トマト抜きのサンドイッチ
――1――
恭二へ。
元気にしているかい?
10月8日、久々に実家に帰れそうなんだ。
手土産は何が良い? 決して不味くないご当地のお菓子を選ぶ、というのはとても骨が折れることなのをお前が知っているなら、僕はその優しい思考に甘えてお菓子を持っていこう。もしも、それを許してくれないのなら、僕は小物入れの中に邪魔そうに散らばるキーホルダーでも買ってこよう。
そうだ、美紀も連れていくよ。楽しみにしていてくれ。
信二より。
僕はその手紙をポストに投函して、空を見た。
綺麗な青空だった。気持ちの良い大きさの雲が穏やかに浮かんでいる。
あまりにも空は大きすぎて、僕達にはその大きさは実感出来ない。だからだろうか、雲がない空は少し落ち着かない。
雲が浮かんでいる空は心が落ち着く。認識出来る範囲の大きなものが存在することにより、ようやく人は現実味を感じることが出来るのだろうか。
帰郷することになった。久々の実家だ。
母親は一時期体調を崩していたようだけれど、大丈夫だろうか。39年間生きてきたが、僕は決して親孝行な子供ではなかった。心の中では、誕生日プレゼントを渡したり、母の日にカーネーションをプレゼントしてみたい、という気持ちもあるのだが、何処か気恥ずかしくて出来ていない。母親の声さえ何年聞いていないことか。
母親のことを考えていると、自然と次に親父のことを考えてしまう。親父には痴呆の兆候があった。母親も決して身体の強い人ではない、二人共、決して生きていることに自由を見出せるような心身状態ではなかった場合、恭二に多大な負担がかかっていることだろう。
恭二、聡明な僕の兄。
子供の頃、どうしてこんなに周囲の人間は愚かなんだろうと思っていた。学校のクラスメイト、先生、親戚、両親……。でも、恭二だけは別だった。彼だけがまともだった。僕の唯一の理解者だった。
「ねぇ、私はその理解者に入らないの?」
美紀が僕に囁いた。
「美紀は……。昔は違うだろ? 今はまぁ、理解者って呼べるかもしれないけれど」
「もう、ひどいなぁ」
僕は家族に想いを馳せながら、その日を終えた。
――2――
「おかえり、信二」
数年来に合う僕のことを、両親は暖かく迎えてくれた。
母親も親父も、僕が想像していたよりも元気だった。元から痩せ気味だった母親だが、更に少し痩せたようだ。しかし、気になるほどではない。それに、足腰もそんなに悪くなっていないようで安心した。
親父も、髪の量こそ随分と減って寂しくなっていたが、僕のことを認識することに成功していた。
それにしても気恥ずかしい。
二人は、僕が帰ってくることを知って、盛大なディナーを用意してくれていたのだ。こういったサプライズにはどうにも慣れることが出来ない。
「信二が帰ってくるって知って、用意したのよ。お肉、好きでしょ?」
やれやれ、と思いつつも、僕はありがたくそのディナーを食べようとして、箸を止めた。
「お母さん、どうしてこれ……」僕は母親に向かってそう言って、苦虫を噛み潰したような顔をした。
子供の頃から、この味だけは苦手だった。
「何年も連絡しないで、心配させた罰よ。昔からトマトが嫌いだものね。でも今日くらい我慢して食べなさい」
そういって母親は下品に笑った。
ディナーを食べ終えて、僕は数年ぶりに自室に戻った。意外にも、部屋に目立った埃はない。どうやら僕がいなくなってからは、物置兼母親のプライベートルームとして使われているようだ。
「勝手なことをしないで欲しいよ」僕は呟いた。
「全くだね、しかし、彼らにこの気持ちは伝わらない。親というものに、子の繊細な感情は伝わらないのさ」
僕は恭二のその言い回しに、声を出して笑った。
「今回はいつまでいるの?」
「そうだな……あまり長くここに居座る気はないよ。うん、少し、思ったより、寂しいから」僕は両方の手のひらを上にして言った。
「そうか」
そういって恭二は微笑した。
――3――
僕は、一枚の紙きれを持ったまま、ポストの前に来て、ようやく気付いた。
そうだ、ここで手紙を書いてどうしようっていうんだ。送る宛など何処にもない。
それに気付いた僕はやれやれ、と心の中で呟き、帰り道にあるコンビニエンスストアでトマト抜きのサンドイッチを買って帰路に着いた。
「癖で書いてしまったよ」
家に帰ってから、美紀と遊んでいた兄にそう報告すると、彼は盛大に笑ってくれた。
帰郷してから一週間が過ぎた。
分かっていたことではあるが、やはり実家というのはやることがない。
最初こそ、懐かしさというスパイスがある分、心が躍るのだが、時間が経てばその味にも麻痺してしまい、今では親という同居人のいるただのホテルだ。
