第四話
魔界の城の最上階では、てきぱきと魔王が仕事を片付ける。近頃、その手際は以前にも増して良くなっていた。陽が西の果てへと落ちていく、今ぐらいの時分は特に。
「よし、終わった!」
積み上げられた書物に一通り魔法をかけ終わったギルバートは息をついた。
「今日はどう?」
ギルバートは玉座の間に差し込む西日の長さを見る。この数日間で彼が覚えたことは多い。例えば、より早くアルツバリエの街へ行ける道。近づいても悟られることのない距離。ちょうどこの刻頃に彼女の日課があることには、三日ほど前に気がついた。
「間に合いそうだね。じゃあ行くか」
丈の長い上着を手に取る魔王にレグルスはすり寄る。
「だめだよ、レグルス。今日は街の近くまで行くから。僕は上着で隠せるけどさ」
「オーン……」
小さくうめいた青獅子は、出かけていく主君を見送った。
その日一日を照らした太陽の最後の輝きが地平線に消えかける時刻に、彼女は街中から門へとやって来る。同じ頃合いに、ローブに身を隠した男も街の近くにやって来る。夜の闇へと近づくなか、人間の目では見えないぎりぎりの距離に。
「……いた」
彼女は門番と短い挨拶を交わし、街の外に出ると周囲を見渡しながら歩きだした。目につく範囲にいる旅人には、まもなく門が閉まることを伝え、街まで急ぐように促す。足をくじいた商人には、絹のような艶めきを纏った白い手を。不法侵入をたくらむ盗賊には剣を。
「……きれいだよ。名前も、知らないけれど……」
やがて街の入口から旅人も盗賊も見えなくなると、彼女は門へと戻り門番に何かを言う。それを聞いた門番は敬礼の構えの後に門を閉じ、暗闇を街の外へと閉め出した。
「……あの中に入りたい。街のどのあたりから、外へと向かってくるんだろう。見回りが終わったら、どこへ行くんだろう」
そう言った男はローブの中を手で探る。頭に伸ばした手に触れるのは、二本の硬質な円錐状の突起。背に伸ばそうとする手を阻むのは、規律よく生え揃った滑らかな羽の感触。
「この姿じゃ、ね……」
街へと続く門はぴったりと閉じられ、夜勤の門番がネズミ一匹通さぬように見張っていた。
魔界の城に帰ったギルバートは長年の相棒に話しかける。
「なあ、レグルス。お前だったらどうする? 大好きな女の子に会いたくて仕方がないときって」
レグルスは玉座の間を歩き回る魔王を眺める。彼は主君の言葉を理解することはできる。しかし、恋を叶える方法などは知る由も無い。
「どうしたらいい? 街に入って彼女と話すには。僕が魔王だと分からないようにするには……」
ギルバートは鏡の前に立つ。映るのは黒い髪に黒い瞳。えんじ色の二本のツノ。背をおおうのは大きな翼。その姿は魔族の特徴をはっきりと体現していた。
「……人間に、なればいい?」