにか申し開きして参りましたか?」
「それが、まことに許しがたいのですがな……釈明や謝罪どころか、儂に対する挑戦状を送ってきましたわ。福島、加藤、細川といった諸将に先鋒として出陣できるよう、出陣の準備を申しつけたところでござる」
どうやら、事は史実通りに運んできているらしい。
「それはそれは……大変けしからん行いですな。太閤殿下の築き上げた太平の世を乱さんとする行為に違いありませぬ」
ここで家康の反応を窺う。
「左様でございまする。殿下から上様のことを頼まれた以上、あのような行いは見過ごせませぬ」
無難に返される。それはそう答えるしかないだろう。「秀吉や秀頼のことなんてどうでもよい。儂は天下が欲しいのだ」なんて言えないだろうし。それが本当の気持ちかはわからないのだが。
「今回参ったのは大坂観光のついでに、そのことを確認するためで……いやはや、そのようなことになっておるとは。徳川殿、しっかと頼みまする。出陣の際には、それがしにも是非、お申し付けを。すぐに駆け付けまする。お忙しいところをお邪魔いたした。それがしは、これにて……」
そう別れの挨拶をする。もっと鋭いことを言えるような気がしていたのだが……結局、突っ込んだことは言えなかった。「徳川殿。貴殿、豊臣とことなど何も考えていないのだろう。この狸め!」なんて言えないし……迂闊なことを言ったら、警戒されてしまう。
「左様でござるか。では……わざわざ、儂などのために時間を割いてくださって、誠にありがとうござった」
家康の言葉に礼をすると、俺は大手門から出た。
お供のみんなを迎えに行ってから、さっさと名島城に戻って、戦の用意をするか。鉄砲、弓、具足、兵糧の準備に武器の手入れ、やるべきことはたくさんある。
これで一応、三成と家康の二人に会ったことになる。だが、どちらも結局、踏み込んだ話は出来なかった。どちらもよさそうな人だったし。ああ。どうしよう。義で西軍に付くか? 利を優先して東軍に付くか?