第五話
鏡を挟んで黒い瞳は見つめ合う。ギルバートの瞳が細められると、それにつられるように鏡の中の頬と唇もふわりとゆるんだ。
「そうだよ。人間の姿に化けてしまえばいい」
ギルバートは右手を顔の前で握ると魔力を込める。手の内から青い輝きが生まれ、指の隙間をすり抜けてこぼれ落ちていく。握った拳を頭上にかかげてパッとひらくと、青い輝きは彼に降りそそいだ。頭から肩から腕や背へと伝わり、全身を包み込んでいく。
まもなく輝きがおさまりギルバートの姿がはっきりと見えるようになると、鏡にはツノも翼も映っていなかった。
「……完璧じゃん」
自身の魔法の出来栄えを眺めた魔王は言った。
「……道具も用意してみようか」
人間に化けたギルバートは考え始める。
「人間の旅人が持っていそうなものって何だろう。薬草とか、聖水とか? 明日の昼ごろに行くからランプはいらないかな。通行証は……テキトーに作っちゃおうか」
ギルバートに名前をあげられた道具たちは彼の指先一つで次々と空中に現れ、静かに玉座の間の絨毯へと降下していく。
「ああ、そうだ。穴のあいた服じゃいけないね」
服の背中側にポッカリとあいた二つの穴から吹き抜ける夜風に、小さく身を震わせてギルバートは言った。背中に手をはわせ魔法で服の生地を引き伸ばす主君を、レグルスはその足元で見つめる。
「なんだよ。お前そんなに来たいのかい?」
レグルスは主君の瞳を見上げたまま動かない。
「仕方ないな。じゃあ、お前も特別に化けないとね!」
ギルバートはそう言うと青い輝きを宿した指先をレグルスに向けた。
「ワン! ワンワン!」
「ふふ。これなら大丈夫だよ」
「クーン」
甘ったるく人懐こい声音でレグルスは鳴く。その姿は獅子であったときよりもずっと小さくなり、青い炎のたてがみは無くなっていた。
いくつもの冒険者の道具が散らばった玉座の間でギルバートは呟く。
「……早く、彼女に会いたいよ」
その瞳は魔法でつくり出した薬草ではなく、どこか遠いなにかに向けられていた。
翌日の昼頃、アルツバリエの門番は一匹の犬を連れた旅人風の青年を何の疑いも無く街の中へと通した。
「彼女のいそうな所はどこだろう。騎士団の修練場とか?」
ギルバートは街の入口にある案内板を見て言う。その彼の近くに街人らしい簡素な服を着た中年の小太りの男がやって来た。
「よお、背の高い兄ちゃん! どうしたよ。この街は初めてか?」
「そう、街に入るのは初めて。すごくすごく会いたい人が、この街にいるんだよ」
小太りの男はぐっと親指を立ててみせる。
「兄ちゃん、若いね! で、誰よ?」
尋ねられたギルバートは整ったその顔に染みだすように笑みを浮かべた。
「とてもきれいな人なんだ。金髪で、オリーブの瞳で。騎士なんだけど、剣をふるう姿も優雅でさ……。それから、日没の時刻になると街の外を見回りしてる。誰か知らない?」
しかし、それを聞いた小太りの男は片手で頭のはじを押さえる。
「あ~、シーファちゃんね……。今ごろは図書館だろうが……あの娘はムリだよ」
「シーファ! それが彼女の名前か!」
「シーファちゃんがどうしたって?」
今度は焼きソーセージを持った男が口をはさむ。
「こいつ、シーファちゃんとお近づきになりたいんだとよ」
「なるほど。それはムリだ」
「ムリってどういうこと?」
ぽんと手を叩いたソーセージの男にギルバートは問いかける。するとソーセージの男は、両手を大きく広げて語り出した。
「いいかい、キミ。よく聞きたまえ。彼女は鉄壁ガードだよ。今まで街の何人もの男が口説いてきたけれど、ちらりともなびかないのさ。旅人のキミには、ちと厳しい話だと思うよ」
「なんだ。それなら問題ない」
即答したギルバートに親父たちは怪訝な表情をみせる。小太りの男はその目を自分の体型のように丸くし、ソーセージの男は長い首と手に持っている串を傾ける。
「だって、誰よりも彼女のこと好きだからさ!」
もの思う魔王は、満面の笑みではっきりと言い放った。
「図書館だね。情報ありがとう。行ってくるよ!」
礼を言った青年は、教えられた場所へ真っすぐに向かっていく。その後ろには、ぽかんとあいた口からソーセージの臭いを漂わせる、アルツバリエの親父たちがつっ立っていた。