第一章 11
白狼は、女の腕を片手で掴み上げる。
純白の壁に押し付けて、暴れる彼女の両腕ごと押さえつけた。
女の首筋に、彼の通った鼻梁を近づけて、
愛おしそうに彼女の匂いを吸い込む。
アラクネは唇を噛んで、屈辱に身を震わせる。
「 消せない匂いって、あるんだよ。
俺にも、お前にも。どんなに隠してもな。 」
慰めるように、目を伏せて彼女の柔らかな紅茶色の髪に軽く口づけする。
アラクネは、白狼の言葉で目の前の男の正体を理解した。
そして、その表情は次第に憎悪に歪められていく。
怒りに震える彼女の顔色は血の気がなく、
噛み続けたふっくらとした唇の端から赤い血がこびりついていく。
「 お前も、人間じゃないのね… 」
白狼は、何の感情も浮かばない瞳で彼女を見つめる。
彼女の表情からは、ありありと感じ取ることができた。
白狼に対して何を思っているのか、が。
― 醜くて、薄汚い裏切り者。
そのとき、アキから通信が入った。
『 お楽しみのとこ、悪いんやけど~、
CUBEにデータ送ってくれへん?このまま遊ぶ気はないよな? 』
少し苛立った少年の声に、
白狼はようやく、女から離れる。
壁を背にした女は、白狼を睨みつけたまま動こうとしない。
押さえつけられていた右腕を胸元に抱える。
「 …悪ぃ。
じゃあ、アラクネさんよ、あんたと遊ぶのはここまでだ。 」
コートから出したCUBEを動こうとしない彼女に向けた。
CUBEの形が次第に球体に変わり、発光し始める。
光に照らされた白い通路に彼らの長い影が伸び始めた。
CUBEが彼女の姿を捕えようとしたとき、アラクネは唇を開いた。
「 …あんた達、汚いわ。
本当に汚い。
自分達が振りまいた種を勝手に人の体に埋め込んで…、
自分の間違いを棚に上げて、あぶれたものを簡単に殺してく。
簡単に殺せるから、間違いにも気がつかない。
気がついても、間違いにしないの。
私たちは言葉が話せないんじゃない。
あんた達が聞こうとしなかっただけ。
お前らを私は許さない。
真実を認めるまで、私はお前らを絶対に許さない。 」
うつろな瞳で白狼をにらみつけるアラクネの言葉に、
彼は、眉がない眉間を寄せる。
彼女は何を言おうとしている?
白狼の掌にのせたCUBEが起動したとき、
彼女は体をひと際大きく身震いさせた。
― 白の奴、遊びすぎや!形態変化し始めとるっ
ポータブルのディスプレイに映し出された通路の映像と、
CUBEから送られたデータから、
アラクネの変異データが上昇していることに気がついたアキは叫んだ。
『 白っ、下がれ! 』
白狼は焦る少年の声を聞くも、
目の前の女の真意に興味が沸き、後退するか迷う。
アラクネの美しい額の中心から、
まるでメスを入れたかのように赤いラインが入る。
血の筋からぷっくりと膨れた血の粒が彼女の額を意思があるかのように移動を始める。
彼女の鮮やかな紫の瞳の色が血と同じ色に染められていく。
白狼は、CUBEにその姿を映し出したまま、
異形に姿を変えつつある彼女に問いかけた。
「 『卵』の真実っていうのがアンタの狙いか? 」
彼女の鈴のような声は、重厚な響きに変え、
擦れた声で白狼に向けて答える。
「 『卵』の殻は硬いの。どんなに叩きつけても破れない。
でも、中身はドロドロに腐ってるんだ。
そう、現実なんてそんなものよ。私が望むのはただ一つ。 」
「 復讐よ。 」
『 白、何しちょる! 下がれぇえええええっ 』
アキの鋭い叫びと、白い通路が爆風に包まれたのは同時だった。
体を覆った爆煙に、とっさに白狼は両腕で顔をかばうが、
風圧に耐えきれず、数メートル吹き飛ばされてしまう。
白い通路に響く轟音が建物全体を揺るがす。
白狼のCUBEの機能は停止して、
アキの端末には、砂嵐しか映らない。
相棒の名を何度も繰り返すが、
応答はなくノイズまじりの瓦礫が崩れ落ちる音が彼の代わりに反応を返していくだけだった。
第一章 11までで、本日の更新は終わりです。
次回更新は、8/28(水)の夜らへんです。
白狼の大ピンチです。
続く