それに、そう、ここにいることに、申し訳なさがある。
あれだけのディナーを用意してくれたのに、僕が用意していたのは美味しくもなんともないお菓子だけ。
なにかお返ししてあげなくては……。
暇なことを良いことに、僕は思案に暮れた。どうすれば、喜んでくれるだろうか。
どうすれば、笑ってくれるだろうか。僕の好きな笑顔をもっと見せてくれるだろうか。
視界に、ゴミ箱の中のものが止まった。
ああ、そうか。僕も料理をしてあげよう。
決して料理が上手い僕ではないけど、そう、サンドイッチくらいなら作れるだろう。
パンとパンで挟もう。
僕はそう決意した。
美紀に相談すると、それってすごく良いと思う! と賛同してくれた。
僕は嬉しくなった。
相好を崩し喜ぶ、兄の顔が浮かんだ。
――4――
手料理は、美味しく作れればその方が良い。
だけど、相手を想う気持ちがあるかどうか、それが最も大事だと思う。
スーパーなどでたまに手料理であることを全面にアピールして売っている品があるが、あれは僕には理解出来ない。素人がすぐに作れる程度の気持ちもこもっていない手料理なんて、ただ美味しくないだけだ。それなら、完璧に洗練された工場で生産される品の方がよっぽど美味しいし、価値がある。
僕は旅行ケースを開けて、調理道具を取り出し、神に感謝を示した。
サンドイッチ、実は一度も作ったことがない。
調理方法も曖昧だ。
だけどなんとかなるだろう。
今までだって、何処かのレシピを参考にしたことはない。
そうだ、昼に食べたコンビニのトマト抜きのサンドイッチを参考にしよう。あれをイメージして作れば良い。
美味しく出来ると良いな。
味覚は人それぞれ。
――5――
親父は寝ていたから、後回しにすることにした。
夜ご飯の支度をしていた母親の隣に立ち、彼女のこめかみに銃を当て、引き金をひとつ。鮮血。汚い顔をして床に倒れた。
音を聞いて何事かと駆けつけた親父に対しても、同じように引き金をひとつ。あっけなく死んだ。
これで二つの死体が出来上がり。
ここからが肝心だろう。
急がないと肉が硬くなってしまうのだ。僕は二つの死体の血液を抜く作業に入った。
やれやれ、どうして兄を殺す時にこの作業をしてくれなかったのか。
血液は苦手だ。これだけはキチンと抜いてくれないと、食欲が失せる。
僕がそう心の中で呟くと、お腹の中から恭二の声が聞こえた。
「二人にはその気持ちは分からないだろう。繊細な作業は苦手なのさ」
僕はその言い回しに声を出して笑った。
「でも、全部食べてくれて嬉しかったよ」
「それはそうさ。恭二の身体を残すわけにはいかない。血のマズさはグッと堪えて、頭から足まで、しっかりと食べたよ。美味しかった」
「うれしいな」
「でも……」
「でも?」
「やっぱり、恭二がいないと、寂しい。恭二は僕が調理するつもりだったのに。二人にされるなんて、許せない」
「親父も母親も、信二が出所し、実家に戻るということを知って、自分達が食べられるのではないかと危惧を抱いていたようだ。僕を生贄にすれば、その心配もないだろう、と思っていたのだろうね」
血液を抜き捨てるのにかなり時間がかかった。キッチンは赤に汚れている。後片付けのことは考えないことにしよう。
「どうして僕がそんなことをするなんて思ったんだ」
「美紀を食べられたのがトラウマなんだろう。兄妹の中で、唯一社会的に成功している人だったしね」
「成功ってほどじゃないわ。お兄ちゃん達が厭世的過ぎるだけよ」美紀がそう反論した。
「やれやれ、美紀は相変わらず冷たいな」恭二はそういって苦笑した。
――6――
「お母さん、親父。美味しく頂きます」
朝までかけて、血液を抜き捨て、サンドイッチにした二人の死体を食した。
それは想像していたよりも苦味がなく、ほどよい触感が口の中を満足させてくれた。
ふと、キッチンに備え付けられた窓から見える空を眺めた。
それは何処までも青かった。
雲ひとつない空。
「早く片付けないと、母さんに叱られるぞ」
「そうだぞ。親父の言うとおりだ」
「でもお兄ちゃんは、片付け下手だもんね」
「こら、信二! またこんなに散らかして!」
「噂をすれば! おいでなすったぞ、信二!」
僕の家族はどうにも騒がしい。
だけど、その騒がしさも、嫌いではない。
今日の天気は晴れ。
何処までも、青。
※あとがき
はじめまして。はじめての投稿となります。
この作品は、昔作った曲の歌詞を元に小説にしてみました。誤字脱字など大量にありそうですが、少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。